(写真の赤丸印の内側が「五島列島」)
「離島巡り」の達人”原人”さんに同行して、
「五島列島」へ行って来ました。
日本には約”420”の有人島がありますが、
原人さんは、これまでに”130”の有人島を
踏破しています。
原人さんに同行しての離島巡りは、壱岐島
(長崎県)に続いて2回目です。
五島列島は、古来、大陸交流の中継地だったため、
数多くの遺跡が点在しているので楽しみです。
また、近年、五島列島の教会群の世界遺産推薦が
決定したので、世界遺産に正式決定する前に、
ここのキリシタン教会群を巡っておきたいです。
早朝に、羽田空港から、福岡空港乗り継ぎで、
五島列島へ向かいます。
羽田空港(6:40)→(8:30)福岡空港(8:50)
→(9:20)福江空港
新横浜から始発のリムジンバスに乗り、6:10に
羽田空港に着きました。
6:40発の福岡空港行きに乗る予定ですが、
カウンターが混雑していて、なかなか前へ
進みません・・・
「6:40までの出発の方は優先窓口へご案内
します。」との係員の案内で、優先窓口へ
移って搭乗手続きをします。
手続きが終わったのは6:30過ぎだったので、焦る
気持ちで手荷物検査を受けて搭乗口へ走ります!
搭乗口に着いたのは6:40で、我々が最後の乗客
でした!
羽田を飛び立って暫くすると、右手下に富士山が
見えました!
福岡空港で、福江行きのプロペラ機に乗り換え
ます。
久し振りのプロペラ機です。
離陸すると、飛行機の窓から、真横に、車輪を
格納する様子が見られました!
パンフレットは手作りで、機内は家庭的な雰囲気
です。
(ORC航空の機内パンフレット)
上の写真は福江空港の上空です。
朝9時過ぎには、早くも、五島列島・福江島の
福江空港に到着しました。
「五島列島」は上五島と下五島に分かれますが、
「福江島」は、下五島の中心で、人口3万7千人、
古来、大陸交流の中継地として栄えました。
そして、福江島の中心である「福江」の街は
「福江藩」の城下町です。
「福江藩」は、最少人数の「大名行列」で
有名です。
最大は加賀藩で約4,000人ですが、記録によると、
福江藩の大名行列は、何と!、37人です!
先ず街の中心にある「福江城」(石田城)を
見物に行きます。
「福江城」は、福江藩・五島氏の居城で、築城当時
は海に面する海城でした。
築城の際には、海岸沿いには、上の写真の常夜灯
「常灯鼻」も建てられました。
また、幕末の異国船の来訪に備えるため、城内
には台場(砲台)が設けられました。
実は、福江城は幕末の1863年に築かれた”日本
最後の城”、つまり”日本で一番新しい城”です。
城の完成までに14年もの歳月も要しましたが、
1872年に明治政府により解体されたので、僅か
9年しか存続しませんでした。
現在は、本丸跡に「県立五島高等学校」、北の丸
跡に「五島観光歴史資料館」が建てられています。
上の写真の北の丸跡にあるお城を模して作られた
「五島観光歴史資料館」に入って、島の
歴史・産業に関する資料やビデオ、五島で
行われてきた捕鯨の道具などを見物します。
(230円)(館内撮影禁止)
資料館から、隣の本丸跡の県立五島高等学校の
校門を見に行きます。
上の写真の様に、高等学校の正門は福江城の城門
です。
通りかかった礼儀正しい高校の生徒に聞いてみる
と、五島には高校が3校あり、ここは進学校
なのだそうです。
福江城を出て、福江の街のメインストリート
である商店街へ向かいます。
写真は、何と!、五島のお盆の念仏踊り
「チャンココ」を模した公衆電話です!
ここの商店街は、写真の様に、お洒落で快適な
買い物が出来る商店街なのですが、残念ながら、
ご多分に漏れずシャッター通りと化しつあります・・・
商店街のアーケード通りを抜けたところにある
「武家屋敷通り」へ向かいます。
中級以下の武士が住んでいたという武家屋敷通り
には、城下町の情緒が漂います。
下の写真の石垣は、塀の上に「こぼれ石」と
いわれる丸石を積み重ね、両端は蒲鉾型の石で
止められているのが特徴です。
「こぼれ石」は、外部の侵入を音で知らせたり、
合戦の際には石つぶてとして使用されたそうです。
午前中に、福江の市街地の見物を終わり、午後は、
キリシタン・クルーズに乗船するために福江港へ
向かいます。
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