人間賛歌・もっちゃん4649

生きる示唆を (追憶の日々)


勤務最終の新設校は 22年前に1800人のマンモス校から分離してできた学校でした


その時は 2年間学習してきた仲間と生木を裂かれるみたいに

年度末を境にして2校に分かれるのですから とても辛い思いをしました



当時市内には中学校が2校しかなく 大阪のベッドタウンとして

生徒数が増えたと言う事情がありました


急激に落ち着きを無くし 荒れや揺れの大波に両中学校が襲われました



市の財政は赤字続きで 節電 節水に厳しく取り組んだ時期でした


教室の中に4列の蛍光燈が設置されていましたが 窓側の半分2列は

節電のために蛍光灯を取り外していた記憶があるほどです



荒んでいく子供の姿を見るにつけ「子供は、地域の宝や!」と言う声が高まり

第3中学校の建設に取り組んだのです


新しく学校をスタートさせると言う 大変なエネルギーの要るときに

抜擢された先生方は みんな理想の持ち主でした


制服はどんなものに?

スクールカラーは?

校歌を作らねば・・・

女子の夏服をどうする?


歴史と伝統に恵まれた学校からの分離だったので

校訓を決めるときは 侃侃諤諤で みんな前向きの建設的な意見ばかり~


やがて


自主的に学習しよう

誠実に生きよう

友愛に燃えよう

奉仕の精神を培おう


という4つの生活目標が掲げられました



さあ これで形は出来上がり 後は魂を入れることが大切です



先生方は四方に目を光らせアンテナを張り 少しでも魂に響く具体的なものはないか

今から思うと大変な暗中模索の時だったけど 充実していたなあって思います



初代校長はY先生でした

「出張の帰りに、お寺の掲示板で見かけた言葉が、とても素敵だったので紹介します。」と

即 全校集会を開いて生徒に伝えるのです


いかに燃えていたか伝わってくるでしょう



『 オアシス運動 』

オ おはようございます (友情の心)

ア ありがとうございます(感謝の心)

シ 失礼いたします (礼儀の心)

ス すみませんでした (反省の心)



22年前に校長から聞いた言葉が 心の中にずっと残っていました



このY先生も6年前にお亡くなりになりました



介護で故郷に帰ってみると 母校の小学校の校門に屋根付きの掲示板があり

そこにはY校長が見つけてこられた言葉が

そのまま大切なものとして 色褪せずに掲げられていたのです



教育の原点を見る思いがしました!


大人にも子供たちにも 生きる示唆を与えてくれる言葉です




アワコガネギクです







PS

『現在、コメントを受け取らない設定にしています。』


楽しいお喋りサロンとして、既存の(画像)掲示板を活用したいと思っています。

入口はブックマークにあります。

皆様のお越しを楽しみにお待ちしています(*^_^*)






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