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「好きなのにふる」ということ。

2008-08-26 06:18:27 | Weblog
■結局自分にはわからない。

 「好きなのに別れ話を切り出す」ってどういうことだろ。

 いや,自分もまたそういうことはある。
 が,自分の経験上にあるものは,「好きだったのにふる」だ。

 そのときにはもう肝が決まっているので,申し訳ないが自分には迷いはない。
 あるとしたら,いつでも自由になる相手を失うという未練。

 相手にも心がある以上,未練や惰性で続くモノではないのは自分もわかっているし,二股をかけるほど器用で無い限りは,自分にとっても続けることで良いことはない。

 お互い合意の上での完全に割り切ったセックスフレンドなんて,ほぼあり得ないと思うし,そんなんいた場合に次にマジメにお付き合いした相手にばれないなんてことは(自分の場合には)想像すらできないからしない。

 だから,好きあっていても,今後それ以上の関係になれないと思ったら,別れるし,そのときには,その理由もはっきりしてるから,こちら側としてはすっきりしている。

 こちらがすっきりしているから,相手側からはひどい男と思われようと,いくら泣かれようと,それでキリが付くわけで。

■逆に「好きなのにふる」という状態でふられたのは何度かある。

 女性ならではのことなのか。
 いや,本人の自由にならない事情によって,そのようにせざるを得ない場合か。
 男性にもきっとあるな。

 親の反対だとか,自分の仕事だとか,住む場所だとか。

 しかしそれらも,自分からしてみれば,自分でなんとかできる範囲のモノだ。

1)親は説得してみればいいし,最悪今理解が得られなくてもできることはできる。

 親の援助を受けずに生活できていれば,という前提はあるが,もしも2人ともその状態であっても,2人であれば2人分の生活をするくらい稼ぐのはさほど難しいことではない。もちろん,片方が自立できていれば,そこへ1人増えたところで大差ない。
 あ,自立していないところへまた1人転がり込む,ということもアリだ。
 親の反対があっても,さしあたっての解決策はいろいろあるってことだ。

 親の与えてくれた仕事や生活環境があって,それに未練があったりすると,ややこしくなるが,それは分解して考えればいい。次項に含まれる。

2)自分の仕事や住む場所などの環境は,そりゃ自分のエゴだ。

 エゴはエゴでいい。
 つーかそれがなければ悟りを得てるってことで。

 自分の目指してきた目標や,積み重ねてきたキャリアや,親が与えてくれているのも含めた居心地の良い環境を失いたくないという気持ちや,それらを失うことへの不安や恐れもあるだろう。

 で,それを通したいのなら,相手に融通してもらうしかないわけだから,相談して解決策を見いだせばいい。のに,相談前に別れ話を持ち出してくるというのが,「好きなのにふる」という場合だ。

 こちら側の様子を知っているから,相談前にくじけると言うことか。
 もちろん,こちら側にも続けてきた仕事や生活はある。無いヤツなんていない。

 で,その,相手を思い計って。

 なんだか余計な配慮だよね。

 相談前に天秤にかかって落とされちゃう自分もまた情けない。

 何でも相談して,やっていく姿勢がなければ,それからの長い人生もまたパートナーとして歩む場合に,困るんじゃないかと思う。

 こういう考え方だから自分は,「好きなのにふる」経験がないわけだ。

■いや,前述のように「好きだったけれどふる」なら,それでいい。
 自分の都合で。

 相談すると相手の生き方に影響を与えてしまうのも気が引けるし,自分の生き方も譲歩しないといけない部分もあるだろうから,ハナから相談せずに別れ話へとつながる。
 それはそれでいい。わかりやすい。
 前述のように相手との生活と自分のエゴを天秤に掛けて落としたわけだから。

 でも,別れ話を切り出しておいて,気持ちを断ち切るのに苦労してるのはなんだ。
 それはやはり「好きだったからふる」ではなくて「好きなのにふる」だ。

 そりゃ,いらない努力だし,いらない苦労なんじゃないのかな。

 お互いに好きあっていれば,解決していけるモノなんじゃないかな。

■つまり,やっぱり自分にはわからん。

 自分と同じようにそれでもやはり「好きだったからふる」でも,未練の引きはがしができないだけの状態なのか。

 とはいえ,お互い好きなわけで,ふられる側としても相手の気持ちがひしひしと伝わってきてしまえば,上手にふられることは難しい。

 好きな気持ちを引きはがそうとするほどに,その気持ちがどれだけ深く大きかったかというのも見えてしまうわけで。

■深読みすると,そうやって,思いを残しつつ別れることで,その先の「もしかしたら」を残そうという意図なのかな。

 一度は好きあって信頼関係を築けた相手を,自分のようにすぱっと切ってしまうのは,確かに,人間関係上は得策ではない気がする。

 得てして自分はそういう傾向があって,疎遠になってしまった友人もいたりするから,自分のこういう割り切り方が普通でないのかもしれない。その,「嫌うならき嫌っておけ」みたいな。

 どっちかの身勝手で別れるというよりも「お互いにつらいけれど別れたね。」としておくのが,確かにいい。

 でも,結局は「私の身勝手でごめんなさい。」とかは,言われる。笑