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仏教徒の悟りの第一目標は、須陀洹シュダオンの聖者に成ることである!! 大乗仏教の陰謀

2015年10月17日 01時51分14秒 | 仏教大論議・大乗仏教の陰謀

仏教徒の悟りの第一目標は、シュダオンの聖者に成ることである!!

正法・阿含経の「四沙門果」の論理!!聖者のオーラとは!!

大乗仏教の虚偽!!悟りに至るまでの具体的説明が無い!!

法華浄土密教スピリチュアル禅

 

 大乗仏教の信者の方には、大変驚かれることと存じますが、正法を知っていただくために書かせていただきたいと思います。

大乗仏教には、悟りに至るまでの具体的な説明が無いのです。

確かに、菩薩の五十二位、菩薩の十地の理論があります。しかし、修行者の煩悩の切れ方修行法との関連、また、それらによる生前、あるいは死後の状況の違いについての具体的な説明が無いのです。

たとえば、法華経は、来世成仏ですが、それでは来世どのように成仏するのかというと、その具体的説明が無いのです。これは、浄土教も同じです。来世、浄土に生まれ変わったとして、そのあと、どのように成仏していくのかというと、その説明が無いのです。

どうして具体的説明が無いのでしょうか?
それには、隠された秘密があります。 

大乗仏教は、故意にこの説明をしていないのです。それは何故かといいますと、具体的にこの説明をしてしまうと、大乗仏教の虚偽が露見してしまうからです。

大 乗仏教は、釈尊直説の唯一の原始仏教である阿含経(あごんきょう)を小乗仏教であるとさげすみ、阿含経の仏、「阿羅漢」(あらかん)を小乗の仏として菩薩 の下に位置付けました。しかし、これは、真っ赤な嘘なのです。阿羅漢は、仏陀そのものだということが、現代仏教学では、完全に認められているのです。この 嘘が、そうして菩薩理論の虚偽が露見してしまうので、具体的に悟りの階梯の説明をしていないのです。

この説明をしてしまうと、阿羅漢を菩薩の下に位置付けた虚偽が露見してしまうので、説明を避けているのです。以下詳しく説明します。
 

釈尊直説の唯一の経典・阿含経には、
修行者の煩悩の切れ方による、
具体的な悟りの階梯の説明があるのです。

四沙門果」(ししゃもんか)の論理です。
 
ところが、この説明をしてしまうと、阿羅漢が完全に煩悩を断ち切った仏陀そのものであり、小乗の仏ではなく、完成者等正覚であることが判明してしまうので、大乗仏教は、悟りの階梯の説明をしないのです。

それでは、阿含経に説かれている悟りの階梯について、説明してみたいと思います。


阿含経では、悟りに至る階梯として、4段階あるとします。

須陀洹(シュダオン) 
斯陀含(シダゴン)
阿那含(アナゴン)
阿羅漢(アラカン)   です。

これらの段階に入ると、「聖者」と呼ばれます。

大乗仏教には、そもそも聖者という概念そのものが無いのです。 代わりに菩薩理論を持って来たのでしょうが、それは、阿含経の教えを踏襲しないようにしたためでしょう。ある大乗仏教の高僧は、須陀洹を単なる修行者だと説いていましたが、全くの誤りです。

阿含仏教には、仏陀の他に、「聖者」という概念があるのです。
これが、本当の釈尊の教えなのです。 
 
  
○聖者の第一段階: 「須陀洹

ネット辞書デジタル大辞泉からの引用を交えて説明させていただきます。

しゅだおん〔シユダヲン〕【▽須×陀×洹】
《(梵)srota-āpannaの音写。流れに入る意。
預流(よる)と訳す》仏語。
煩悩を脱して聖者の境地に入った位。
四果(しか)の第一。


つまり、「預流」とは、聖者の流れに預かる者という意味です。
したがって、シュダオンから、聖者の階梯に入るのです。
 
この他に、「逆流」(げきる)、「七来」(しちらい)という呼び名が有ります。

逆流」とは、流れに逆らう者という意味で、運命の流れに逆らう者、つまり、悪因縁を持っていても、その因縁を切ってしまって、運命通りにはいかないという意味です。例えば、ガンの因縁を持っていても、ガンにならないということです。

七来」とは、この世での寿命が尽きた後、人間界と天上界を最高でも7回だけ生まれ変わって、この世の人々を利益したあと、涅槃に入るという意味です。実際には、3~4回の転生で済む場合が多いそうです。

また、シュダオンになると、
三悪趣(さんあくしゅ)に落ちないとされています。
三悪趣とは、地獄、餓鬼、畜生の三界のことです。
  

○聖者の第二段階: 「斯陀含」(シダゴン)

一来(いちらい)とも言う。
この世での寿命が尽きた後、天上界に生まれ、天上界での寿命が尽きた後、もう一度だけ、この世に生まれ、この世の人々を利益して、涅槃に入る。


○ 聖者の第三段階: 「阿那含」(アナゴン)

不還(ふげん)とも言う。
この世で寿命が尽きた後天上界に生まれ変わり、さらにそこでの寿命が尽きた後、涅槃に入る。
もう二度と、この世には戻ってこないので、不還と呼ばれる。


○聖者の第四段階
最終段階の聖者: 「阿羅漢」(アラカン)

仏陀と同意語である。

阿羅漢は、仏陀の十号の一つ、
応供」(おうぐ)のパーリー語の「アルハット」の漢訳です。ですから、仏陀と同意語なのです。

また、「無学」「至真」とも呼ばれています。
無学」とは、もう学ぶべきものが無い者という意味です。
至真」とは、真理に至った者という意味です。

したがって、

仏陀=応供=阿羅漢=無学=至真

なのです。これは絶対に間違いありません。
したがって、後世作られた大乗仏教はすべて誤りです。

 
増一阿含経 高幢品(こうどうぼん) では、お釈迦さまは、次のように語られています。有名なお経です。

「私は阿羅漢です。
世間で最上のものであって、比べるものがありません。
天(神のこと)と人の中で最も優れています。
私に師はいません。
私に等しい物もいません。
私が一番尊い存在です。後略」


他の経典には、こうあります。(阿含経 S.XX.11.76.12)

「自分の教えに従って、五蘊の無常、苦、無我、
無我処を正しい智慧を以って如来に観じ、
ないし解脱し、ないし、更有(こうう)を受けずと自覚せる者たちは、自分と同じく
世間最勝者、阿羅漢、世間における無上の仏陀なり。」

この二つの経典で語られている通り、阿羅漢は、仏陀と同意語なのです。菩薩の下ではないのです。現代仏教学では、周知の事実なのです。
大乗仏教のかたがたには、早くこの点に気が付いていただきたいです。


それでは、どのようにして、聖者の4階梯に向かうのでしょうか。そこで、十結の論理が出てきます。

十結」(じゅっけつ)というのは、根本煩悩のことです。
煩悩は、108つあると言われますが、その根本となる煩悩のことを根本煩悩と言うのです。


煩悩が切れやすい順番から、

身見(しんけん)
疑惑
戒取(かいしゅ)
欲貪(よくとん)
瞋恚(しんに)
色貪(しきとん)
無色貪(むしきとん)
慢(まん)
掉悔(じょうけ)
無明(むみょう)

 の十個です。

それぞれの詳しい説明は省略しますが、
このうち最初の三つの煩悩を断ち切ると、
第一段階の聖者、須陀洹(シュダオン)に成るのです。
 
次に、欲貪と瞋恚が薄められてくると、斯陀含(シダゴン)に成ります。

さらに、五つの煩悩(五下分結)をすべて断ずると、阿那含(アナゴン)と成ります。

そうして、残りの五上分結もすべて断ち切ると、阿羅漢、仏陀と成るのです。


以上が、阿含経で説かれる、四沙門果十結の論理です。お気付きでしょうか。そうです。ここには、菩薩という言葉は、一切出てこないのです。

阿含経では、菩薩という言葉は、修行者というほどの意味で、重要な語句ではなかったのです。ですから、ここには、まったく出てこないのです。

菩薩を重要な概念に仕立て上げ、阿羅漢の上に据えたのは、後世の大乗仏教のでっち上げなのです。

大乗仏教は、阿含経のこれらの論理を、無視し黙殺したのです。
それは当然です。
これら四沙門果や、十結の論理が出てくると、この論理上で、さらに阿羅漢の上に菩薩を位置付けなければならないことになります。

そうすると阿羅漢にまだ煩悩が残っていなければならないことになります。
ところが、阿含経では、阿羅漢は、十結のすべての煩悩を断ち切った存在ですから、ここにさらに菩薩をのっけようとしても、もう煩悩は残っていないので、これはどうにもつじつまが合わなくなってきてしまうのです。

後世、中期大乗仏教は、勝鬘経(しょうまんぎょう)において、この十結の論理とは全く別に、
煩悩障(ぼんのうしょう)と所智障(しょちしょう)という煩悩を創作し、阿羅漢は、煩悩障は切れているが、所智障が切れていないので小乗の仏であり、菩薩 に劣るのだという理論を作り出しました。あとから煩悩の数を追加し、実に巧妙な理論ですが、しかし、この理論は、後世作られたでっち上げの理論であって、 全くのでたらめであるということが、現代仏教学ではすでに判明しています。

初期大乗仏教の法華経や浄土教には、この煩悩の説明すらなかっ たのです。阿羅漢にどんな煩悩が残っているのか、まったく説明ができていなかったのです。法華経、浄土教の欠陥です。ようするに、中期大乗仏教の勝鬘経に 至って、ようやく阿羅漢をおとしいれる菩薩理論が完成したというわけです。しかし、現代仏教学では、それらの理論全ては、、虚偽であることがわかっていま すので、もはや全く通用しません。 

もし、やるのであれば、十結の理論に煩悩を追加して、菩薩の方が、阿羅漢より上なのだと、言えば良かったのです。そうすれば、綺麗にいきます。
しかし、そうすると、こんどは、シュダオン、シダゴン、アナゴンの説明もしなければならなくなります。そうすると、菩薩、縁覚、声聞との関係も全く狂って きてしまいます。ですから、絶対にそれはしないのです。四沙門果の理論を、出してきたくはないのです。ですから、ただ単に、無視し、黙殺したのです。

法 華経、浄土教や密教などでも、お題目、お念仏や真言を唱えれば、来世、シュダオンの聖者になれるとか、設定できればよかったのでしょうが、そうすると上記 のような矛盾が出てきてしまうので、やはり、絶対にそれは出すことはできず、完全に無視、黙殺する以外に方法はなかったのでしょう。

それにしても、原始仏教・阿含経には、
聖者の階梯の理論があるのに、
大乗仏教は、現代において、これをどう説明するのでしょうか?

全く説明できないと思われます。阿含経の言うことは、方便だと侮蔑しても、この聖者の階梯の理論をどう説明できるのでしょうか?

どうしてもつじつまが合わなくなってくると思われます。
大乗仏教の修行者は、いつ、シュダオンなどの聖者になるのでしょうか?
全く説明がありません。
大乗仏教の虚偽は、もはや明白です。


大乗仏教は、悟りの階梯を具体的に説明できないので、来世いきなりブッダになれるような、
「頓悟説」(とんごせつ)を唱えますが、これは、まったくのでたらめです。
釈尊直説の阿含仏教は、上記のように、
段階を経て悟りを開いていく「漸悟説」(ぜんごせつ)なのです。    

釈尊直説の唯一の経典阿含経には、
十結の論理を含め聖者の概念がありますので、これを無視することは、全くいただけません。
どのような修行をすれば、どのような境涯に至り、死後どうなるのかという、具体的な説明がきちんとあるのです。   
    

また、阿含宗桐山管長のお話によりますと、
聖者になると、人体に特殊な現象が起きるのだそうです。人体から聖者特有の特殊なオーラが発生するのだそうです。

オーラの概念は、さまざまな宗教で説かれています。聖者が発生するものだとされてきました。しかし、近年では、人は皆オーラを持っていることが科学の進歩で分かってきています。
キルリアン写真などが有名です。

ただ、絵画や仏像などで、聖者特有の物とされてきたのは、実は間違いではなかったのです。
聖者には、聖者特有の特殊なオーラが有ったのです。

聖者の特殊なオーラは、四階梯によって、その色が違うそうです。悟りが深まるごとに、そのオーラの色とパワーが変わっていくそうです。
詳しくは、「間脳思考」をご覧ください。

日 本の大乗仏教は、阿含経の四沙門果の概念、聖者に4段階あることに、全く気が付くことが出来なかったのです。もし、霊視能力が有れば、上記のオーラの違い に気が付くはずです。ところが、ほとんど誰も霊視能力が無いか、あるいは、未熟だったために、聖者に4段階あることに気が付くことが出来なかったのです。 そうして、それを説く阿含経の四沙門果の真実を、見抜くことが出来なかったのです。

阿含宗管長桐山靖雄大僧正
「守護霊が持てる冥徳供養」からの引用です。

「聖者には、すべてオーラが輝く。
オーラのない聖者はいない。
昔からよく、自分を神であるとか、如来であるとか、仏陀であるなどと自称する人がいるが、本物か、偽物か、すぐわかる。
オーラが輝いているかどうかである。
霊眼を持っていると、すぐ見破ってしまう。

(聖者の)オーラを見ることが出来る霊能者は、日本に、私を入れて三人ほどいる。アメリカに五人、ヨーロッパに三人いる。もし、神を称する人がいたら、それらの人を呼んで、鑑定してもらったらどうだろうか。」


仏陀になる方法は、「七科三十七道品」(しちかさんじゅうしちどうほん)、しかありません。
さらに、仏陀になる前段階としての、
聖者になる修行法も阿含経には、説かれています。どのような修行をすれば、どのような四沙門果を得られるのか、修行の観点から詳細な記述がたくさんありま す。詳しくは、「仏陀の真実の教えを説く」をご覧になってみてください。また、画面下記の私の他の知恵ノートをご覧になってみてください。

阿含経を再認識すべきだと思います。
上記のように、
仏教徒の第一目標は、
三悪趣(地獄界、餓鬼界、畜生界)に落ちないように、
須陀洹(シュダオン)の聖者になることなのです。


以上、「間脳思考」などから引用しました。
(間脳の視床下部に、第三の目が有るのです。)

正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。   

合掌



阿含宗管長 桐山靖雄 大僧正猊下 プロフィール


桐山雄(きりやま せいゆう)

  • 中国・国立北京大学名誉教授
  • 中国・国立中山大学名誉教授
  • 中国・国立佛学院(仏教大学)名誉教授
  • サンフランシスコ大学理事
  • モンゴル・国立大学学術名誉教授・名誉哲学博士
  • モンゴル科学アカデミー名誉哲学博士
  • タイ王国・国立タマサート大学ジャーナリズム・マスコミュニケーション学名誉博士
  • ロンドン大学SOAS名誉フェローシップ
  • チベット仏教ニンマ派仏教大学名誉学長・客員教授
  • スリランカ仏教シャム派名誉大僧正
  • ミャンマー仏教界最高の僧位・法号を授受
  • 中国国際気功研究中心会長(北京)
  • ダッチ・トゥリートクラブ名誉会員(ニューヨーク)
  • 日本棋院名誉九段
  • 中国棋院名誉副主席

 


1983年 チベット政府より外国人初の高い僧位法号「一切萬霊守護金剛」を授かる。

 

1988年 チベット仏教界より僧位の師の位「阿闍梨位」を授受。

 

1991年 チベット仏教ニンマ派仏教大学名誉学長就任。

 

1993年 チベット仏教サキャ・ツァル派より、
金剛界・胎蔵界両部の伝法灌頂、継承者となる。

チベット仏教最高僧位「金剛大阿闍梨耶」と
法号「智勝光明大覚者(ンガワン・リンズィン・テンペル)」授受。

 

 
1999年 チベット仏教界から当代最高の人物に贈られる名誉称号「パンティッタ」を授かり、チベット仏教ニンマ派総本山ミンドリン寺で称号認証式拳行。



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 炎の祭典 第39回 阿含の星まつり

2012年2月11日(祝)午前7時30分

京都市山科区北花山(阿含宗総本殿境内地)

神仏両界大柴燈護摩供

(しんぶつりょうかいだいさいとうごまく)

http://www.agon.org/index_j.html

 

 

仏陀の真実の教えを説く〈中〉―阿含経講義
 
平河出版社

 



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