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竜王 天に昇る

2020年07月23日 | 新たまにっ記

2020年7月13日午後23時32分、横浜市の介護付有料老人ホームにて父が亡くなりました。
父は昭和10年11月生まれ、生きていれば今年85歳の誕生日を迎えていました。
中国籍だった祖父と日本人の祖母の次男「陳 秀雄」として生まれた中国系ハーフ、第二次世界大戦が開戦する四年前でしたから幼少期は差別などを受け大変苦労したと想像します。
終戦後しばらくして祖父は川崎に移り、そこで喫茶店を足がかりにして遊技場を始めました。
勝戦国とはいえ当時の中国人が出来る仕事と言えば、中華料理などの飲食店かまたは日本人が忌み嫌うような事でしか商売にならなかったそうです。
そのころ川崎界隈には戦後日本復興を支える京浜工業地帯があり、そこで働く労働者と大勢の外国人が住んでいて大変賑わっていました。と同時にカスリを求めるヤクザ者も増えて遊技場を営む祖父家族は毎日が修羅場だったそうです。
祖父は色々と伝説を残しましたが、しかし遊技場が軌道に乗り富を得ます。
成り上がりの祖父一家は華僑の例にならい、大陸から移民してきた多くの中国人を助けてきたそうです。
そんな家で育った父もまた祖父のように豪快な人生を歩みました。
父は三浦半島小網代湾でヨットを始め、そこでヨットレースにのめり込みました。
海外の最新レース艇設計図を元に製造した「竜王丸」「ふじ」「竜王」と乗り継ぎ、日本のヨットレースを勝ちまくって1968年メキシコオリンピックにも出場を果たします。
ヨットが一段落すると今度は車、82歳で運転が危険だからと私に取り上げられるまでに乗り継いだ車は数十台を数えます。
免許証失効後も自宅の庭でオープンカーを乗り回すんだ!と夢見ていました。
乗り物好きは陸・海に留まらず空にも憧れ、ウルトラ・ライトプレーンの製作キットを海外から取り寄せました。
キットを別荘の居間で組み立てながら、操縦ライセンスを得る為に訓練していたようです、しかし病気もあって完成やライセンス取得までは至りませんでした。
晩年、父はゴルフ中に脳梗塞をおこし半身麻痺になりましたが、気落ちすることもなく自らリハビリを重ねてすぐに一人で歩き回れるようにまで回復しました。
自宅マンションは9階にありますが、東日本大震災直後の停電でエレベーターが動かなくなる前からリハビリと言って階段で上り下りしていたので困らなかったそうです。
しかし梗塞の後遺症は後を引き、転倒骨折、慢性硬膜下血腫、狭心症、認知症を患い、昨年に誤嚥性肺炎で入院してからは元々の糖尿病も相まってみるみると悪化していきました。肺炎は回復したものの認知症が進み、入院生活も相まって全身の筋肉も衰えてしまいました。病院から施設に移り点滴で栄養を取りながらほぼ毎日看護に通う母と9ヶ月間を頑張り、最後は眠りながら母に看取られました。
葬儀は偶然にもお寺の都合で二年前に癌で亡くなった私の兄の誕生日に決まり、お盆で帰ってきた兄が父を迎えに来たのかも知れないなと思いました。
お墓は故人の希望もあり、南麻布の光淋寺に祖父の代から続く陳家の墓へ入ることになりました。
戒名はヨットの名前から一字、車好きで多くを語らず悟りを得た雲のような人柄だと言うことで「竜道院悟雲秀雄居士位」を授かりました。


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