あるがまま日録

表題のとおり、日々思ったこと考えたこと、興のむくまま書き散らしています

米国の景気は家計の借金次第とは・・・

2015-05-26 17:19:39 | 考える上で大切な意見

産経新聞特別記者の田村秀雄さんは分かり易く経済の話をしてくれる。
米国経済は家計の借金次第だという。

借金が増えないと景気回復しない 日本ではいくらカネを刷っても…  20150501

 借金を、少し上品に言えば「債務」と呼び、「金融」とは債務のやりとりで、その場を金融市場と言う。市場を構成するのは、中央銀行が発行する無期限無返済無保証の永久債務証書(つまりお札)、政府の期限付き債務証券(国債)、企業による無期限債務証券(株式)、期限付き債務証券(社債)。さらに債務のやりとりに伴う損失のリスクをカバーする保険、デリバティブ(金融派生商品)もある。

 アングロサクソン(米国と英国)は基軸通貨ドル建て中心の債務市場を支配してきた。米国は戦後、世界を圧倒してきた産業競争力が低下し、日本などに圧倒されるようになると、1971年8月15日にドルと金(きん)のリンクを断ち切り、ドルを無制限に発行できる仕組みに変えた。                  

それまでも、すべての金融商品はドルに交換できたのだが、ドルは金の裏付けが必要だった。従って、当局は金融商品が増殖しないよう、規制をかけていた。ドルが金の束縛から開放されることは、すなわち金融市場の膨張を意味した。ニューヨーク・ウォール街とロンドン・シティ主導のグローバル金融資本主義モデルはこうして生まれた。

 他方で、鉄鋼、家電、自動車など産業競争力は日本などに押されっぱなしで、雇用や賃金水準の低下が進む。そこで、ワシントンは80年代から90年代にかけて、盛んに日本叩きを行ったが成果は出ない。90年代半ばの情報技術(IT)革命は産業全体の雇用・賃金の底上げには結びつかない。

 そんな中、2001年9月11日の同時中枢テロが起きた。家計消費が7割を占める米国経済を何とか支えてきた金融市場の中心がテロ攻撃に遭い、大きく揺れた。そこで当時のブッシュ政権が目をつけたのが住宅市場である。

(米国景気は家計の借金次第 データ:CEIC)

金融のからくりを使って家計による借金消費を容易にさせる。そのための規制緩和はクリントン前民主党政権当時、ウォール街出身のルービン財務長官が実行済みだ。低所得者向けの「サブプライムローン」の証券化商品も登場して、住宅市場に巨額のカネが投入されるので、住宅相場が上がる。銀行は値上がった分を前貸ししてくれるので、消費者は消費に耽(ふけ)る。

 この仕掛けは、住宅相場が下がり出すと破綻した。サブプライム危機、リーマン・ショックと続く。大恐慌になるのを防ぐ手段はただ一つ、連邦準備制度理事会(FRB)がカネ(永久無返済債務証書)を刷って金融市場に流し込んで、株価を引き上げてきたが、景気回復力は鈍かった。何よりも家計が債務を増やさないことには、消費が活気づかないのが米国だ。それが、最近になってようやく家計債務の伸びがプラスに転じた(グラフ参照)。

 わが日本では、日銀がいくらカネを刷っても、銀行は融資を増やさない。景気がよくならないはずだ。(産経新聞特別記者・田村秀男)


5/25の道新「風・歴史を直視しているか・・坂本和之」をよむ

2015-05-25 09:27:11 | 考える上で大切な意見

2015.05.25  快晴だが風強し

英国の歴史家E・Hカーは『歴史とは何か』の中で、「歴史は現在と過去との対話だ」と述べ、「過去は、現在の光に照らして初めて私たちに理解できるものであるし、過去の光に照らして初めて私たちの現在をよく理解できる」とする。

明治維新史研究の第一人者、北大の故・田中彰名誉教授はそうした言葉を引き「過去の事実を謙虚に見つめ、冷静に徹底的に分析することによってのみ、歴史は未来に生かすことが出来るのだ」とする。

人は誰しも自分の国の陰の部分は見たくない。自国の誇り高さを主張する方が気分はいい。しかし、見たくない歴史であっても正面から直視しなければ、そこから教訓を学ぶことが出来ない。

我々は軍隊に行ったことはないが、日本陸軍の自国の兵士の扱い、いじめ、暴力など日常茶飯事だったことは、体験者の手記その他でよく知っている。そんな軍隊が他国へ攻め入って行なった行為は簡単に想像できる。今の若い人々はそういったことすら知る機会はないであろう。そんな中、日本を美化する本やTV番組などが蔓延し、今朝に朝刊には桜井よしこ氏の「正義の嘘 戦後日本の真実はなぜ歪められたか」などの本の広告が大きく載っている。読んではいないが、書き方は想像が付く。このような本を読んで、都合の良い説明を鵜呑みにする危惧を、心から感じています。

翻って今の政権は、謙虚な姿勢で歴史を直視していると言えるのだろうか。
一昨年の国会答弁では「侵略の定義は国際的にも定まっていない」とも述べた。中国や東南アジアなどに多大の被害を与えたことが、まるで「侵略」ではなかったかのような発言ではないか。歴代内閣が継承してきた歴史認識が変質したと受け止められても仕方がない歴史観だ。

集団的自衛権の行使に道を開き、他国軍への後方支援を地球規模に広げることを柱とした新しい安全保障関連法案も、憲法9条改正を視野に入れた「お試し改憲」も、首相がこうした歴史観をもっていると考えればつじつまが合う。
秘密保護法や防衛予算の拡大、武器輸出禁止の緩和策もこうした歴史観と無縁ではあるまい。

安倍首相は戦後70年談話について「未来志向のアジアに向けた談話を出したい」と述べている。
だが、ドイツの故・ワイツゼッカー大統領はかつて「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となります」と演説をした。現在すら見えない人間に、果たして未来志向は可能だろうか。

「戦争はどの時代でも、平和の中でいつの間にか準備が進められるのが歴史の現実なのだ」故田中名誉教授は授業の中でこんな話もされた。

安倍首相は「この道しかない」と述べ、安保法制の必要性などを繰り返す。「この道」が改憲というトンネルをくぐり、知らず知らず「いつか来た道」に続いていないことを切に願う。

 


イギリス・オランダ・ベルギー・フランス、足して140才の旅 6

2015-05-03 13:41:48 | 読んだ本などの抄録

2014.09.13(Sat.)晴れ

さあ今日はロンドンを離れる日。4:30に起床してしまった。
宿泊してきたランカスターホテルはハイドパークの北側、目の前にあります。地下鉄に乗る度に毎日目にしているのですが、まだ一度も足を踏み入れておりません。ロンドン最後の日の朝の散歩に、7時半からハイドバークへ。

イギリスの公園の一般的なスタイルなのかも知れませんが、園内の小道には大きな木が連なりますが、この小道に挟まれた広場は一面の芝生です。グリニッジ天文台のあったあたりの公園もそんなスタイルでした。それにしてもリスなどが、人目も気にしないかのようの動き回っているのが印象的です。日本では有り得ない光景です。どうしてなんだろうか。

ユーロスターに初めて乗りました

9:20にセント・パンクラス国際駅に着きました。入るとすぐにネットで購入したA4 に印刷されたチケットでチェックインです。バーコードを読み取らすのですが、ちゃんこれで乗車できるのか少々心配でしたが無事通過。そのあとは荷物検査と出国審査。まあ飛行機に乗る感じです。結構な人が並んでいる。

そこを通過すると広い待合室。でも同じくらいの時間に出るパリ行とルクセンブルグ行のお客で一杯になります。10:58発のルクセンブルグ行のユーロスターに乗るのですが、なかなか出発ホームの発表がないので、ホームで出ることも出来ません。発表になったらホームに向かうお客で大混乱。

PC用の電源もあるし、昼食も出るので、1等車にしました。、横3列で広いようだがヘッドレストが異常に大きく、前後の幅も狭く、座った感じは意外と狭苦しい。車内のデザインもセンスがあるとは言えない。座った席は43と44、席の横に半分しか窓はなく見晴らしが悪くがっかり。窓は雨粒の跡に埃がついて汚れてきたない。
発車予定時刻の10:58になると何の合図もなしに、スルーと出発。

車体は古いのかもしれないが、日本ほど長くない車両の内部の前後には、横揺れ低減のためか天井と左右の壁と床をつなぐフレームが設置されている。トンネルに入ると耳が痛くなる。2007年にヴェネチアからミラノまで乗ったイタリアの列車はきれいでなかなかセンスフルだったが・・・。この車両はイギリス風なのかなあ。
11時半頃軽食が出たが、あまり美味しいものではない。

1時間25分ほどで、フランス側のリール・ユーロップ駅に着き、ブリュッセルには14:05に着いた。時差が1時間あるのでロンドンからの所要時間は2時間ほど。ここでパリから来るタリスに乗り換えてAMS(アムステルダム)に行くのだ。
着いた駅はブリュッセル南駅なので、観光地の旧市街地に行こうと、荷物を預けにコインロッカーに行った。サイズにより値段が確か2,3,4ユーロと違うという表示だが、どれがどのサイズなのか表示が分かりにくい。コインもないので両替したいと思ったが、見渡したところ両替機はちょっと見つからなかった。少し歩くと預かってくれそうなところが見つかった。お願いしたらなんとか話が通じた。1個4ユーロ。

     出かける前にトイレに行こうとしたが、有料0.5ユーロ、コインがないとは入れない。そばに両替機があったが、5と10ユーロの紙幣が両替できるとあるが、20ユーロしか持っていないのでコインにできない。荷物を預けたところに頼んだら両替をしてくれ無事トイレを済ませた。ちょっと両替機の機能が不足。

パリから来るタリスへ乗り換え

     そんなこんなで時間を取られ、ブリュッセルの都心に行く予定はやめた。次のパリから来るタリスに乗り換えてAMSに向かうのに時間的な余裕を持った方が良さそうなので・・・。
タリスの着くホームに行こうと表示を見たら、ホームは5Aとの表示、5番ホームにAとかBがあるのか。なんだかよく分からないので、タリスのチケット売り場できくと、そこのエレベータに乗れという。とにかく行ってみようとエレベータに乗る。ドアを閉めたが動かない。行先表示のペイントがはがれよく見えない。ということに気が付いてとにかくボタンを押した。5-6番ホームについた。

     5Aホームというのがよくわからない。ホームには列車が止まっている。ホームの前の方に駅員らしいのがいたので聞いたら、タリスはネクストの汽車になるし、5Aにいけという。たしかに5Aという表示はあった。そこでいいのか何となく不安。そのうちにホームの小さな表示板に案内が出た。それにより想像できたのは、パリからのタリスが入ってくるが、途中でドイツのケルン方面に半分が分離する。AMSにいくにはAゾーンに泊まる車両に乗りなさいということで、後ろの方のB ゾーンに止まる車両はケルンに行きますよということのようだ。

     初めての土地ではこんな単純なことでもいろいろ気を揉まなくてはならない。
AMS行のタリスは15:52に出発しました

     AMSへの列車でビールでも飲もうと駅のスーパーでビールを買ったが、ブリュッセルからのタリスでは、発車するとすぐにビールなど飲み物とサンドイッチ、ケーキなどのサービスが始まった。イギリスからのユーロスターの昼食より内容が豊かな感じ。
内外装は赤い色でユーロスターより客室内の雰囲気はいい。しかしトイレは汚く、中のダストボックスのドアが閉まらず、屈んで手で押さえないとトイレのドアを開けられない。
タリスも車体の外部はほこりまみれで汚く、窓も汚れている。

     この二つのヨーロッパの新幹線での経験でしかないが、日本の新幹線の綺麗さは大したものです。

     AMSには16:30につきました。すぐスキポール空港へ行く電車に乗り換え。空港のヒルトンホテルが今晩の宿泊先。これから1週間同行する息子の大介・友貴子夫婦が夜中にエアロフロートでここに到着するため、このホテルにしたのでした。

それにしても、ヨーロッパのホテルは高い。ロンドンのランカスターは3星だが、部屋は3泊するには十分だったが、朝食付きでツイン1泊30000円、AMSのヒルトンは朝食無しで39900円、部屋はランカスターより少しだけ広かったが・・・。日本だとツイン15000円程度の部屋だ。

今回の旅の目的・・・三度目の正直

一応の最終目的は、世界一美味しいといわれる羊の肉・プレサレを食べることでした。
食べに行こうと最初に計画したのは2011年の10月でした。息子夫妻も同行してくれることになり、彼らは安い切符を手に入れていました。我々はもう長時間トイレに行くのもままならないエコノミーは勘弁して貰い、JALのマイルでプレミアムエコノミーを1席確保し、もう1席有料で確保していました。
だが、 ヨメさんの母親が肺がんで入院し、危険な状況なのでとうとう旅行を断念。

息子夫妻はキャンセルが出来ない航空券なので、そのままパリへ旅発ちました。JALは有り難いことにキャンセルを無条件で受けてくれて、マイルはそのまま戻してくれ、1席の航空代金は返金になりました。母は11月18日に亡くなりました。

父も94歳、早めにフランスに行こうと、再度フランス行きの計画を立てました。2012年の3月15日の出発にしました。ラッキーなことにJALの戻されたマイルは、戻された日から3年間の有効期間になり、手元のマイルと合わせると、プレミアムエコノミー2席確保できることになりました。フランスにはとても行きやすくなりました。

12月23日に母の49日の法要が玉野で予定されていましたので、弟の神戸のマンションを借りて年越しをすることになり、25日から神戸に滞在していました。帰りは京都に1泊し、娘家族の居る瀬戸の中水野に寄って2012年の1月10日に敦賀からフェリーで札幌に戻りました。

1月7日にこの京都で激しい胃痛に襲われました。3時間ほど我慢していましたが、未だかって経験したことのないほどの痛みで、痛みは背中の方まで広がり、ホテルに戻って痛み止めを飲もうとタクシーに乗りました。しばらくすると吐き気がしてビニール袋に出しましたが、それでさっと痛みが引きました。何だったのでしょう、その時はまるでわかりません。ただ出てきたものは、昨夜ホテルで食べた大量の餃子です。

1月14日に親父がインフルエンザで入院し、更に肺炎にまでなりましたが、10日後には元気に退院してきました。大したものです。3月にはなんとか行かなくてはと、2月8日に問題が無いかどうか、掛り付けの恵佑会病院で肝臓・膵臓・胃の検査をしましたが、問題点は出てきませんでした。

ところが、2月28日に胃痛が始まりました。体は猛烈にだるく、熱を測ると40度近い。恵佑会病院に駈込み診察してもらうと胆石だという。胆嚢摘出をするという。その日は手術前の検査を受けて帰宅。29日も手術前検査、だが途中発熱し、吐く。胆嚢炎で緊急入院をする羽目に。

急いで胆嚢を取ってもらって、3月15日にはパリに向いたいと先生に頼んだが、血をサラサラにする薬を飲んでいるので、1週間は手術が出来ない。更に胆嚢摘出は、胆嚢炎が治らなければ手術は出来ない。その為には1週間は絶食しなければならないという。手術日は早くて3月15日だという。
ということで、2回目のフランス行もキャンセルする羽目に。再び息子夫婦は二人で仏蘭西旅行。

そんなわけで、同行者の息子夫婦はフランスはもう行くところはないというので、今回のフランスは最後にプレサレと同じ飼育環境のソム湾のクロトワ村に寄ってエストランというブランド肉を食べることにし、前半はオランダとベルギーをめぐる旅となった。

息子夫婦はエアロ・フロートで成田からモスクワ経由AMS到着だが、JALはAMS直行便が無いので、往きはロンドンに着いてAMSに移動し、帰りはパリから羽田に戻ることにした。

 

 


浦河西舎の優駿ロードの素晴らしい桜並木

2015-05-03 10:35:39 | 読んだ本などの抄録

2015.05.03〈日〉晴れ、風強し

先月13日から京都に入って、咲き残っている桜を辿ったのでしたが、なんとも不満の残る旅でした。その穴埋めに、静内の圧倒的ボリュームの二十間道路の桜を見に行きました。

渋滞に引っかかることを避けるため、4:23に出発。さすがあまり車はなくすいすいと到着。次回はもう1時間は遅らせても十分。

日高道は富川から日高門別まで開通しており、残りは僅か、6時半前には悠々到着でしたが、何かおかしい。以前来た時は桜木の圧倒的迫力、その延々と続く圧倒感に感動したものです。今回は、まだ満開ではない所為もあるのか道路の広さが目立つ。それと病気なのか花の付いていない古木も多い。花のトンネルもトンネルという感じも無い。

なんとも心が満たされないので、1時間以上も離れた浦河の西舎に向かった。優駿の里アエルの手前から軽種馬育成センターまで、まだ満開前だが、見事な桜のトンネル。
静内が期待はずれな要因がママさんから指摘された。静内の木は昔に比べ大きくなって花の付いている位置が高くなっており、道路の広さも相まって迫力に欠けたようだ。また古くなって歯抜けの木も多くなっている。

優駿桜ロードと銘打っているそうだが、素晴らしいの一言。アエルの施設も立派。人ごとながら運営は大変なのではないかと感じた。もっと宣伝が必要。

帰り道、荻伏の「はまのかあさん」でウニを食べた。荻伏のバフンウニは1個300円、6㎝ほどで小さい。少々しょっぱいのと磯臭さがすごい。

12時過ぎ、初めて早来の「鶴の湯温泉」に寄った。大きな池のに面し北海道らしからぬ風情、風呂は硫化水素泉というので期待して入った。大きな湯船が一つだけ。湯の色は薄い茶色。基本は炭酸水素塩も入った塩泉、硫化水素が僅か含まれているようだが、ほとんど匂いはしない。循環湯のせいか・・・。