リュウの葬儀が終わり、火葬の翌日、火曜日に青磁色の壷に入ったお骨を受け取りました。
次の週の後半には、上の娘のダンスの講習会に家族全員で出かけることになっていました。
私は、この間食欲は当然無くて、ご近所の方たちが何やかやと毎日食事を差し入れてくれなかったら、本当に食べていなかったでしょう。それでも、そのうち、もう食べることが億劫になったし、なぜかそうするのが適切な行動のような気持ちになって、ニューヨークに行く3日前から、リュウ(の魂)にも家族にも、3日間食べないからと言いました。
食欲も無いので、お腹も全く減らず、食事を取っていないことで体に変化は無かったと思います。リュウをなくしたことでボーっとしていたので、一つでもわずらわしいこと、つまり食事をするということ、が減ったのは楽でした。
先週、主人がおばあさんのお葬式に日本に行ったときに、聞いたことも考えたことも無かったのに、「食べない人たち」という本がAmazonのサイトを見ている内にすごく気になって、アメリカに持ち帰ってもらいました。
今日、早速全部読んでみたのですが、その中に書いてあることは、例えば「人間は、食物の奴隷、ひいてはお金(経済)の奴隷になってきたのです。」「食べることは、体をものすごく消耗させます。意識もぼやけてくるし、眠くなってくるし、しかも体が疲れて動けなくなってしまうのです」「悩みとは、頭の中であれこれ考えることです。その証拠に、考えるのをやめればどんな悩みもたちどころに消失します。小食、不食を実行すると、自然に考えることが少なくなり、それと平行して、悩みも減っていきます。」「ハッキリとわかったのは、心と体が透明であれば、食欲がわいてこないということ。」「不食の究極の目的は、これら(愛の欠乏のこと)から自由になり、無条件の愛を手に入れること、あるいは愛そのものになることです。」
バシャールが2025年にはフリーエネルギーが加速し、2050年間でにはほとんどフリーエネルギーになると言っていたのを思い起こした。バシャールの動画を聞いたときは石油などのエネルギーのことだと思っていたのですが、もしかしたら、人間たちも、このプラナなるエネルギーで食物も水も要らずに生きていけるようになるのか、石油などのエネルギーどころか、食べ物も不要になるのだろうか、と思いつきました。そして、石油や電力に代わるエネルギーもプラナみたいなものからとれるようになるので、フリーエネルギーと呼んでいるのだろうか?
リュウのこと以前から、どっちみち私は実際美食などには程遠い生活になってきていました。昔トゥールダルジャンで、鴨の番号をもらったようなことももう本当に興味が無い過去のことになっていました。
お肉を食べると、私は怒ってしまうので、赤肉はずっとまえから食べておらず、鳥や魚も食べないようにしていました。どうして、肉を食べると怒ってしまうのか、判らないし そんな例を聞いたこともありません。この初夏、私が怒った次の日、「ママ、どうしてチキン食べるの?」って真剣に咎める眼差しで私を見つめたリュウの表情が忘れられません。リュウ、ほんとにごめん。
リュウも、クリスマスにもらった大きなクリスマスツリーの形のクッキーに、こってり鮮やかなグリーンだったかブルーだったか、アイシングというお砂糖を厚く塗ったのを食べた後、もうそれは惨めで、怒って、泣いてしばらく大変だったことがありました。私は、すぐにそのクッキーのせいだとわかったので(というのは、何も怒る理由も泣く理由も無かったから。)収まるまで、慰めて待っていました。1時間位たって、彼の惨めな状態が収まった後、リュウに、もう濃い色のお菓子は食べるの止めようね、と言ったら彼も分かっていて、素直にうなずいていました。
私はこれから食べることがさらに簡素になって行き、そのうち食べなくなったらいいなあと思います。
次の週の後半には、上の娘のダンスの講習会に家族全員で出かけることになっていました。
私は、この間食欲は当然無くて、ご近所の方たちが何やかやと毎日食事を差し入れてくれなかったら、本当に食べていなかったでしょう。それでも、そのうち、もう食べることが億劫になったし、なぜかそうするのが適切な行動のような気持ちになって、ニューヨークに行く3日前から、リュウ(の魂)にも家族にも、3日間食べないからと言いました。
食欲も無いので、お腹も全く減らず、食事を取っていないことで体に変化は無かったと思います。リュウをなくしたことでボーっとしていたので、一つでもわずらわしいこと、つまり食事をするということ、が減ったのは楽でした。
先週、主人がおばあさんのお葬式に日本に行ったときに、聞いたことも考えたことも無かったのに、「食べない人たち」という本がAmazonのサイトを見ている内にすごく気になって、アメリカに持ち帰ってもらいました。
今日、早速全部読んでみたのですが、その中に書いてあることは、例えば「人間は、食物の奴隷、ひいてはお金(経済)の奴隷になってきたのです。」「食べることは、体をものすごく消耗させます。意識もぼやけてくるし、眠くなってくるし、しかも体が疲れて動けなくなってしまうのです」「悩みとは、頭の中であれこれ考えることです。その証拠に、考えるのをやめればどんな悩みもたちどころに消失します。小食、不食を実行すると、自然に考えることが少なくなり、それと平行して、悩みも減っていきます。」「ハッキリとわかったのは、心と体が透明であれば、食欲がわいてこないということ。」「不食の究極の目的は、これら(愛の欠乏のこと)から自由になり、無条件の愛を手に入れること、あるいは愛そのものになることです。」
バシャールが2025年にはフリーエネルギーが加速し、2050年間でにはほとんどフリーエネルギーになると言っていたのを思い起こした。バシャールの動画を聞いたときは石油などのエネルギーのことだと思っていたのですが、もしかしたら、人間たちも、このプラナなるエネルギーで食物も水も要らずに生きていけるようになるのか、石油などのエネルギーどころか、食べ物も不要になるのだろうか、と思いつきました。そして、石油や電力に代わるエネルギーもプラナみたいなものからとれるようになるので、フリーエネルギーと呼んでいるのだろうか?
リュウのこと以前から、どっちみち私は実際美食などには程遠い生活になってきていました。昔トゥールダルジャンで、鴨の番号をもらったようなことももう本当に興味が無い過去のことになっていました。
お肉を食べると、私は怒ってしまうので、赤肉はずっとまえから食べておらず、鳥や魚も食べないようにしていました。どうして、肉を食べると怒ってしまうのか、判らないし そんな例を聞いたこともありません。この初夏、私が怒った次の日、「ママ、どうしてチキン食べるの?」って真剣に咎める眼差しで私を見つめたリュウの表情が忘れられません。リュウ、ほんとにごめん。
リュウも、クリスマスにもらった大きなクリスマスツリーの形のクッキーに、こってり鮮やかなグリーンだったかブルーだったか、アイシングというお砂糖を厚く塗ったのを食べた後、もうそれは惨めで、怒って、泣いてしばらく大変だったことがありました。私は、すぐにそのクッキーのせいだとわかったので(というのは、何も怒る理由も泣く理由も無かったから。)収まるまで、慰めて待っていました。1時間位たって、彼の惨めな状態が収まった後、リュウに、もう濃い色のお菓子は食べるの止めようね、と言ったら彼も分かっていて、素直にうなずいていました。
私はこれから食べることがさらに簡素になって行き、そのうち食べなくなったらいいなあと思います。