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人間賛歌・もっちゃん4649

あっぱれな老い方の手本 (2006年5月の自分史)

  
 入梅したようなお天気が続いています。

肌寒くって床暖房を母の部屋には入れています。


台風1号が発生したようですよ。


妹が金曜の夜に来てくれるということを繰り返し話してあげています。


「あと二つ寝ると、お母さんの一番会いたい人が来てくれるからね~」

「だれ~?」

「さあ、だれでしょう~? 一番会いたい人は誰だか 言ってご覧?」

「・・・・」


「さあ~?」と考えていますが、名前が出てきません。


見かねて、

「ヨウコさんよ~」と教えてあげます。
「そうねえ~」とにっこり


でも、その繰り返しがエンドレスなのです。

その都度 初めて聞いたというように喜ぶから、それを重ねて 繋いであげたらいいのよね~


ドライシャンプーをしてショートカットをしてあげました。

軽くウエーブがあるのできれいにまとまるのですよ~


我ながら上出来だと内心うれしくなりました~(^^)

鏡を持たせて見せてあげると何回も覗いて喜んでいます。


お化粧は最近は忘れているようです。

ブラシで髪をセットするのも見かけません。

オシャレが大好きでしたが 着るものにも執着しなくなってきました。

パジャマのままでも平気で半日過ごすことが多いのです。


介助してあげると にこにこと喜んで素直に従って、着せ替えしやすいようにと

体や手足を動かしています。


ズボンをはくときは腰掛けているので両足をあげようとするから、

「片方ずつ上げるといいのよ~  両方いっぺんにはけないでしょ~?」

「ヒロちゃんが穿かせやすいかな~と思って・・・」


まだまだ気遣いもあるし、感謝も労いも残っています。

あっぱれな老い方だなあと感心してみているのです。


人を傷つける言動は一切ない人生を送っている人だと思います。

いろんな考え方があるからね~

いろんな生き方があるからね~


私が不足たらしく感想を述べていると、さりげなくたしなめてくれていることがよくあります。


ツバメが玄関に巣を作りたくって何度もやってくるが、平らなところがないので諦めていました。


換気しようと半時間くらい扉を開けておくと、家の中まで舞い込んで場所を探していたのです。


母にそのことを言うと、「ツバメにも巣が要るからねえ~」とぽつんと一言。


私は「そうねえ~ 糞をするから汚いし、油断できないわね~」

という返事を期待していたのに・・・


考え方の基本が全くかけ離れていて見事なんですよ~

何かにつけて


思いやりや慈愛の積み重ねで生きると、こんな老後になれるのかな~と

感心しながら見ています。


自分の親を褒めるのはおかしいと思うけど、ここらで感じたことを言わなかったら

溜まりすぎますからね~


どこにも痛みがなくて、苦しいとかの病気もありません。

あるのは喜びと感謝の気持ちだけの毎日です。


あっぱれな老い方のお手本を見ているようなんですよ~


たくさん学びたいわね~




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コメント一覧

もっちゃん
91歳を見事に
http://blog.goo.ne.jp/mottyann4649
そうだったのですか~

認知症は奇声を上げる人や財布がなくなったとか泥棒呼ばわりするとか暴言を吐くとかさまざまな様相を示すようです。

母の場合は静かな人でしたから、声が出る間は夜中でも起きている気配がして、何か聞こえると思っていると、戦友の一節を歌っていることが多かったです。

まもなく声を失っていましたから声を出す元気も無くなっていったのでしょうね~

お母様が名前を忘れてしまったのはだんだん物忘れが進んできている表れでしょう!

愛しい我が子の名前も言えなくなるなんて辛いことですが、生まれてきたときのように一人となって旅立つ用意かもしれませんね~

静かに灯火が消えていくように穏やかなお迎えの時までを 安らかな気持ちで過ごしていただきたいと思います。

母は全く何の変化もなくいつも通りの朝を迎え、朝食を摂りはじめた時に、痰が絡み始めたので吸入器で取っていただこうと訪問看護さんに電話をして待っていたのです。

抱きかかえるようにして背中をトントンしていたのですが、20分ほどできて下さった看護師さんは主治医の先生に連絡をして往診いただき、それが静かな最期でした。

腕に抱かれている間は顔を見つめてありがとうを何度繰り返していたことかしれません。

分かったから、もういいよ~と止めても止まらなかったのです。

不思議と声が出ました!
最期に伝えたかった言葉が耳元に今も響いています。

あっけないくらいの最後でしたが、楽になってよかったねって喜びすら感じました。

寝返りも打てなくなり、身動きできない辛さをいつも眺めていましたからね~

瞬きだけで意思表示をしていましたから、とても可哀相でした。

毎日お世話なさっている妹さんも静かに心構えができていくはずです。

もうここまで頑張ったんだから安心してくださいね~と話しかける時がくるはずです。

声が出て元気が残っているのなら、まだしばらくは大丈夫とは思いますが、個人差もありますし・・・ね~

あと3日もお休みが残っていたとは信じられません。

静かに母と娘の時を過ごさせてあげるのが、平穏なお母様を取り戻すベストかもしれません。

そう思って、安穏の日々が続くように願ってあげてくださいね~

91歳を見事にクリアーなさいますことを私も願っています!
go51525
こんにちは
http://blog.goo.ne.jp/go51525ken
すっかりと秋めいてきました~

長かったお休みも今日を含めて後3日間になってしまいました~
まだ3日もあるとも言えますが・・・・

今回の帰郷はお祭り目的ではなく、叔母のお見舞いや母の様子伺いと、太秋柿
の購入が目当てでした。

帰郷する前に妹からの電話で、母は妹達の名前もも判らなくなっていると
聞かされて居ましたので予想はしていたものの、
私の名前も忘れているとは少なからずショックでした!

あの優しかった母が、乱暴な口調で、はよ帰れとか!
突然何かをわめき始めるのを見て、いたたまれなくなりました。

7月に帰ったときには、私も妹たちもさんずけで名前も言い、
ありがとうと言ってくれて居たのに・・・・
もう私の顔も見ようとはしなくなっていました!
食事の量も少なくなってきたようでさらにやつれたような・・・
もうお迎えも近いのかも知れません!?

もっちゃん
ありがとうございます!
http://blog.goo.ne.jp/mottyann4649
りろりんさん、おはようございます!

ご訪問いただき、嬉しいコメまで残して下さりありがとうございます(^^)v

りろりんさんのHPも素敵ですよ~

三世代同居ですね~♪

私の家族は奈良にいるのですが、大分の実家の母が13年間独居でしたし、認知症が出始め、支援がないと料理も洗濯も卒業してしまいましたからね~

丁度、退職前でしたので、寄り添う道を選択したのです。

奈良では4世代同居でしたから、9人家族でした。

大分の母は独居でしたから、83歳の時に3歳下の福岡の叔母が亡くなった時にショックから認知症の引き金となったようです。

話し相手がいたら正気を保てたのでしょうけどね~

若い者が同居なさる家庭は安心と温もりがあって素晴らしいと感じます。

いろいろと気疲れもありますが、頑張り抜いてくださいね~

母は去年の春、みごとに94歳で旅立ちました。

残された私は母との思い出の記録を自分史でまとめているところです。

これを終えたら奈良に帰ろうと思っています。

また、お時間が許しましたらお越しくださいね~(^^)v

ありがとうございます!
りろりん
初めましてm(__)m
http://blog.goo.ne.jp/rirorirorin
とても素敵なお母様ですね^^
私もこんな穏やかな気持ちで老後を過ごしたいですが・・・。
どうも不満がましい性格で(笑)自信がありません。
こちらのブログ読ませていただいて心が和みました。
また覗かせていただきます。
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