仙台東一番丁(大正~昭和の初期)
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かもうな(1)
一場の夢
文化12年(1815)春は朧 春告草が咲いている。
仙台藩士、いや隠居の身、高橋治郎左衛門82歳は老いた身を床に伏し。
肩に灸をしていた。近頃は軀の節々が痛い、とくに右首筋から右肩にか
けて痛む。諦めが肝心肝心と心に言い聞かせると少しは楽になるから不
思義なものだ。
ふと李白の「静夜思」を思い出す。
床前看月光 しょうぜん月光を看る
疑是地上露 疑うらくは是れ地上の露かと
挙頭望山月 こうべを挙げて山月を望み
低頭思故郷 首を低れて故郷を思う
我の人生とは如何なるものであったろうかまさに、浮世は夢のごとし一場の春夢だ
無我夢中で暮らした若い時代、老いをしり老いを迎えた昨今、まだ答えはでていない。
眠い
治郎は見た
遠くに馬がいる、「すず風」だろうか、確かに馬だ。
馬が嘶いている。なぜここに「すず風」がいるのだ。
すず風が
治郎は深い眠り入った。
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