和束町白栖にある公園で「活道ヶ丘公園(いくじがおかこうえん)」ともいいます。
「活道」で「いくじ」って読むのは、万葉集に由来してます。
運動公園のはしっこに、大伴家持の歌碑があります。
我が大王 天(あめ)知らさむと思わねば おほにぞ見ける 和豆香杣山
訳:我が主君が、そこで天界を支配されようとは(そこに埋葬されようとは)思いもしなかったので、おろそかに見て過ごしてきた事だ、この和束の杣山を。
聖武天皇の皇子安積親王と大伴家持はとても仲が良く、藤原氏に対抗する天皇として、将来を期待していたようです。17歳の主君を突然亡くした家持の悲しみは相当なものだったのでしょう。
和束町はむかし「和豆香」と書いたそうです。杣山とは、寺社の建築や修繕に使う木材を切り出す土地の事で、昔は奈良興福寺の杣山だったそうです。現在も「杣田」という地名があります。
訳と解説は「茶源卿和束」のサイトから引用させていただきました。
和束町で働いてはいるものの、和束運動公園にいく機会はあまりなく、
歌碑があることも教えてもらうまで、気がつきませんでした。
先週金曜日(7月15日)午前6時30分、イベント準備の草刈で訪れ、
同日夕方もイルミネーション準備で再訪しました。
芝生広場界隈は緑がいっぱいで、とってもいいところですね。
早朝や夕方は、こもれびの中をさわやかな風が吹き抜けていきます。
和束町住民の憩いの場になってないのが、不思議なくらいです。
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