2014.09.13(Sat.)晴れ
さあ今日はロンドンを離れる日。4:30に起床してしまった。
宿泊してきたランカスターホテルはハイドパークの北側、目の前にあります。地下鉄に乗る度に毎日目にしているのですが、まだ一度も足を踏み入れておりません。ロンドン最後の日の朝の散歩に、7時半からハイドバークへ。
イギリスの公園の一般的なスタイルなのかも知れませんが、園内の小道には大きな木が連なりますが、この小道に挟まれた広場は一面の芝生です。グリニッジ天文台のあったあたりの公園もそんなスタイルでした。それにしてもリスなどが、人目も気にしないかのようの動き回っているのが印象的です。日本では有り得ない光景です。どうしてなんだろうか。
ユーロスターに初めて乗りました
9:20にセント・パンクラス国際駅に着きました。入るとすぐにネットで購入したA4 に印刷されたチケットでチェックインです。バーコードを読み取らすのですが、ちゃんこれで乗車できるのか少々心配でしたが無事通過。そのあとは荷物検査と出国審査。まあ飛行機に乗る感じです。結構な人が並んでいる。
そこを通過すると広い待合室。でも同じくらいの時間に出るパリ行とルクセンブルグ行のお客で一杯になります。10:58発のルクセンブルグ行のユーロスターに乗るのですが、なかなか出発ホームの発表がないので、ホームで出ることも出来ません。発表になったらホームに向かうお客で大混乱。
PC用の電源もあるし、昼食も出るので、1等車にしました。、横3列で広いようだがヘッドレストが異常に大きく、前後の幅も狭く、座った感じは意外と狭苦しい。車内のデザインもセンスがあるとは言えない。座った席は43と44、席の横に半分しか窓はなく見晴らしが悪くがっかり。窓は雨粒の跡に埃がついて汚れてきたない。
発車予定時刻の10:58になると何の合図もなしに、スルーと出発。
車体は古いのかもしれないが、日本ほど長くない車両の内部の前後には、横揺れ低減のためか天井と左右の壁と床をつなぐフレームが設置されている。トンネルに入ると耳が痛くなる。2007年にヴェネチアからミラノまで乗ったイタリアの列車はきれいでなかなかセンスフルだったが・・・。この車両はイギリス風なのかなあ。
11時半頃軽食が出たが、あまり美味しいものではない。
1時間25分ほどで、フランス側のリール・ユーロップ駅に着き、ブリュッセルには14:05に着いた。時差が1時間あるのでロンドンからの所要時間は2時間ほど。ここでパリから来るタリスに乗り換えてAMS(アムステルダム)に行くのだ。
着いた駅はブリュッセル南駅なので、観光地の旧市街地に行こうと、荷物を預けにコインロッカーに行った。サイズにより値段が確か2,3,4ユーロと違うという表示だが、どれがどのサイズなのか表示が分かりにくい。コインもないので両替したいと思ったが、見渡したところ両替機はちょっと見つからなかった。少し歩くと預かってくれそうなところが見つかった。お願いしたらなんとか話が通じた。1個4ユーロ。
出かける前にトイレに行こうとしたが、有料0.5ユーロ、コインがないとは入れない。そばに両替機があったが、5と10ユーロの紙幣が両替できるとあるが、20ユーロしか持っていないのでコインにできない。荷物を預けたところに頼んだら両替をしてくれ無事トイレを済ませた。ちょっと両替機の機能が不足。
パリから来るタリスへ乗り換え
そんなこんなで時間を取られ、ブリュッセルの都心に行く予定はやめた。次のパリから来るタリスに乗り換えてAMSに向かうのに時間的な余裕を持った方が良さそうなので・・・。
タリスの着くホームに行こうと表示を見たら、ホームは5Aとの表示、5番ホームにAとかBがあるのか。なんだかよく分からないので、タリスのチケット売り場できくと、そこのエレベータに乗れという。とにかく行ってみようとエレベータに乗る。ドアを閉めたが動かない。行先表示のペイントがはがれよく見えない。ということに気が付いてとにかくボタンを押した。5-6番ホームについた。
5Aホームというのがよくわからない。ホームには列車が止まっている。ホームの前の方に駅員らしいのがいたので聞いたら、タリスはネクストの汽車になるし、5Aにいけという。たしかに5Aという表示はあった。そこでいいのか何となく不安。そのうちにホームの小さな表示板に案内が出た。それにより想像できたのは、パリからのタリスが入ってくるが、途中でドイツのケルン方面に半分が分離する。AMSにいくにはAゾーンに泊まる車両に乗りなさいということで、後ろの方のB ゾーンに止まる車両はケルンに行きますよということのようだ。
初めての土地ではこんな単純なことでもいろいろ気を揉まなくてはならない。
AMS行のタリスは15:52に出発しました
AMSへの列車でビールでも飲もうと駅のスーパーでビールを買ったが、ブリュッセルからのタリスでは、発車するとすぐにビールなど飲み物とサンドイッチ、ケーキなどのサービスが始まった。イギリスからのユーロスターの昼食より内容が豊かな感じ。
内外装は赤い色でユーロスターより客室内の雰囲気はいい。しかしトイレは汚く、中のダストボックスのドアが閉まらず、屈んで手で押さえないとトイレのドアを開けられない。
タリスも車体の外部はほこりまみれで汚く、窓も汚れている。
この二つのヨーロッパの新幹線での経験でしかないが、日本の新幹線の綺麗さは大したものです。
AMSには16:30につきました。すぐスキポール空港へ行く電車に乗り換え。空港のヒルトンホテルが今晩の宿泊先。これから1週間同行する息子の大介・友貴子夫婦が夜中にエアロフロートでここに到着するため、このホテルにしたのでした。
それにしても、ヨーロッパのホテルは高い。ロンドンのランカスターは3星だが、部屋は3泊するには十分だったが、朝食付きでツイン1泊30000円、AMSのヒルトンは朝食無しで39900円、部屋はランカスターより少しだけ広かったが・・・。日本だとツイン15000円程度の部屋だ。
今回の旅の目的・・・三度目の正直
一応の最終目的は、世界一美味しいといわれる羊の肉・プレサレを食べることでした。
食べに行こうと最初に計画したのは2011年の10月でした。息子夫妻も同行してくれることになり、彼らは安い切符を手に入れていました。我々はもう長時間トイレに行くのもままならないエコノミーは勘弁して貰い、JALのマイルでプレミアムエコノミーを1席確保し、もう1席有料で確保していました。
だが、 ヨメさんの母親が肺がんで入院し、危険な状況なのでとうとう旅行を断念。
息子夫妻はキャンセルが出来ない航空券なので、そのままパリへ旅発ちました。JALは有り難いことにキャンセルを無条件で受けてくれて、マイルはそのまま戻してくれ、1席の航空代金は返金になりました。母は11月18日に亡くなりました。
父も94歳、早めにフランスに行こうと、再度フランス行きの計画を立てました。2012年の3月15日の出発にしました。ラッキーなことにJALの戻されたマイルは、戻された日から3年間の有効期間になり、手元のマイルと合わせると、プレミアムエコノミー2席確保できることになりました。フランスにはとても行きやすくなりました。
12月23日に母の49日の法要が玉野で予定されていましたので、弟の神戸のマンションを借りて年越しをすることになり、25日から神戸に滞在していました。帰りは京都に1泊し、娘家族の居る瀬戸の中水野に寄って2012年の1月10日に敦賀からフェリーで札幌に戻りました。
1月7日にこの京都で激しい胃痛に襲われました。3時間ほど我慢していましたが、未だかって経験したことのないほどの痛みで、痛みは背中の方まで広がり、ホテルに戻って痛み止めを飲もうとタクシーに乗りました。しばらくすると吐き気がしてビニール袋に出しましたが、それでさっと痛みが引きました。何だったのでしょう、その時はまるでわかりません。ただ出てきたものは、昨夜ホテルで食べた大量の餃子です。
1月14日に親父がインフルエンザで入院し、更に肺炎にまでなりましたが、10日後には元気に退院してきました。大したものです。3月にはなんとか行かなくてはと、2月8日に問題が無いかどうか、掛り付けの恵佑会病院で肝臓・膵臓・胃の検査をしましたが、問題点は出てきませんでした。
ところが、2月28日に胃痛が始まりました。体は猛烈にだるく、熱を測ると40度近い。恵佑会病院に駈込み診察してもらうと胆石だという。胆嚢摘出をするという。その日は手術前の検査を受けて帰宅。29日も手術前検査、だが途中発熱し、吐く。胆嚢炎で緊急入院をする羽目に。
急いで胆嚢を取ってもらって、3月15日にはパリに向いたいと先生に頼んだが、血をサラサラにする薬を飲んでいるので、1週間は手術が出来ない。更に胆嚢摘出は、胆嚢炎が治らなければ手術は出来ない。その為には1週間は絶食しなければならないという。手術日は早くて3月15日だという。
ということで、2回目のフランス行もキャンセルする羽目に。再び息子夫婦は二人で仏蘭西旅行。
そんなわけで、同行者の息子夫婦はフランスはもう行くところはないというので、今回のフランスは最後にプレサレと同じ飼育環境のソム湾のクロトワ村に寄ってエストランというブランド肉を食べることにし、前半はオランダとベルギーをめぐる旅となった。
息子夫婦はエアロ・フロートで成田からモスクワ経由AMS到着だが、JALはAMS直行便が無いので、往きはロンドンに着いてAMSに移動し、帰りはパリから羽田に戻ることにした。