いろんなことしても実にならない
買うだけ買って…
参加するだけ参加して…
いろいろするが、満たされない
何しても満たされされない寂しいままだ
そんな体験したことないですか?
探して探して探し回って…いろいろやって来たけど、満たされない…満足出来ない…
そんな気持ちになったことないですか?
この幸せになりたいと思う気持ちは、ではどこから沸いてくるのか?
それは原動力である幸せを求めている気持ちがそうさせるのだ。
そしてその気持ちの大概は、傷付いた気持ちが幸せを求めているのだ。
しかしその事に気付かないで幸せを求めているやそこに歪みが誤差が出来てくる。
だが達成されなかった気持ちが達成出来たら、満足であるけれど
負けて怨みに思った気持ちが原動力だったら、勝ったこと達成出来たことよりも、悔しい思いの傷付いた気持ちが癒されなければ、癒されるまで、戦い続けてしまう。
寂し気持ちがパートナーを見付けても、寂しい気持ちが満たされないと幸せにはならない。つまり寂しい思いのキズ付いた気持ちが癒されてないかぎり、現実の幸せを味わえないのである。
過去の亡霊をちゃんと昇華、成仏出来ないと今の喜びを心から味わえないのだ。
だから幸せなのにわからないけど不安で不安で、虚しくて寂しくて…
っていう気持ちが沸いてくる、顕れてくるのだ。
またその寂しい思いの傷付いた気持ちの本能は満たそうとガッツク、入れて入れて手に入れて、奪い取っていく、寂しい悲しい気持ちからの怒りになると…だから平気で奪いとったり、他人のものを欲しくなったり、自分のもの欲つまり所有欲が強く強く強くなる。
つまり、わがまま度は寂しさ満たされたい気持ちからの怒り度が高いと人を傷付けてしまう結果を招くのだ。
誰も傷付けたくないと思いそう選択したいのならば、自らの怨みや怒りの気持ちに気付きクリアにすることしかないのだ。
あれまたそれた。
よいしょ!もとい
寂しい気持ちを癒さないと解決しない
そのポイントに気付かねばならないのだ。
幸せになりたいと望む気持ちは寂しさなどの気持ちのキズからならば、キズを見付けて理解して癒さない限り、望む幸せは手に入らないのだ。
何を望んでいるのか?
つまり どんな気持ちがそれを望んでいるのかを知ることが重要であり、幸せになれる近道であるのだ。
そうなると
癒される事がどれだけ重要であるか
キズ付いた気持ちは癒される事だけを望んでいるのであるのだ。
最終結論から言うと、今の出来事で過去のキズも同時に癒される事が一番の理想だと言うことだ。
今の幸せを感謝し過去の寂しさを癒せれたら良いよね。
合掌。
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