7歳の可愛い息子が旅立ちました。彼が生まれてくれたおかげで始まった自分を見つける旅を、彼無しで続けます。

自分の魂を見つけるために、学んで、感じて行く経過を書き残してみたいと思っています。

リュウのお葬式

2014-09-23 09:00:38 | リュウのお葬式
リュウのお葬式は月曜日の10時だった。

葬儀場には二つ会場があって、リュウには大きいほうの部屋があてがわれていた。私は、大きい部屋を使うと説明を受けたときに、リュウは子供だからほとんど知り合いといってもいないし、友達といっても双子だったので、外でたくさん友達を作る必要もなかったし、親戚一同は日本にいて、来る予定はないし、あまり大きな部屋で小人数で集まるのもさびしいかもしれないと、話した。葬儀場の人は「(どれだけ人が来るかは)判らないものですよ。」と言った。

10時にドアがあくとぞくぞくと人が集まってきた。後で記帳書を見たら100人くらいだった。私はせいぜい数人だろうと思っていたのに。会場側は、つぎつぎに追加の椅子やソファーを持ち込んでいた。

リュウの学校の先生が皆、それからお掃除の人まできてくれた。

学校の人たちはリュウのことをよく覚えていて、彼の思い出を話してハグしてくれた。彼はいつも素敵な笑顔だったと皆が言ってくれた。

彼のことを教えてくれた先生たちには、なんと言っていいか言葉もなく、ただ涙が溢れた。

私の仕事のの関係の人たちは、いつもほとんど話したこともない人も来てくれた。それは、ただ、私の悲しみを分かち合い、慰めるために来てくれていたので、本当に驚いたし、うれしかった。

そして、あっという間に食事を毎日持ってきたり、ブルーの風船を通りに飾ったり、様子を見に入れ替わり立ち代わり訪れてくれたご近所さんたち。

それから、ダンスの全国大会を日曜日に終えて、その日の内に移動して、無理してくれた人たちもいただろうか? 2日あけて、もう木曜日にはダウンタウンで独立記念日のダンスを踊る予定だったために、葬儀の日は新しい振り付けを練習する日だったのに、スタジオはそれをキャンセルして全員で出てきてくれた。

そして、女の子たちは踊った。マイが一人で踊る予定にしていたが、先生と、それから皆前に出てきて踊ってくれた。去年のダンス年間で途中で止めざるをえなかった友達たちも、お母さんたちと来てくれて、踊ってくれた。

葬儀の後、私たちは、余りにたくさんの花に囲まれたまま、リュウの好きだったアングリーバードの曲を聞いたりしながら、時間に来られなかった人たちを迎えたり、ただ、残って名残を惜しんだり、私たちと一緒にいてくれる人たちと共にいた。

さっさと帰らないで、そうやって一緒に暫く居てくれるって、うれしかった。

予期しなかったのに来てくれたたくさんの人たちには、本当にたくさんのことを教えられた。

リュウはきっとお葬式の間、ニコニコ、テレながら人気者になった気分で私たちのことを見ていたにちがいない。

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弔辞

2014-08-27 08:38:53 | リュウのお葬式
アメリカでは、Eulogy(賞賛の意味)が新聞のセクションにあって遺族が亡くなった人の訃報を掲載し、お葬式の日時、花代の代わりにどこに寄付金を送って欲しいなどの情報も記されます。

リュウのEulogy

「リュウは、突然逝ってしまいました。リュウは私たちを助け、導き、守るために7年だけと決められて神様から使わされた最高の贈り物でした。彼は、その使命を幼い子供だけができる大変特別のやり方で果たしました。私たちに、愛とは何か、楽しむとはどうすれば良いのか、そして、何といっても、どう生きるべきかということを見せてくれたのです。

彼は、その使命を果たしたので、残りの仕事は私たちに任せて、神様のところに戻っていきました。7年と2.5ヶ月私たちと一緒に過ごした間に、彼は、水泳、自転車、アングリーバードとハイウェーサーフィンのゲーム、読書、旅行を楽しみ、それから、地図と本にとても興味がありました。また、彼は、学校の後ピアノ、テコンドウ、水泳教室に通うのを楽しみました。リュウは、赤ちゃんのときからとても社交的で、いつも人を喜ばせることが好きで、簡単にうれしくなってしまう性格で、それから遠慮がちなところのある子でした。彼のお気に入りの食べ物は、チョコレートクッキーとドーナツで、彼は水泳教室の後、ドーナツショップに寄るのをとても楽しみにしていました。リュウはきれいな黒いまっすぐの髪と、大きな大きなきらきらする目をした、一番ハンサムな若者でした。」

お葬式で、水泳のコーチが彼のかわいい泳ぎっぷりをユーモアたっぷりに話してくれました。ドーナツショップのオーナーさんも来て、双子とパパが彼女のお店でいつもおいしそうに食べていたことを皆に話してくれました。

これを新聞に載せる締め切りの日に、すぐに書き上げました。パパはこれを読んで、そのとおりだと涙ぐんでいました。


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