diary of planet

仕事で感じたこと、つづってます

みんなと生活すること

2006-01-26 | Weblog
痰吸引必要な女児の保育園入園、東大和市に拒否認めず (朝日新聞) - goo ニュース

ニュースを見ていたらこんなニュースが目に飛び込んできた。
気管切開をしている子は喉の部分を隠してしまえば
他の子とはなんらかわりのない子だった。

すごくびっくりしたのは、気管内吸引を5歳の女の子が
ひょいとやっていることだ。
なれた手つきでやっている姿には目をまあるくした。
気管内吸引なんて私たちはお金をもらってやっていることだからだ。

あの子はこれから大変な経験をする。
きっと物珍しがられる。
不当な評価を受けることもある。
心無い言葉の攻撃を受けることもあるだろう。

私が小学生だった頃のお話。
知的障害者の子が同じ学校にいた。
そしてその子は両親の希望で普通学級だった。

そこにあったのは「いじめ」だった。

その子が泣いてない日は見たことなかった。
それでも普通学級に通っていたがいつからか
特別学級に通うようになっていた。
それでも心無い子はいじめていた。
だけどある日から変わった。
それはその特別学級の先生がかわってからだ。

前のようないじめはその先生になってからなくなった。
その先生がどんなアプローチをしたのか
子供の私には分からなかったけど、
その先生になってからは雰囲気が変わった。

やっぱり周りの人のアプローチの仕方が重要だと思う。


吸引をしているあの子は知的障害があるわけではないから、
勉強面で何かを言われることはないと思う。
でも心無い言葉に苦しめられることはあると思う。
だからといって彼女の生活の幅を狭める権利は誰にもない。

私が思うのは、彼女が大きくなって
「保育園に通えて本当に良かった」って心から思える
生活を送れたら良いなって思う。

大人にならざるを得ない

2006-01-18 | Weblog
長期入院中の女の子。
あまりの大人っぽさに幼稚園生であることを忘れる。
他の子に比べるとびっくりするくらい大人でおしゃま。
着替えも恥ずかしがる。

その女の子はお家の都合で家族が
ずっと付き添いをすることができない。
だけどおりこうさんにお部屋でお留守番ができる。
こんなとこからも幼稚園に通っていることをうっかり
忘れてしまいがちだった。

そんな女の子が風邪を引いた。

元々易感染性の副作用がある薬を飲んでいるため
風邪を引かないように風邪っぴきの子がいない
部屋で入院していた。
廊下を歩くにもマスクをしていた。
ふつうだったら子供はそのマスクも嫌がる。
こどもはなぜそのマスクをするか理解出来ないから。
なぜつけているか分からないから不快で泣いてしまう。
でもその子は嫌がることなくきちんとマスクをしていた。
しかし、風邪を引いてしまった。


今の季節、おそろしくインフルエンザウイルスが流行っているため、
念のためインフルエンザチェックをした。

それは綿棒よりちょっと細い棒をぐりぐり
鼻の奥にいれるもの。
大人でも「ふがっ」といいたくなるような検査。

誰の付き添いもなかったため、その子はひとりで
その検査に臨むこととなった。
そして私はその処置についた。

その綿棒を鼻の中に入れたとき、
その子は苦痛な表情になった。
でも手でそれを払いのけようとはしなかった。
それをしてはいけない、というのをきちんと理解していたからだ。

とても頭のいいその子は検査の後、
必死に涙をこらえていた。
話しかけても何も答えず、ただ涙をこらえていた。


「泣いてもいいんだよ?
 すごく辛い検査だったんだから泣いて当たり前なんだよ?」

そういって頭をなでたら涙があふれてきた。

胸がしめつけられた。
きっと「お留守番」をしているうちに
泣かないということを覚えてしまったみたいだ。
家族が付き添いにつけないのはどうしても仕事を休めないから。
何度も入退院を繰り返していてそのつど
休みをとっていたら仕事を失ってしまう。
そしたら生活が出来なくなってしまう。

そこまで考えているかはわからないけど、
その子はたぶん、家族が困るというのは分かっていて
「いかないで」といわないんだと思う。
わがままも言わないんだと思う。

だから泣いてる姿を見たとき、すごく胸が痛くなった。

病気によって彼女は大人にならざるを得なくなった。
誰のせいでもないその病気。

そしてその子が言った
「おおきくなったらかんごふさんになる」

この言葉にはどんな意味が含められているのか。
知りたい。

子どものせいじゃない

2006-01-17 | Weblog
看護室のとなりの部屋は重症の子がいる部屋で、
その名の通り、重症部屋といわれる。

重症部屋ではよく挿管される子をみる。
むかしはその姿にびっくりしていたが、
最近は普通に見ている。

そんな自分にちょっと引いたりもしている。


挿管されてるときは、その空気の通り道である管を
ぬかないように、つまりは動かないように
抑制までされているので、
色んな意味でかわいそうに見える。

その姿がかわいそうで仕方なかった。
けどそれよりも人命。
いつからか、それでもわずかに動いている姿に
安堵すらしている。

他人の私だってこうやって色んな感情を抱く。

だけど身内である家族でも、
自分の子供が大変な状態であるのに
面会にも来ない。
何も感じないのだろうか。

その子は乳児院に預けられている。

とてもかわいい赤ちゃんは今、
挿管され、がんばっている。

その子の両親は一体今何をしているんだろう。

自分の子供がそういう状況にあることを知らされて
いるのだろうか。
知らずに必死にどこかで生きているのだろうか。
それとも知っても何にも感じず生きているのだろうか。

それを思うと不思議でたまらない。

好きなんだって♪

2006-01-15 | Weblog
仕事中、入院中の男の子(小学生)に
肩をどつかれた。

「え?いきなりなにするん!!」と言うと

その男の子はふら~っとどこかへ行ってしまった。

年頃の男の子は難しいなぁと思っていたら、
どうやら誰かが

「好きな看護婦さんをポンと叩いてきて」と言ったらしく。


きゃはっ
好きなんだって!私のこと

しかも二十歳に見えるんだって!

でも後から聞いた話によれば
他の人も二十歳に見えるんだってさ。
切ないのぅ

こどもの恋の対象になるってなんだかどっきどき。
将来期待を裏切らないようにしよーっと