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大乗仏教の虚偽!! 偶像崇拝は、釈尊の教えではない!!

2015年10月17日 01時42分48秒 | 仏教大論議・大乗仏教の陰謀

 

仏陀の真実の教えを説く〈中〉―阿含経講義
 
平河出版社


 大乗仏教信者の方には、大変驚かれることと存じますが、正法を知っていただくために、書かせていただきたいと思います。

今まで私が書いてきましたように、大乗仏教は、釈尊直説の教えではありません。釈尊直説の経典は、阿含経(あごんきょう)しかなく、それ以外の経典は、全て、後世の偽作経典なのです。

今回は、大乗仏教が偽作仏教であることを、本尊の面から考えてみたいと思います。

大乗仏教には、数多くの偶像である如来、菩薩、明王などがいらっしゃいます。


しかし、阿含経に書かれている仏様は、
釈迦如来と弥勒菩薩だけで、
それ以外の大乗仏教の如来、菩薩、明王などは、全て、後世、他の宗教からの流入などである事が現代仏教学ではわかってきています。

 原始仏教、根本仏教には、菩薩信仰などは、一切なかったのです。釈尊は、偶像崇拝など、まったく説かれていませんので、大乗仏教が、偽経であることがわかります。

一つ例を挙げてみます。
観音菩薩です。

観音菩薩は、おそらく日本で、トップクラスの信者数を誇ると思います。
しかし、実を言いますと、観音菩薩は、もともとは、バラモン教、ヒンズー教の神であるとする説が有力なのです。

この点について、龍樹菩薩は、大智度論の中で、興味深い記述をされています。

観世音菩薩ら、他方の仏土より来る

たった一行の文章で、見落されがちですが、これは、他の宗教から観音菩薩など、その他の仏様方が仏教に取り入れられたことを示すものだと思われます。

観音菩薩は、観世音菩薩の略で、観自在菩薩とも言います。観世音、あるいは、観自在とは、世音を自在に聞くことができ、世間の全てを見通すことが自在で、また、人を救い出すことも自由自在であるという意味です。
観自在菩薩は、サンスクリット語で、
アバローキテーシュヴァラです。

実は、この言葉に良く似た神様が、ヒンズー教にいらっしゃいます。
大自在天です。
大自在天は、サンスクリット語で
マヘーシュヴァラです。 よく似ています。
観自在と大自在の違いです。

と ころで、大自在天は、実は、バラモン教、ヒンズー教のシヴァ神の化身と言われています。バラモン教、ヒンズー教では、二大主神として、ヴィシュヌ神(創造 神)とシヴァ神(破壊神)が有名です。大変御利益があると言われています。そうして、この二大主神は、実は、同一神であると言われています。つまり、大自 在天は、ヴィシュヌ神(創造神)とシヴァ神(破壊神)両神の化身なのです。

この大自在天が、仏教に取り入れられて、観自在菩薩、観世音菩薩になったものと思われます。
観音様は、実は、バラモン教、ヒンズー教の神様だったのです。
 
他の大乗仏教の仏様方も、同様に他の宗教からの流入か、あるいは、創造で作り出された仏だと思われます。

とにかく、最古の経典、阿含経には、膨大な数の経典がありますが、大乗仏教の仏様方は、一切出てこないのですから。

したがって、阿含経に出てこない偶像である如来、菩薩、明王などは、全て、後世の大乗仏教が、流入させた仏さまか、 独自に作り上げた仏ということになるのです。
  

大乗仏教の仏様は、2種類あるのです。

感得によって現れた仏様と
創造によって作られた仏様です。
創造とは、誰かの頭の中で理論的に独自に作られた仏という意味です。
観音菩薩は前者です。
後者は、例えば、般若心経に出てくる般若菩薩です。明らかに創造上、理論上の仏様です。

感得によって現れた仏様は、神秘的体験によって現れたものであり、いうならば、霊的奇瑞によって、現れたものですから、多く、奇跡的現象がつきまといます。 

ですから、これらの大乗仏教の仏様方が、一切御利益がないというわけではないのです。私は、上記で、大乗仏教は、偽作仏教だと言いました。それは、釈尊直説の教法ではないという意味です。御利益が一切ないとは言っていません。

事実、阿含宗では、大乗仏教の仏様方、ほとんど、信仰しています。
阿含宗では、釈迦如来の次に観音様を信仰しています。観音様は、大変御利益があると思います。
  
他の宗教から、神様を取り入れること自体は、悪いことではないと思います。密教では、すべての神々は、金剛薩埵に教化されて仏教に帰依したと伝えらています。

しかし、仏教徒であるならば、まず、
釈迦如来を第一本尊とすべきです。
次に、大乗仏教の仏様を信仰すれば良いのです。それ以外、絶対に有り得ません。

仏教は釈尊がお開きになった宗教です。
その釈迦如来を差し置いて、第一本尊に大乗仏教の仏様つまり、他宗教から流入した神様や、あるいは、創造で作り出した仏様を持ってくるのは、まったくの筋違いです。
仏教徒とは言えません。

他の宗教から流入した神様を第一本尊とするなら、仏教とは名ばかりで、外形的に他の宗教と同じになってしまうからです。特に、バラモン教とかなり似てくる宗派もあります。

もともと大乗仏教は、バラモン教の強い影響を受けて成立しているのです。
原始仏教もバラモン教の影響を強く受けていますが、第一本尊は、当然のことながら釈迦如来です。
その第一本尊をバラモン教の神様に変えてしまっては、もはや仏教ではなくなってしまいます。

これは、あくまでも、外形的な意味ですが、しかし、教義に違いがあっても、外形的に他宗教と同じであるのは、やはり問題があると思います。

バラモン教の神を本尊として祀っていて、中身の教義は、仏教だから全体的に仏教なのだ、と言っても、社会的にも、学問的にも通用しないと思います。

仏教は釈尊がお開きになったのですから、第一本尊は、釈迦如来以外有り得ません。

現代仏教学で、よく調べていただくとわかりますが、阿弥陀如来も、大日如来も、他宗教からの流入の可能性が大なのです。他の明王様等も同様か、創造の仏で す。そんな他宗教からの流入の神様を、仏教の第一本尊にはできません。(あくまでも、宗派の教義上の本尊としての話です。個々の寺院での本尊のことではあ りません。)

したがって、仏教である以上、
第一本尊は、釈迦如来意外に有り得ないのです。偶像崇拝が否定されるのと同じです。外国では、偶像崇拝は忌み嫌われます。大乗仏教の仏様方は、全て、偶像に過ぎないのです。釈迦如来だけが、違うのです。偶像崇拝は、釈尊の教えではないのです。 (上記のとおり、偶像崇拝を完全否定するわけではありません。)        


大乗仏教の宗派は、この点、教義の改正をすべきです。そうして、もっと現代仏教学を率先して学ぶべきです。自宗の教義だけ学んでいれば良いような時代ではありません。

駒沢大学 大野達之助 教授の
「日本仏教思想史」から、引用させて頂きます。
 

「従って今日から見れば、諸宗派の教義は、釈尊の仏教とは直接何ら関係もない哲学思想に過ぎないのであるが、遺憾ながら、この最も重大な問題には、各宗とも目をおおって、根本的解決を図ろうとしていない。

愚見を以てすれば、各宗が、釈尊の仏法を相承していると主張するためには、成立の最も古いパーリ経典について、歴史的にも内容的にも間違いのない釈尊の教法を求め、その教法と自宗の教義との同一性を立証しなければならないと思う。

各宗とも共通の課題として、大勇猛心をもってこの道に進んでこそ、真の仏恩報謝ともなり、また現代における仏教の存在価値を確立する所以でもあろう。」(下線は、投稿者。)


最後に釈尊の阿含経のお言葉を掲げさせていただきたいと思います。
これは、予言のお経です。
 

『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。

如来の説かれたこれらの諸経典(阿含経のこと)は、
深遠であって意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応しているものであるが、
それらが説かれるときに、かれらはよく聞こうとしないし、 耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。

それらの教えを受持すべく、よく熟達すべきものであるとは考えないであろう。

これに反して文芸人によって作られ、
詩文調であり、
文辞麗しい諸経典(大乗経典のこと)は、
外道(他の宗教)に由来するものであり
弟子たちの説いたものであるが、
それらが説かれるときに、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。

それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。

かくのごとくにして、
如来の説かれた、
深遠にして意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応している諸経典(阿含経)は、
消滅してしまうであろう。

比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。

―――「如来の説かれた
深遠にして意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応している諸経典(阿含経)が説かれる時に、
われらは、よく聞くことにしよう。

耳を傾け、了解しようとする心を起こそう。
それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう。」と。』
 
( 中村元「原始仏教の思想」)


文芸人によって作られ、詩文調であり、文辞麗しく、弟子たちによって説かれた、とあります。
また、他宗教である外道に由来するものであると看破されています。
見事に大乗経典を予言しています。

法華経は、1世紀頃、
浄土教は、2世紀頃、
大日経は、7世紀頃作られました。

大乗経典は、全て偽経です。
釈尊直説でなければ、全て偽経なのです。

釈尊は、偶像崇拝などまったく説かれていませんので、大乗仏教は、全て偽経なのです。
 信憑性がありませんし、なにより、
成仏法「七科三十七道品」(しちかさんじゅうしちどうほん)は、阿含経にしか書かれていないのです。



釈尊直説の唯一の経典「阿含経」を、小乗とさげすんだこと自体が、大乗仏教の致命的な誤りなのです。

とにかく、仏教徒であるならば、仏教であるならば、
第一本尊は、釈迦如来とすべきです。
それ以外、考えられません。
そうでないと、仏教とは言えません。

大乗仏教の各宗派の教義の改善をお勧めします。
そうでないと、近い将来必ずや虚偽が露見し、社会的大問題になると思います。


以上、「般若心経瞑想法」を参照しました。

正法を知っていただくため、参考となれば幸いです。

合掌  

 

末世成仏本尊経講義(まつせ じょうぶつ ほんぞんきょう こうぎ)
 
平河出版社


   
 
 
炎の祭典  阿含の星まつり

毎年2月11日(祝)

京都市山科区北花山(阿含宗総本殿境内地)

神仏両界大柴燈護摩供

(しんぶつりょうかいだいさいとうごまく)

http://www.agon.org/index_j.html


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