7歳の可愛い息子が旅立ちました。彼が生まれてくれたおかげで始まった自分を見つける旅を、彼無しで続けます。

自分の魂を見つけるために、学んで、感じて行く経過を書き残してみたいと思っています。

バシャールと フリーエネルギー、そして「不食」

2014-07-31 20:46:49 | 導いてくれた師たちや本
リュウの葬儀が終わり、火葬の翌日、火曜日に青磁色の壷に入ったお骨を受け取りました。

次の週の後半には、上の娘のダンスの講習会に家族全員で出かけることになっていました。

私は、この間食欲は当然無くて、ご近所の方たちが何やかやと毎日食事を差し入れてくれなかったら、本当に食べていなかったでしょう。それでも、そのうち、もう食べることが億劫になったし、なぜかそうするのが適切な行動のような気持ちになって、ニューヨークに行く3日前から、リュウ(の魂)にも家族にも、3日間食べないからと言いました。

食欲も無いので、お腹も全く減らず、食事を取っていないことで体に変化は無かったと思います。リュウをなくしたことでボーっとしていたので、一つでもわずらわしいこと、つまり食事をするということ、が減ったのは楽でした。

先週、主人がおばあさんのお葬式に日本に行ったときに、聞いたことも考えたことも無かったのに、「食べない人たち」という本がAmazonのサイトを見ている内にすごく気になって、アメリカに持ち帰ってもらいました。

今日、早速全部読んでみたのですが、その中に書いてあることは、例えば「人間は、食物の奴隷、ひいてはお金(経済)の奴隷になってきたのです。」「食べることは、体をものすごく消耗させます。意識もぼやけてくるし、眠くなってくるし、しかも体が疲れて動けなくなってしまうのです」「悩みとは、頭の中であれこれ考えることです。その証拠に、考えるのをやめればどんな悩みもたちどころに消失します。小食、不食を実行すると、自然に考えることが少なくなり、それと平行して、悩みも減っていきます。」「ハッキリとわかったのは、心と体が透明であれば、食欲がわいてこないということ。」「不食の究極の目的は、これら(愛の欠乏のこと)から自由になり、無条件の愛を手に入れること、あるいは愛そのものになることです。」

バシャールが2025年にはフリーエネルギーが加速し、2050年間でにはほとんどフリーエネルギーになると言っていたのを思い起こした。バシャールの動画を聞いたときは石油などのエネルギーのことだと思っていたのですが、もしかしたら、人間たちも、このプラナなるエネルギーで食物も水も要らずに生きていけるようになるのか、石油などのエネルギーどころか、食べ物も不要になるのだろうか、と思いつきました。そして、石油や電力に代わるエネルギーもプラナみたいなものからとれるようになるので、フリーエネルギーと呼んでいるのだろうか?

リュウのこと以前から、どっちみち私は実際美食などには程遠い生活になってきていました。昔トゥールダルジャンで、鴨の番号をもらったようなことももう本当に興味が無い過去のことになっていました。

お肉を食べると、私は怒ってしまうので、赤肉はずっとまえから食べておらず、鳥や魚も食べないようにしていました。どうして、肉を食べると怒ってしまうのか、判らないし そんな例を聞いたこともありません。この初夏、私が怒った次の日、「ママ、どうしてチキン食べるの?」って真剣に咎める眼差しで私を見つめたリュウの表情が忘れられません。リュウ、ほんとにごめん。

リュウも、クリスマスにもらった大きなクリスマスツリーの形のクッキーに、こってり鮮やかなグリーンだったかブルーだったか、アイシングというお砂糖を厚く塗ったのを食べた後、もうそれは惨めで、怒って、泣いてしばらく大変だったことがありました。私は、すぐにそのクッキーのせいだとわかったので(というのは、何も怒る理由も泣く理由も無かったから。)収まるまで、慰めて待っていました。1時間位たって、彼の惨めな状態が収まった後、リュウに、もう濃い色のお菓子は食べるの止めようね、と言ったら彼も分かっていて、素直にうなずいていました。

私はこれから食べることがさらに簡素になって行き、そのうち食べなくなったらいいなあと思います。











リュウの霊が家に居るようです。

2014-07-30 18:15:18 | 日記
リュウが大好きだった彼と双子の姉のベビーシッターさんに、月命日に家に来てもらいました。

彼女は、リュウのお葬式の時間にはお仕事の都合で来られなかったのですが、終わった後で式場に来てくれて、リュウの亡き骸の側まで来たら、大泣きされました。

リュウは彼女のことが本当に大好きで、小学校1年生になったときに、もうベビーシッターはいらなくなったので、彼女は来なくなったのですが、リュウは時々「いつおばちゃんに会える?遊びに行ってもいい?こんど何時きてくれるの?」と私に聞いていました。一度、会いに来てくれるってリュウに告げたとき、彼はぴょこって飛び上がって喜んでいた。双子と向き合って過ごしてきた時間は、私より彼女の方がずっと長い。

今日、彼女と会ったら、「実は先週の月命日の時に」、と話しをてくれた。

あの日、彼女に、リュウの写真のどれを焼き増しして差し上げるのか選んでもらおうと、色々な写真を見てもらっている間に、彼女の肩がずっしりと重くなったそうです。彼女が言うには、霊の気配があると、肩が重くなるそうで、ホテルのある場所でとか、過去に経験があるそうで、さらに吐き気もするそうです。私と写真を選んでいたときは、実は、もう吐きそうになってしまって、持っていたキャンディーを口に入れようと思ったらしいのですが、突然キャンディーをなめ始めるのも変かと思い、我慢して、そうしなかったとのことでした。

彼女は、そういう人です。やさしくて、霊も何でも受け入れていて、遠慮深くて。だからリュウもたくさん甘えられたんでしょうね。

その後、彼女は車で帰ったのですが、帰り際、玄関で手を振っている私たちを車の窓から振り返ると、玄関の横にある私の書斎の窓にぼーっと白いものがいてリュウ君だ、と思われたそうです。

私はリュウの霊が、家に居た証言をきいてうれしかったです。

一昨日から、リュウの骨壷を居間から二階の寝室に移したせいか、少しよく寝られるようになりました。今までも、昼間はずっと別行動でも、寝るときは一緒の部屋だったからね。骨壷になったリュウでも同じ部屋だと安心して寝られます。

49日経つと、亡くなった人は、あちらに行ってしまうとききましたが、それまでには、私も大丈夫になりたいです。










リュウが逝った日のこと 2

2014-07-29 10:42:45 | リュウが逝った日
病院からは、よんでもらったタクシーで帰宅しました。

帰途茫々と涙が落ちました。

家について、車庫の方から家に入りました。朝の何時くらいだったのでしょう。雨は降っていませんでしたが、天気は覚えていません。

家の中に踏み入れると、薄暗くて、何か温かみとにぎやかさを失い、空気が薄くなって、冷たく無口になったようでした。台所に入ると、リュウがいつも食事に座ったり、絵を描いたり、一人で空想遊びをしていたテーブルの席の上に、暗い穴が開いているように見えて恐ろしい気がしました。黒っぽく見えているのですが、何かあるというよりは、そこに底なしの空洞があるようでした。

(その流した墨のような空虚は、不思議なことに彼が5日後火葬された直後から急速に無くなっていきました。)

病院から、葬儀屋に連絡を取るように言われていたので、この日の午後、そうしたかもしれません。その日がどうやって過ぎていったのかほとんど覚えていません。

リュウは、パパのベッドで寝ていたのですが、その夜は、私はリュウの寝ていたところに寝ました。主人と話をしました。もう長年、話がかみ合わない私たちでしたが、この夜は本当のところの話をしたと思います。朝までほとんど寝なかったかもしれません。

リュウのベッドで寝てみましたが、彼は子犬みたいにあんまり汚れなくて、においが無い子で、私は彼の気配を求めていたのに、石鹸の香りが少ししただけでした。

前日リュウは1日寝ていて、吐いたりしたので、パパがシーツなど交換してしまっていたこともあるのでしょう。そんなことさえ知らずに、私は前日の夜まで、旅行に出かける前に仕事を片付けようと、走り回っていたことを、後悔していました。時を戻せないのか、どこから分かれ道になってしまったんだろう? 何を間違ったんだろう? リュウは本当に死んだのか、解っていましたが、信じられませんでした。










2014-07-28 09:08:25 | リュウが逝った日
昨夕、娘二人の新学期の文房具の買い物に付き合った後、お店から出てきたら、ものすごい雷と雨になりました。

家に着くころには雨も急にあがって、我が家の前の通りを走ったら、車庫に曲がろうとする角度で大きな虹がかかっているのが見えました。

なんてきれい!

リュウがなくなった日のお天気は覚えていません。夕方同じように雨が降ったのでしょうか?

お向かいの小さな女の子のお父さんからお葬式の日にききました。あの夕方同じあたりに虹がかかっていて、彼女は「私のハートをくるっと回すと見えるのよ、リュウが虹の上を青い壺に乗って滑っていたよ」って言ったそうです。

リュウのうれしそうな顔が浮かびます。「ウィー」って言いながら滑ってそうです。


リュウの水泳教室

2014-07-26 20:34:45 | リュウのこと
リュウが無くなってから一月と一日があっという間にたちました。

今日は、つらかった。

彼が亡くなった日の少し前からのカレンダーをめくると、彼が亡くなる数日前に、ものすごく久しぶりにリュウと彼の双子の姉(と2人は信じていて、双子の女の子のフェニックスは自分のことをリュウの姉と言っていた。)の水泳教室に行ったことを思い出した。フェニックスは、どうした風の吹き回しか、どうしても、水泳教室に一緒に来て欲しいと言い出して、私は軽く、楽しみな気分でOKして、いつも彼らに付き添っているパパに「来なくても大丈夫よ。」って言ったんだった。

私は、彼らが小学校一年生を終わったばかりなのに、バタフライで25ヤード泳いでしまうのを見て、びっくり。クロールは、息継ぎをするときに、一回背泳ぎになって、のんびり息継ぎをして、そのまま背泳ぎに替わってしまうのかと思うと、バターンとひっくり返ってクロールに戻って泳いでいくやり方を、二人揃ってやっているのを面白く見ていた。

もう、何ヶ月彼らのレッスンを見に来てなかっただろう。皆パパに任せてしまっていた。

なのに、いつもの生産的に色々済ましたい根性から、私は、13歳の姉のプールのメンバーシップのことを問合せるために、レッスンの途中で事務所に立ってしまったのだった。担当者から必要な情報を聞いて、プールに戻ってきたら、もうレッスンは終わっていた。フェニックスは既にドアの方に小走りにやってきていた。そして、リュウは、と探すと、彼らが泳いでいたコースの向こうの端っこに一人だけまだ水に浸かっていて、小さな頭が水の上に出ていて、ゴーグルばっかり大きく見える、彼の表情がぽかんとしてこっちを見ていたのが、なんとも言えずに寂しげで、「あ、ばかママ、やってしまった。ごめん、リュウ!」って思って大後悔したんだ。そのとき、なんだかすごく私は辛かったんだ。

リュウが亡くなった後、パパから、リュウがママが水泳教室に来るんだってすごく興奮してたって聞いて泣いた。

リュウ、ごめん。馬鹿ママは、あなたのことを見ていなかったね。仕事を言い訳に、忙しいとか言い訳して、自分でそのつもりになって、あなたのことを見ていなかったね。リュウ、リュウ、あなたのことをもう一度見たい、馬鹿ママです。

フェニックス、あなたはどうして急に水泳教室に私を誘い出したの?ありがとう、全部じゃないけど、リュウの立派な泳ぎっぷりを見せてもらえました。