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「女なら(男なら)誰でもいいんでしょ?」って問いの無意味さ。

2010-11-11 15:36:09 | Weblog
■「女なら(男なら)誰でもいいんでしょ?」なんて言うのはダサいし、そんなこと問う相手と付き合ってるのもダサい。

 このヒトコトを言うってコトで、そのひとの多くのことがわかる。
 要するに生まれ育ちの類と、それをどれだけ学ばずに引きずってきちゃってるかということと。

 口にしちゃいけない本音の類だけれど、言ってしまえば、「そうです。」と。「誰でもいいんです。」と。

 それでその関係はパーになる。

 だからとりあえずはごまかしてご機嫌とるのが普通だよね。

■「自分じゃなくちゃならない理由」なんて、外に求めるのが無茶。

 それは自分の中にある。

 それじゃ、片思いじゃん、一人芝居じゃん、自己満足じゃん、意味ないじゃん、とか言われそう。

 「もっと自分だけを必要としてくれる相手のトコに行くわ。」ってことになる。

 わるいけど,それじゃまた繰り返すよ。
 そういうひとも,たくさんいるよね。

■恋愛にしても、結婚にしても、仕事にしても、「自分じゃなくちゃならない理由」なんてない。
 そもそも,自分がこの世に生まれてきた理由だって,いまこうして生きている理由だってないんだから。

 自分1人いなくなっても、その穴を誰かや誰かたちが埋めて行くもの。
 時間もかかるし、形もかわるけれど、何ごともなかったように、最初からそうだったかように、いずれなっていく。

■自分じゃなきゃ、こうじゃなきゃ、なんて自分だけの思い込みでしかない。

 カラダ壊すまで働く人、カラダ壊すまでスポーツなどの趣味をする人、たいていそうだ。
 そういうひとは、「自分だけ特別」ってのを信じてる。

 もちろん、養うべき家族があって、カラダ壊すほどに働かなきゃならない境遇のひとはいる。
 家族にとって,かけがいのない特別な存在だ。
 でも、あなたは違うでしょ?

■ではなぜ、ひとは「必要とされる」のか、「特別の存在」たりえるのか。

 それは、「相手に必要とされるようなことを日々してるから。」だよ。

 そして自分にとって必要な人を、人は愛する。愛するようになっていく。

 だから、相手にとって必要なことをすることが、自分にとっても楽しくやりがいのあるものでなければ、自分を必要としてもらうのには苦痛が伴うし,続かないよね。

 あー,もちろん,親と子の関係は別だよ。
 生まれて育つウチに互恵関係ってのができあがってしまってるんだから。

■だから「女なら(男なら)誰でもいいんでしょ?」なんて、まだ深くも長くも付き合っていないのに、問いかけるのは、自分が相手の役に立ててないってだけなんだから、問いかけ自体がナンセンスだ。

 相手のためにとやってるのに評価が無い、って思うのなら、それは自分が役立ってないから、もっと役立つ相手がいると相手が考えているからだから、退散した方がよい。

 でも、誰とつきあっても、退散し続ける人生になるかもね。

■だから,「どんな人が好み?」って質問もまた,意味があるようでないようなものだよね。
 だって,そんなん,外見でわかるようなものじゃ無いんだから。

 ただし,こういう質問を投げかけられたということは,相手が自分に対して好意的な興味を抱いてくれているってメッセージではあるから,喜んでいいんだ。

 要するに,外見だけじゃなくて,自分に必要なコトしてくれる人が好みになるんだけれど,自分が必要なことだって,そのときどきで変わっていくモノなのだから。

■あー,つまり,大切なのは,そばにいて不快に思わないってコトと,何かしてあげたときの反応が自分の好みだってコトなのかな。
 もちろん,そのためには外見もちっとはあるよね,体臭とか,習慣とか,それだけで自分に良い影響があるもの,逆に不快になってしまうもの,いろいろある。
 最初はそうでも許せるようになっていったりもするんだけれどね。ぜったいダメなのも無くは無い。

 そして,自分がその相手に「決める」ことだ。
 相手も自分に「決める」ことだよね。

 決めた中で,なんでも解決していくって,「覚悟する」ことだよね。
 そんな相手は1人だけだよ。
 だから,「誰でも良くはない」ってコトに,初めてソコでなる。

■それ以前に,「キミ(あなた)でないとダメ」って言えるとしたら,そこまで予測するだけの経験や勘が働いて,それを信じ切っているってことだよね。

 そりゃ,やっぱ無茶でもある。
 「やっぱ見込みが違いました。」っていつ言われるとも限らないからおっかない。

 しかし,それで「決めて」,その後に相手の何を知ろうとも,何が起きようとも,揺るがない覚悟を持てるひともいるかもしれない。
 それがつまり,「運命の出会い」ってヤツなのかもね。

※2010/11/17追記:早々にコメントいただいたので返答したいのですが,そもそも無記名ではいけません。毒っぽいときは特に。笑 卑怯とかよりも素性がわからないとあなたの論の立ち位置がわからず論をなしません。削除はしませんが保留にしておきますね。

離婚の原因、どう説明するかは迷います。

2009-06-25 00:28:14 | Weblog
■交通事故が片方の責任だけで起こらないように離婚もまたそうです。

 どんな無法な運転の車からも,自分は安全を確保できる運転をしなければなりません。自分にも避けられなかった責任は必ずあります。
 互いに無法でなくても,それぞれのほんのちょっとした原因で事故になります。

■出会う以前にそれぞれにその原因が含まれていたという面では同じですが、事故と違い離婚は出会ってからそれに至るまでの期間が長くあります。

 なんとかして防げなかったのか,自分へ問いかけは必ずあります。

 それがなく「相手のせい」「もらい事故」と言っているとするなら,それは交通事故と同じで繰り返します。

■ただ,「離婚したのは,あなたの側に原因があったんでしょうね。」と決めてかかられた場合,「それは何?」と問い詰められた場合,ハイそうです。これこれしかじかで,自分が離婚に追いやりました。自分が悪うございました。と整理して言える人(懺悔?)は少ないです。

 「もしあなたの方が原因だった場合は…」なんて脅かされるような状況だった場合,「悪いのは相手」と言ってしまうこともあるかも知れません。

■そもそも,離婚は「罪」ではありません。

 それぞれの至らない面が補いあえず,不幸にして表面化して問題化し解決不能になったということです。

 どちらかの何かが「悪い」から離婚したわけではないと思います。

 そのような尋ね方をしませんでしたか?

■逆説的に言えば、どちらかがひどく悪くても、もう一方がそれを気にしないか許容できてしまえば、平穏無事な幸福な家庭ってことになります。

 「普通の人」ならすべて普通で問題が無い、なんてことはありません。

 どんな人にでも固有の習慣や習性がある以上は、それぞれが時と環境と状況によって様々に変化していく生き物である以上は、誰にでも、もちろんあなたにも、離婚はじゅうぶんにあり得る出来事。

■離婚の可能性への不安を、結婚の判断基準にしてしまうのは、おいしい料理を味見無しで一発で成功させない限りは、一度たりとも料理をしたくないというのに似ています。

 食べたければ作ればいい、味見をしながら好みの味に直していけばいい。
 作る前から教科書通りのおいしさを実現することばかり考えていないだろうか。

 味見をして意外なおいしさに喜んだりする楽しみの方が、料理の醍醐味の気がします。

「独身?ならたくさんいるから紹介するわよ。」について。

2008-09-04 08:07:33 | Weblog
■先日近所の洋品店(ブティック)の店主さんにいつもどおり挨拶したらそんな言葉をかけられた。

 ふふん。
 それはねー,ムリ。
 と,内心思いつつ,出がけの立ち話。

■お一人で商売されている女性はコミュニケーション能力を発揮されている方が多いので,そう,他にも例えば,保険屋さん,宝石屋さん,化粧品屋さん…,そういうハナシを媒介される方も少なくない。

 でもねー,それは,イマドキ,ムリ。

 つまり,あれでしょ,常連のお客様の娘さんのハナシでしょ。

 「居心地が良すぎてもねー,いつまでいるのかしら」とか,
 「いい人がいれば良いんだけれどねー」とか,
 「うちの娘は奥手でねー,そんなことばかりしていて」とか,

 それはね,いいわけというか,娘を自慢するコトバの流れであって,本気でそうは思ってないんだなー。

 気だての良い娘に家事を手伝ってもらったり,買物や観劇や食事につきあってもらったり,時には一番親しい友人のように話し相手になってもらったり,おしゃれを楽しんだり,そういう幸せな日々を送ってますよ,という。

■これが母親でなく父親であっても同じようなもの。

 イマドキ,本気で娘を嫁にやろう,なんて考えている親はいない。

 もう完全に生活の中に組み込まれて,家事もなにもかも分業されているんだから,いまさら抜けられても困るしね。そういう事態を想像すらしていない。

 想像するとしたら,自分たちの老後も娘がそばで優しくしてくれるだろうってこと。

■娘はといえば,そりゃ,恋愛もしたいし,実際はしてるでしょう。ほとんどの場合。

 親御さんに会わせてることもあるでしょう。まずはそれとなく。

 ご両親もよほどでなければ,そこで諍いは起きない。

 「ボーイフレンドだねー。うちの娘にだってそのくらいはいなきゃね。」とかで受け入れてる。

 ときには,その男性の条件によっては,それもまた娘の自慢話に含めてあちこちにハナシをしてる。
 
 でも,それとこれは別。

 「そろそろいい歳だし,結婚もしたいなー,これが最後のチャンスかなー。」って,娘が思い始めていても,結局はまた元に戻る。

 そんな良い娘なら,親の気持ちを汲むのが当然だから。
 いままで,そうやってずっと子供の頃から,生まれたときから大切に育てられてきたんだしね。

■親が悲しむようなことが,なんでできるんだろう。

 親が反対しそうなこと,親の信じ切っている幸せを踏みにじるようなことを,どう,切り出し,どう,実行できるんだろう。

 今までずっと「親の幸せは自分の幸せ,自分の幸せは親の幸せ」ってやってきたわけでしょ。それを今更,どうできるってもんじゃない。

 それに,自分自身も,この環境を抜け出して,どうなってしまうのか,想像もできない。
 いままで母親の補助でしていた家事も,自分で全部しなければならないかも。
 その上,共働き?

■そうだね,親の世代まではだいたい好景気時代を経てここまで来てて,年功序列の賃金をもらえてて,勤め上げていれば退職金ももらえるし,その後の年金もまだもらえる。

 母親は,若い頃は仕事をしていたとしても,もう今頃なら専業主婦で,娘が家事を手伝うとしてもそれほど負荷を負わせないし,どちらかというと,旅行に行ったり,おいしいモノを食べたり,習い事をしたり,または教えたり,そんな暮らしをしている。
 そこへ娘も興味がある部分に相乗りして楽しんでられる。

■対して,結婚相手の世代の男性は,それらすべてが保証されていなくて,いまだって,どんな一流企業に勤めていても,明日はどうなるかわからんし,それなりの企業なら転勤や配置転換もいろいろある。
 サービス残業の日々の深夜帰宅で疲れ切っててセックスレスだったりもする。

 一流じゃなくても企業勤め,つまり正社員自体が少ない,派遣だったりアルバイトだったり。自活してる人はみな,苦労してる。

 自活していないとこれまた,男性側のその後の生活もなかなか想像できない。
 いままで自由にしていたお金はぜんぶ貯金にまわさなきゃならないから,楽しいことがずいぶんできなくなる。
 つまり,男性が同居状態だと,男性も家を出にくい。

 どっちの近所に住むか。
 どちらの親も子供を遠くへ手放したくなかったりする。

■もしも,それでも,娘が強引だったら,そりゃ,説得するよね。

 「わざわざそんな苦労を買いに出て行くのかい?」ってさ。

 「それでも」って聞き分けのないやんちゃ娘だったら,親御さんは策を講じるよね。
 なんたって,生まれたときから今までの何十年,生活を共にしていて,娘がいやがることも,怖がることも,ぜーんぶ,知り尽くしているわけだから,正面対決しなくても,あきらめさせるにはいろんな方法がある。

 いま頑張ってる仕事のこと,熱中している趣味のこと,暮らしている場所のなじんだ環境のこと。そもそも見合う相手なのかとか。

■確かにね,誰も得をしないんだよ。イマドキの結婚て。

 というか,それ以前に親元を出て自活することも,合理的なことじゃない。
 結婚したとして,子供をつくることもまた,合理的じゃない。

 どれもこれも,ライフステージをのぼっていく事柄では,お金がかかって苦しくなっていくばかり。

 ご両親が裕福なら,ご両親の望む相手との結婚はできるってことだね。
 ご両親が子の家庭まですべて自分事として組み立てていく。
 孫を作らせて孫の教育も含めてご両親の楽しみの中。
 そういう例も多いよね。

 でなければね,たいへんだ。
 それを楽しいって思えるまでには,けっこう隔たりがあるよ。

 それぞれがそれぞれの環境のまま,恋愛は楽しめるしね。

■ゴールがなければまた別れて次ってことになる繰り返しにはなるんだけれど,それがなぜかわかってる人はあまりないと思う。

 男(女)運がないとか,そもそも縁が少ないとか,出会い方がわるいとか,他に理由はいくらでも思いつくからね。

 それらを超えていくまでの動機が育めないから,時間切れして別れていくだけのことなんだけれど。

 そう,恋愛は,それぞれの環境を維持したままに行われるから,どちらかか両方の多少の環境の変化で,いままで会えたものが会えなくなったり,しちゃうからね。
 それぞれの環境を一緒にする,それぞれの現在の環境から抜け出して新しい2人の環境を作らない限りは,別れなくちゃならなくなるのは時間の問題なんだから。

■仕事を手伝ってもらっているもっと上の年齢のおばさま方,自分の親よりももっと年上の世代の方々は,もう,そういう「縁結び」のハナシは自分から進行はしない。
 「嫁もらわないとねー。」とか,「奥さんもらって手伝ってもらいなさいー。」とかは言うけれど,あくまでも他人事だ。

 自分の子供たちも,それなりにもう独立して生活してるし,そういうのを経て,どういうことだか,ちゃんと現状を把握してるんだと思う。

 間に入っても,紹介者の顔をつぶさないように気を遣わせてしまうだけだからね。
 うまくいかなければ,そう,どっちがどっちを気に入らなかったとか,そういうハナシになって,それぞれの家庭事情も知られることにもなるし,紹介者や親御さんの友人関係もいままでどおりでいかなくなることだってあるだろうし。

■つまりは,そう,それは,イマドキ,ムリ。

 縁を取り持ってありがたがられる時代ではなくなってしまってるんだなー。
 それは,チャレンジとして,あってもいいとは思う。

 自分も30歳を超えるあたりから,結婚ってものを現実として捉え始めて,それまでソデにもしなかった紹介とか,出会いの場とか出てみたし,それはそれで恋愛まではいくけれど,そこから先は結局はソコだ。

 そこを超えてこられちゃうほどの向こう見ずな娘さんはそうそういないし,自分みたいにひとつひとつ,正直に,誠実に,なんてやってたら,相手のご両親にも手の内が見えちゃうし,相手にも現実のキビシサがバレバレで怖がらせちゃってムリ。

■賭事やってたり働かなかったり酒飲んで暴力ふるったり,そんなオトコだってうまくごまかして進められた人の方が結婚しちゃってたりする。とっくに子供までいたりする。

 というか,そういう彼らは,自活するのが危うい,つまり,それが活路だから,もっと早い時点でいろんな策を身につけているんだな,きっと。

 極端には既婚なのにさらに他の女性と結婚を前提としたマジメな恋愛が成立してたりする。ツワモノ。

 いや,ちゃんとした人がちゃんと結婚もしてるよ。
 たくさんいる。

 成功した理由は,上記の困難をどう乗り切ったかって観点で聞いてみるとよくわかる。
 上記の論を裏付けるものであっても反するものではないはず。

■ただね,いまでもそういうハナシを持ちかけてもらえるってことは,少なくとも第一印象ではその女性(店主さん)のお眼鏡にはかなったってことだから,ありがたいことだし,少しは自信にしてもいいのかなって思うよ。

 結婚しない人生もあるし,それを決めてる同輩も多い時代とはいえ,もう少しチャレンジしてみてもいいかなって,自分では思ってる。

 恋愛はしていたいけれど,失恋はキツイしね。
 失恋がつらくない恋愛もどーかと思うし。笑

「好きなのにふる」ということ。

2008-08-26 06:18:27 | Weblog
■結局自分にはわからない。

 「好きなのに別れ話を切り出す」ってどういうことだろ。

 いや,自分もまたそういうことはある。
 が,自分の経験上にあるものは,「好きだったのにふる」だ。

 そのときにはもう肝が決まっているので,申し訳ないが自分には迷いはない。
 あるとしたら,いつでも自由になる相手を失うという未練。

 相手にも心がある以上,未練や惰性で続くモノではないのは自分もわかっているし,二股をかけるほど器用で無い限りは,自分にとっても続けることで良いことはない。

 お互い合意の上での完全に割り切ったセックスフレンドなんて,ほぼあり得ないと思うし,そんなんいた場合に次にマジメにお付き合いした相手にばれないなんてことは(自分の場合には)想像すらできないからしない。

 だから,好きあっていても,今後それ以上の関係になれないと思ったら,別れるし,そのときには,その理由もはっきりしてるから,こちら側としてはすっきりしている。

 こちらがすっきりしているから,相手側からはひどい男と思われようと,いくら泣かれようと,それでキリが付くわけで。

■逆に「好きなのにふる」という状態でふられたのは何度かある。

 女性ならではのことなのか。
 いや,本人の自由にならない事情によって,そのようにせざるを得ない場合か。
 男性にもきっとあるな。

 親の反対だとか,自分の仕事だとか,住む場所だとか。

 しかしそれらも,自分からしてみれば,自分でなんとかできる範囲のモノだ。

1)親は説得してみればいいし,最悪今理解が得られなくてもできることはできる。

 親の援助を受けずに生活できていれば,という前提はあるが,もしも2人ともその状態であっても,2人であれば2人分の生活をするくらい稼ぐのはさほど難しいことではない。もちろん,片方が自立できていれば,そこへ1人増えたところで大差ない。
 あ,自立していないところへまた1人転がり込む,ということもアリだ。
 親の反対があっても,さしあたっての解決策はいろいろあるってことだ。

 親の与えてくれた仕事や生活環境があって,それに未練があったりすると,ややこしくなるが,それは分解して考えればいい。次項に含まれる。

2)自分の仕事や住む場所などの環境は,そりゃ自分のエゴだ。

 エゴはエゴでいい。
 つーかそれがなければ悟りを得てるってことで。

 自分の目指してきた目標や,積み重ねてきたキャリアや,親が与えてくれているのも含めた居心地の良い環境を失いたくないという気持ちや,それらを失うことへの不安や恐れもあるだろう。

 で,それを通したいのなら,相手に融通してもらうしかないわけだから,相談して解決策を見いだせばいい。のに,相談前に別れ話を持ち出してくるというのが,「好きなのにふる」という場合だ。

 こちら側の様子を知っているから,相談前にくじけると言うことか。
 もちろん,こちら側にも続けてきた仕事や生活はある。無いヤツなんていない。

 で,その,相手を思い計って。

 なんだか余計な配慮だよね。

 相談前に天秤にかかって落とされちゃう自分もまた情けない。

 何でも相談して,やっていく姿勢がなければ,それからの長い人生もまたパートナーとして歩む場合に,困るんじゃないかと思う。

 こういう考え方だから自分は,「好きなのにふる」経験がないわけだ。

■いや,前述のように「好きだったけれどふる」なら,それでいい。
 自分の都合で。

 相談すると相手の生き方に影響を与えてしまうのも気が引けるし,自分の生き方も譲歩しないといけない部分もあるだろうから,ハナから相談せずに別れ話へとつながる。
 それはそれでいい。わかりやすい。
 前述のように相手との生活と自分のエゴを天秤に掛けて落としたわけだから。

 でも,別れ話を切り出しておいて,気持ちを断ち切るのに苦労してるのはなんだ。
 それはやはり「好きだったからふる」ではなくて「好きなのにふる」だ。

 そりゃ,いらない努力だし,いらない苦労なんじゃないのかな。

 お互いに好きあっていれば,解決していけるモノなんじゃないかな。

■つまり,やっぱり自分にはわからん。

 自分と同じようにそれでもやはり「好きだったからふる」でも,未練の引きはがしができないだけの状態なのか。

 とはいえ,お互い好きなわけで,ふられる側としても相手の気持ちがひしひしと伝わってきてしまえば,上手にふられることは難しい。

 好きな気持ちを引きはがそうとするほどに,その気持ちがどれだけ深く大きかったかというのも見えてしまうわけで。

■深読みすると,そうやって,思いを残しつつ別れることで,その先の「もしかしたら」を残そうという意図なのかな。

 一度は好きあって信頼関係を築けた相手を,自分のようにすぱっと切ってしまうのは,確かに,人間関係上は得策ではない気がする。

 得てして自分はそういう傾向があって,疎遠になってしまった友人もいたりするから,自分のこういう割り切り方が普通でないのかもしれない。その,「嫌うならき嫌っておけ」みたいな。

 どっちかの身勝手で別れるというよりも「お互いにつらいけれど別れたね。」としておくのが,確かにいい。

 でも,結局は「私の身勝手でごめんなさい。」とかは,言われる。笑

munelog-w スタート。

2008-06-20 19:40:38 | Weblog
Yahoo!ブログで続けていたmunelogを,Bloggerへ移転した。

 自分がブログを頻繁に更新するためには,ケータイからメールで投稿する必要があって,文字の情報が足りない分,写真を添付する必要があった。

 すると,ケータイメールは,写真データの分までパケット料金を計算してくる。

 ケータイをauからwillcomに変えることで,それが2900円の基本料金に含まれるようになる。いくらメールしても定額。

 これは,他社の最低基本料金+パケット定額料金よりも安く,使用パケット量が増え段階的に上限が上がっていけば,その差はさらに広がる。

■そのための最適なブログを探す際,実験を兼ねて,ミラーサイトをいくつもつくった。

 いまも,FC2や,livedoorや,Amebaや,Hatenaや,so-netに,ケータイ(willcom)からの投稿は,同時に更新される。

 メインのBloggerにのみ,追記したり,さらに写真を加えたり,PCから新たにエントリーを作ったりして完成させている。

■実験の中,このgooブログは,willcomからのメール投稿に対応しているものの,他のブログと同時には更新できないことがわかった。

 ここを,別の用途のブログとして,実験的に使ってみようと思う。

 そのように使っているのは,Yahoo!ブログでmunelogを始める前に作った2つのブログのみで,それらはmunelogとは別のタイトルがついている。

 ひとつは,社会的な内容を,もうひとつは,自分自身への問いかけや独り言を。

 今回は,munelog-wと名付けてみた。

 主に恋愛観や結婚観,家族,家庭,などについて書いていく。