人間賛歌・もっちゃん4649

第3幕と名付けようと (追憶の日々)


第1幕を現役の期間

第2幕は退職してからの往復介護の期間


そして母の介護に専念しても良いという許しをもらえたこれからを

第3幕と名付けようと思っています


充実した日々の現役時代でした

生徒に癒してもらいながら コロコロと笑いの絶えない毎日でした


そのころ 要介護1の認定が 退職する1年位前からはじまり

どこまで認知症が進むのか 不安な気持ちを抱えていました


1年早い退職でしたが 独居の母を体調が悪いと知りつつ 月曜日の勤務のために

奈良に帰るときなどは すべてを放り出してしまいたい心境でした


お茶や水を飲みたいと思っても 自分が動かないと誰にも 手助けをしてはもらえません


奈良での大家族を経験しているから よけいに孤独の辛さが堪えて 感じられたのでしょう


「もう、今年一杯で辞めてもいいかしら?」と 年末に 

連れ合いに話しかけたのを思い出します


「おう、もう良いんじゃない♪」と すんなり認めてくれました


築150年の農家の家は 8部屋もある広さでした

母が使っているのは3部屋で 北側の寒いところが居間となり

明るい日差しの部屋は 座敷や広間となっていてお客さん用です


お風呂も段差があり 母の足腰を思うと バリアフリーの家を

まず思い切って新築しようと思い これも連れ合いは 二つ返事で認めてくれました


母はこの旧い家とともに 朽ちていきたいという考えでした


「妹たちが故郷に帰りたいときに 家がなかったらかわいそうだから 私の別荘として

建てるのよ♪」と説得したのです


「ヒロちゃんの別荘の留守番をするからね~」と 受け入れてくれました


毎月の給料は 生活の足しに使ったので 退職金は付録のような感覚に思えたのです


老後の小遣いは年金があるし まとまったお金は 息子たちに悪い影響を与えるかも・・と

現金は持ちたくありませんでした


別荘として別の形にしておいたら みんなが利用してくれます

バリアフリーの家なら将来の自分のためにも!


思い通りに振舞うことが出来 ルンルンの2年半が経過しました

まさか!

どす黒い煙がくすぶり始めていようとは・・・


すべてに恵まれている奈良の母と 実家の母は 同じ大正5年生まれ

介護にかける比重も半々ならば 不公平感も出ないだろうにと思っていました


ところが全くの計算違いだったのです


実家のことは 少しも気にかけてはいけないという掟があったのでした


それを理解できていなかった私の負け


掟に従う気などさらさらないし 好きなように後は頼みますと

さっさと見切り発車をしてきました


「血圧の変化もかなりあり そう長く親孝行は出来ないと思う!」とヘルパーさんの弁です

本当に良い選択ができたと喜んでいます


悔いのない人生なんて 選択を間違えると取り返しのつかないことが多々あります


これでよかったんだと いつも喜べる延長線上に 私の人生はありました

間違いのない選択ができたと 連れ合いの決断に感謝しています~♪


昨日は母を乗せてお悔やみに行ってきました

「お気の毒なことで~

私よりも11歳もお若いのに~」と涙を流してお別れしていました


認知症の母はその時はいませんでした

元気な時の母でした


大きな恩返しが出来たと実感できたのです~


タマノウラです





PS

置手紙のことづて欄が不具合中ですので、

コメントの設定を開始したいと思います。


皆様のお声を楽しみにお待ちしています(*^_^*)




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