ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その30)( 出雲崎:妻入りの街並み )(新潟県) 2019.4.9


( 写真は、「出雲崎代官所」の入口で、立ち上がって

    観光客を迎える「代官」)


新潟県の「出雲崎」(いずもざき)は、佐渡ヶ島から、海を

隔て50キロ余り、「佐渡金山」から産出される「金」の

陸揚げ港でした。

このため、幕府は、佐渡と同様に、「出雲崎」を、幕府

直轄地(7万石)にして「出雲崎代官所」を置きました。

また、出雲崎は、北国街道の宿場町でもあり、更に、北前船

の発着の港でもあったので、大いに繁栄しました。



我々のバス旅行は、道の駅の「越後出雲崎・天領の里」で

下車して、「天領出雲崎・時代館」に入ります。

( 500円)

 

入口では、次頁の写真の様に、「出雲崎代官所」の

ロボットのお代官様が立ち上がって、我々を迎えて

くれます。


出雲崎代官所の最初の代官の高田小次郎は、当時、出雲崎

では民衆の力が強かったので、「橘屋」を名主にして、

強い民衆を治めようとしました。

そして、幕末の最後の代官は、代官所が官軍の襲撃を受けた

とき、一切の記録を焼き捨てて、新潟方面へ敗走した

そうです。




(出雲崎の宿場町の入口の番人)

時代館の館内には、出雲崎の往時の町並みが再現されており、

また、佐渡への航行に使われた御奉行船の大型模型など、

当時の様子が展示されています。


(古道具屋)



(将軍名代の巡見使が、出雲崎から佐渡へ渡航する際の行列)

 

また、時代館の隣は、「出雲崎石油記念館」(共通入場券)

で、日本で初めて石油採掘をした出雲崎の石油に関する

資料等を展示しています。

石油記念館の道路向いには、「石油産業発祥地記念公園」が

あります。

出雲崎では、江戸時代から、石油が湧出することは知られて

いましたが、明治維新になって石油ランプの時代になると、

急速に石油の需要が拡大しました。

この波に乗って、出雲崎の海岸を埋め立てて、石油の

機械掘りをしましたが、そのときの”石油を掘っていた

櫓”の跡が次頁の写真だそうです。




時代館を出て、「妻入りの街並み」を散策します。

出雲崎の町並みは、”鰻の寝所”の様に、間口が狭く

奥行きの長い「妻入り」の構造で、これは、江戸時代に、

”出雲崎が越後一の人口密度”を誇った繁栄の名残り

なのです。

今も、約4キロにわたる「妻入り」の町並みが残っており、

見応えがあります。













上の写真は、「旧新津邸」で、出雲崎出身の実業家である

新津恒吉が所有していた邸宅です。

ちなみに、新津恒吉は、「昭和シェル石油」の前身の

新津石油の創業者です。

上下の写真は、観光案内所の「妻入り会館」で、

ボランティアのおじさんが、出雲崎の観光スポット

について解説してくれます。




妻入りの街並のなかほどに「芭蕉園」があります。

「芭蕉園」には、写真の「芭蕉像」があり、その奥に、

芭蕉の「銀河ノ序」(注)の全文が刻まれている碑が

あります。


(注)「銀河ノ序」
芭蕉門下の許六が、芭蕉門下生の句を集めた俳文集

「本朝文選」(風俗文選)には、出雲崎に深い感懐を

抱いて書いたという芭蕉の序文(銀河の序)が掲載

されています。

奥の細道の本文中には、芭蕉は、越後路について1行も

書いていないものの、越後路で下記の2句を詠んでいます。

”荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)”(芭蕉)

 (眼前の日本海には荒波が立ち騒ぎ、その彼方には幾多の

    悲しい歴史を秘めた佐渡島があり、仰ぎ見ると、七夕の

    夜空には、年に一度、牽牛と織女が出逢うという天の川が

    横たわっている。)

佐渡は、古くからの流刑地で、順徳院、日蓮などが罪人

として島に流されています。

”文月(ふみづき)や 六日も常の 夜には似ず”(芭蕉)

(いよいよ明日は牽牛と織女の2星が会う七夕だと思うと、

  今宵も、普段とは違って、華やいだ気分に感じられる

  なあ。 )


この芭蕉園の斜め向かいの家が、芭蕉が宿泊したと言われて

いる「大崎屋」の跡らしいのですが、何の表示もありません

・・・

また、出雲崎は、「良寛」(りょうかん)の生誕の地でも

あります。

良寛は、芭蕉よりも百年あまり後の人ですが、歌を詠み、

書をしたため、一生清らかに暮らした和尚として有名です。

「良寛」は、ここは出雲崎の名主の「橘屋」の長男として

生まれました。

「橘屋」は、出雲崎の初代代官・高田小次郎が、名主に指名

したほどの名家でした。


上の写真は、その「橘屋」の屋敷跡で、現在は、写真の

「良寛堂」が建っており、そこに、佐渡を見つめる

良寛の銅像も建っています。

我々のバス旅行は、「出雲崎」の妻入りの街並みを抜けて、

隣町の「柏崎」へ向かいます。


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コメント一覧

ウォーク更家
芭蕉の句は超えられない
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
荒海と佐渡にかかる天の川を詠んだ句は、ホントに雄大で、真似が出来ないスケールの大きさです!

侘びさび極めて、独力で格調高い俳諧を築きあ上げたのも凄い話ですが、その後、数百年もの間、芭蕉を超える俳人が現れないというのも、これまた凄い話しです。

確かに、芭蕉の句を、現代の我々が楽しませてもらえることは、素晴らしい事で嬉しいです。
tadaox
芭蕉の句はいいなあ
佐渡にかかる天の川を詠んだ芭蕉の句は、雄大でかつ詩情にあふれていますね。ほれぼれします。
もう一句、「文月(ふみづき)や 六日も常の 夜には似ず」は、深い、深い。
その後の多くの詩人が誰ひとり芭蕉を超えられない。
その人の句を楽しませてもらえることは、何よりの喜びです。
ウォーク更家
鰻の寝所
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、”荒海や・・・”の有名な句は、この辺りで詠んだらしいです。

ええ、”鰻の寝所”のような出雲崎の町並みが、延々と続くのには感動しました。
ホントによく残っています!
もののはじめのiina
(ウォーク更家) さん へ
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/845dacdd2b0b89568995a12564a7aecf
”荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)”(芭蕉)
あまりにも有名な句です。^^

”鰻の寝所”のような出雲崎の町並みが、ずいぶんと残っているのですねぇ~♪



ウォーク更家
出雲崎と佐渡
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
私も、昔、金山見物のため、ジェットホイルで佐渡に渡ったことがあります。

日本国中を予約なしの旅行とは、旅慣れていますね。
しかし、野宿を含むとは、若い!

私は、野宿は、学生時代に1か月間、北海道旅行したときだけです。

それにしても、定年後に外国旅行へ60ヵ国も行かれたというのは、驚くべきバイタリティーです!
hide-san
出雲崎
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
出雲崎にはボクは音連れていませんが、
佐渡には思い出があります。

長岡まで出張で来ていたので、今のカミさんと結婚前に旅行をしました。

もうジェットホイルの船がありました。
予約もなしで佐渡について観光をしていたら夕方になり、
やむなく一泊しましたが、混んでいて泊まる所が無く、
布団部屋でもいいからと無理やり頼んだら、
相部屋でもよいと言うお客さんがいて、
そこに泊まりました。

以後、結婚してからも予約なしの旅行がカミさんのお好みで、野宿を含み、日本国中をよく旅しました。
若かったですね。
定年後は外国旅行を60ヵ国して、カミさんが乗り物酔いになって、以後中止しました。
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