母が75歳のときに父が亡くなり、3番目の妹が
「息子のために家に来てやって~」と同居を試みたのですが、一月も経たないうちに母は、
「ここには娘家族の生活だけがあって、私の生活がないから連れて帰って~」
と奈良に電話がありました。
それから以後は 母の元に娘が足を運ぼうと申し合わせをしたのです。
こんな時は4人姉妹は心強いですよね~
私は長女の責任から在職中から毎月2日間くらい週末に帰り、家の外回りの清掃をしていました。
母の1人暮らしが出来ないと感じたのは82歳の時で、
福岡の叔母を亡くしたことが引き金になったように思われます。
以来、独居生活は無理となり1年早く退職して母の支援を心がけてきました。
実家を気にする嫁は返してしまえ~と義母が留守中に大騒ぎしていると言うことには
全く気付かない暢気者だったのです
連れ合いの大きな傘の下で、思い通りに親孝行のできる境遇を喜んでいたのですからね
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uraさん、おはようございます♪
何よりもうれしいお便りをありがとうございます。
ずいぶんご心配をおかけしてしまいましたねえ~
めったにあることではないですものねえ~
これまでの5年間の介護の付けが今出てきた感じです。
でも、親孝行が出来るのは娘しかいませんものね!
この信念のある限り、私は間違っていなかったと思いたいです。
4人姉妹の長女という自覚が自分を追い詰めていたのかもしれません。
それを分かってくれていたのが連れ合いでしたから、母の嫌味や愚痴から私を守ってくれたのでした。
美容院の先生から忠告してもらったのがきっかけで、父の30年祭の翌日に連れ合いと
ゆっくり話し合う時間が取れたのです。
この辺りのこともわかってくれていましたか?
私のうわさは鬼嫁としてひどい人だといわれていると聞かされ、ショックだったと話しました。
連れ合いは家の中だけでの悪口で済んでいるのならと、今まで聞き流してこれたけど、
親類も近々若いもんに意見をしにくるというし、
地域の面白おかしいうわさの種にされている事実を知りました。
このまま我慢させて奈良に縛り付けておくより、人生の第一幕の勤めも立派に終えたのだから、
それぞれの親はそれぞれで見たら良いから~と言ってくれました。
大分に行けば奈良が、奈良に居れば大分が気になるだろうし、毎月の移動もこれからの体力の
限界になるからねと諭してくれました。
嬉し涙のこぼれる思いでした。
憎み合いいがみ合っての別居ではありませんから、息子たちも了解です。
私の名誉を守るために束縛から解放してくれました。
しんどいことはすべて連れ合いにおんぶにだっこです。
5年間という目安を決めて安心の毎日を過ごせています。
5年経ったら話し合おうという約束で、今は娘に戻っています。
大きな荷物を背負って懸命に前向きに生きてきましたが、ちょっと人生の中休み~
母と向き合って、13年の孤独を癒してあげていたら母の精神も正常に働けるようになってきています。
補聴器は本人のプライドによるのか触ろうともしないし、母の頑なな思い込みが見向きもさせないのだと思っています。
でも、姉妹がお祝いに良かれと思って一番素晴らしい贈り物として一致した意見だったことは
うれしい思い出として忘れないでいたいです。
母が元気になってくれていることが何よりものご褒美です!
uraさんがうれしく自分のことのように感じてくださっていることも、もっちゃんには尊くありがたく
すばらしい友だとうれしく心を揺さぶられています。
花公園の楽しさを日記にしようと朝起きて思ったのですが、uraさんのメールに出会い、
数多くのuraさんがもっちゃんの友に居てくださいますので、今日の日記はそのお礼を兼ねて、
「もう大丈夫よ~♪ いつものもっちゃんですからね~(^^)v」
とお伝えしたくなりました。
返信を日記にすることをお許しくださいね~
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