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スイス人一家を訪問

2015-09-19 15:05:13 | 旅行

あるスイス人一家を訪問
スイスは欧州の中央、アルプスに位置する国で面積は日本の九州くらい、人口は800万人。
私が日本にいたころ、スイスは小国というイメージだったが、実際は世界最高の国際競争力を持つ国だ。
精密機械、高級腕時計、はスイスの主要産業。 
国民の一人当たりのGDPは42,000ドル。一方日本国民一人当たりのGDPは36,000ドル。日本よりも豊かな国スイス。
 
マニラにいたころ、スイス人と縁ができお宅をお邪魔する機会が有った。
彼は、服装、風格からして他欧米人と異なる気品があり、富裕層という感じだ。
英語も丁寧なイギリス英語を話される。
この一家はマニラから1時間のところにあるアラバン市に住んでいた。家を訪れるとあっと驚く豪邸。プール付き、庭園が美しい。企業家だそうで、大変な富豪だ。
なぜスイス人が豊かなのか、興味をもち調べたところ、日本と共通するものがあり、スイスに親近間を抱くようになった。
かって国際競争力のある産業がなかった地方の貧しい国スイスがなぜ、世界に冠たる最高に豊かな国になれたのか。



「嘆きのライオン」フランス革命
19世紀の欧州は戦争が多く、多くの雇い兵、傭兵にスイス人が応募し、傭兵からもたらされる外貨はスイスの主要な収入になっていた。
ある一家の兄弟、お兄さんがドイツの傭兵、弟さんがフランスの傭兵になり、ある戦場で、兄、弟が戦うという場面に遭遇。兄弟が敵になり戦闘になったとのこと。
これを知ったスイス人は嘆き、もう傭兵は止めよう、傭兵に出なくても生きていけるよう産業を作らなければいけない。 国を挙げて富国強兵に乗り出した。
この嘆きは「嘆きのライオン」としてライオンの彫刻があり、有名なスイスの観光地になっている。
そして、精密機械、ロレックスなどの精巧な腕時計を生み出し、世界でも指折りの国際競争力を持つ富裕国になった。 




一方日本も、敗戦時の最貧国の時代に、民官をあげて産業勃興に力をいれ、自動車、工作機械、電子機器、世界競争力ある産業を生み出した。
スイスと日本、なにか共通点があるように思える。

タガイタイ紀行記

2015-04-26 08:24:44 | 旅行
タールビスタホテル
創設は1938年。高原都市タガイタイに所在し、タール湖が見渡せ、庭園が大変美しい。





タガイタイはマニラから南へ約60km、標高700mにある街で、有名な避暑地として知られる。
日中平均気温約25度C、夜間は20度くらいに下がる。
マニラの暑さ,喧騒さに日ごろ身を置く私にはオアシスなように思え、南フランスのようなロマンがある。

とても爽快だ。

訪れたのは、タールビスタホテル。4☆ホテルでタガイタイ随一の高級ホテル。
混雑もなく、とてもリラックスできるホテル。
宿泊しなくても庭園、レストラン、教会に出入り自由。
ホテルからタール湖の絶景が見渡すことができる。
タール湖は火山の噴火でせき止められてできた火山湖。

庭園内に洒落た教会があり、賛美歌が聞こえてくる。
クリスチャンではないが、耳を傾けていた。



ホテル、庭園、教会、全てが絶妙に調和し、うまい設計だ。
非常に洒落て垢抜けしている。

ホテルのロビー



光が美しくロビーを照らしている。

老白人紳士のさわやかな笑顔
タールビスタホテルにはアジア系、白人系の顧客が多い。
彼らのそばを通ると、英語、中国語、韓国語が聞こえてくる。

白人のお年寄りが楽しそうに談笑している。
彼は足が不自由で、付き添い女性に支えられながらタール湖の見えるところまで歩いていった。
その顔にはシワが深く刻まれていた。楽しそうに笑顔を作り、遠くのタール湖を眺める表情はとても豊かで良い顔をされている。
老年後期に入り過去生きた歴史が深く刻まれたシワに凝縮されているかのようにも思える。彼は深くため息をつきながら満面の笑顔でタール湖を眺めていた。
老年になっても美のある白人紳士、タール湖の美しい自然とその深く刻まれたシワ顔が、とても爽やかで印象的だ。
若い人たちもいる。しかし彼らは老紳士のようにタール湖の大自然に接して満面の笑顔を作らない。
老白人紳士には少年のような無垢純粋な美があった。 老紳士はきっと素直な誠実な人生を送ってこられたのであろう。大自然の美の前に純粋になれる。そこから笑顔、喜びが生まれる。

タール湖に浮かぶ休火山







ホテルの庭園


タールビスタホテルの外観




タールビスタホテル歴史案内



タールビスタから車で30分の観光名所




レストラン


傘を買ってくれた銀行員

2014-04-06 15:04:28 | 日記


マニラは雨季に入ったようだ。 ここずーと1週間、曇り空、雨。
今日、大雨。 豪雨かと思えばおもむろ明るくなって、日が射してくる。
しばらくして、また雨。 熱帯地方独特の強い雨。 スコール。 しかし、不安な感情には襲われない。
日本で豪雨が来ると不安さがよぎるのとは対照的なマニラ。
マニラは暑いため、雨が来ると気温が下がり心地良い。

私は銀行にいた。
腰掛けて待っていると、ザザー、バタバタ、激しい音を立てながら雨が降ってきた。
止まない、~止まない、~雨。
帰るに帰れない。
待つ。待つ。待つ。一向に止まない雨。
私には傘がない。

豪雨はさらに激しさを増してきた。おやっ。窓から見える外の風景、道路の様子が変化してきた。
道路が冠水し出した。ドンドン水位が上がってくる。30cm。50cm.80cm....
ええっ? ナンですかこれは?と叫びたい心境。 
子供が飛び込んだ。水位は胸辺りに達している。 私は帰れるのか不安になってきた。
銀行内の様子はいたって平静。行員は黙々仕事をしている。電話で話している行員もいる。

内心はらはらしつつも、落ち着いた表情を無理に作り、
手持ちぶたさそうな守衛に声を掛ける。
「いつ止むんでしょうね、この雨」
「Don't worry,it will stop soon」
「私、傘がないんでね、帰れないんです」と言うと、
「No problem sir,wait」
と彼は、歩き出し、窓口の女性になにやら声を掛けている。 
ンっ?ナに?
女性は席を立ち、歩き出した。「ちょっと待ってください。傘を買ってきますから」 と私に声を掛け雨の中を出かけていった。 
”えっ、傘を買う?私のために?”。 ンっ

しばらくして帰ってきた彼女の手には傘が握られていた。服が濡れている。
”「Sir,here you have umbrella!」"
ありがとう。ありがとう。私はどんな表情を作ったらよいのか戸惑いながら、誠意いっぱい、礼を言おうと心は はせるのだが、言葉はうまく出てこず、ただ、目をギンギンさせて、Thank you!と言った。
傘代100ペソ渡す。

日本ではありえない出来事。 
~~~
傘をさして、私は外に出た! あっ、冠水しているのは銀行前50mくらいのみで、左右に目を投げると向こうには車が列を成していた。
銀行前の道路は土地が低くなっており、周囲の雨水がなだれ込み冠水していたのだった。車列はおとなしくきれいに並んで待っている。水が引くまで待っているのであろうかと思うと、可笑しさがこみ上げてくる。銀行内が平静だったのも理解できた、毎度のことだったのだ。

女性行員は冠水した道路の中、どうやって傘を買いに行ったか? それも外に出るとわかった。 山岳地帯を探検するとき絶壁に体を沿わせて進む場面がある。 まさにあれ。建物沿いに体を沿わせて、小さな足場を頼りに私はようやく冠水していない道路まで脱出できたのであった。都会で探検しているような心境になる。

フィリピンらしい出来事。

家に着くころ雨は止み、日が射してきた。オレンジ色の夕日がマンションを明るく照らし出している。
ほのぼのと、今日の出来事がよみがえる。さわやかな女性銀行員の顔、気を使ってくれたガードマン厳つい顔がよぎる。
今日はすがすがしい一日だった。
~ ありがとう。 ~.~





ケソン市トーマス通りでの出来事
本稿は2013年6月に初寄稿したもの。








久々の日本帰国、浦島太郎

2014-02-26 11:39:38 | 日記
久しぶりの日本帰国
3年半、フィリピン、バンコク、上海と海外に滞在し、久しく帰っていなかった母国、日本に帰国した。
日本にいたころ当たり前であったことが、何も感じなかったことが、とても新鮮に見える。
なんて、日本は素晴らしいのだろう、日本はすごいと思うことを数多く発見する。浦島太郎になったような気分である。日本再発見。
日本へ観光で入国する外国人は数百万人を超えるといわれる。もっとも多いのが中国人、そして韓国人、インドネシア、マレーシア、米国、英国と続く。
彼らは、一様に日本に関心し、感嘆する。 ある高年イギリス人紳士は日本に来た印象をこう述べている。「私は未開の後進国から、未来の国に来たようだ」と。 彼は新幹線、都市交通機能、地下鉄、鉄道、インフラの進歩に驚いた様子である。 確かにそうだ。東京、大阪ほど都市交通機能が大規模に発達している国は、世界中、どこにもない。その規模においてまさに、日本は世界一である。
毎日当たり前のように電車を利用して勤務先に出勤、学校に登校する。関東だけでもその数1000万人を超える。世界から見ると、これはすごいことである。

フィリピンに長くいたが、フィリピンのインフラ、都市交通機能は日本より、100年遅れている印象だ。そもそも、フィリピン人に鉄道を作ろうという意識がない。 われわれはこれでいいのだ。といっているかのようだ。鉄道があれば30分で行けそうな距離を彼らは1時間半かけて時刻表もない、当てにできないバスで通勤している。たまに、停滞で数時間遅れることもある、すると、「今日は仕事できないね、休みだ、帰ろうか」。こんな調子である。

タイのバンコク、インドネシアのジャカルタは、フィリピンより進んでいる。日本を目標として国を挙げてインフラ整備に取り組んでいる。 中国は気候が日本と似通っているせいか、日本との共通項は多い。しかし、政治システムが日本とは多きく異なる。中国は日本に追いつき追い越せと、日本を非常に意識している。日本を超えることを目標としているようだ。中国はGDPで日本を追い越したといわれるが、一般民衆の生活ぶりを見ると、中国は日本より20年は遅れている印象だ。

日本はアジア一の豊かな国であるし、日本人はアジア一の富裕民族であることは疑いのない事実である。二位の中国、韓国をまだまだ大きく引き離している。日本の発展はアジア全土によい影響を与えている。

しかし、日本に帰ってなぜか私は落ち着かない。 食事はおいしい。日本食は実にうまい。 世界にない入浴の習慣。お風呂が楽しい。
四季が美しい。 交通が便利。どこでも電車、バスで行ける。 わが母国、アジアの雄、日本国。 
しかし、なぜか、私は落ち着かない自分を見出す。電車に乗る。前の人、前に立っている人の表情は暗い。きちんと時間通りに会社に行かなければならない。豊かだが、何かに縛られている。本当の意味での自由のない民族、日本人。そんな印象を持つ。日本人は幸せだろうか?幸せ指数を数字で表すことが出来たら、日本はアジア諸国になかでは点数は低くなるかも知れない。 豊かさとはなんだろう? それは、人生は楽しいと味わえるかどうかではないだろうか。物質的にはもちろん、見えない心の豊かさを、日本人は忘れている、そんなことを思う。

私は東京、八王子に住んでいる。多くの家が建っている。家、家、家、しかし人の気配を感じない。 まるで、ゴーストタウンの印象を感じる。
各家にはそれぞれの生活があるのだろう。なぜか、母国日本にいると寂しく感じる。

日本は何か大切なものを忘れてしまったように思う。 それは人の絆。 アジアは貧しい。フィリピン、インドネシア、バンコク。かの国は音、喧騒、人の生活臭を感じる。

昭和のころ、日本が貧しかったころ。そのころ、町には子供があふれていた。公園にはいつも子供がいた。家族の絆。人と人との絆は強かった。

今、豊かな日本。アジア一の富裕国日本。この国では人の絆が希薄になってしまったような印象を持つ。

私は本当に、浦島太郎になってしまったのだろうか。






高度1万メートル飛行中

2013-09-02 20:03:16 | 旅行

成田国際空港を飛び立ったANA,全日空ボーイングジェット機、一路マニラに向け航行中。
現在の速度時速940km.高度1万メートル、非常な高速で飛んでいるのであるが、高度1万メートルにもなれば速度感がない。空中にポツンと浮かんでいる感じだ。

主翼近くの座席を予約したため主翼の様子がよく見える。地上にいた頃主翼は若干垂れ下がっていたが、今、羽根は空気を捉え上向きに沿っている。主翼がこんなに弾力性があって曲がるとは驚いた発見だ。
沖縄上空を通過し、台湾が見えてくる。空が明るくなってきた。いよいよ南国の空。マニラが近ずいてきた。

私は空の旅が好きだ。高度1万メートルの機上にいると、地上にいた頃のいろんな問題が空言のように思える。
澄み切った青空の高度1万メートルでは人生をリフレッシュできるかのような新鮮な気持ちになることができる。

あれは何年前だったろうか。大阪にいた頃、12月中旬、その日は小雨が朝から降りつずく。傘を差しながら御堂筋を歩く私は不遇感、不運感、絶望感の極にいた。仕事上、家庭上、人生上さまざまな問題を抱え、直前2メートル前の地面をうつろに見ながら、さながら落ち武者のように落胆して歩いていた。寒い。足元が悪い、靴が濡れてくる。足が冷たく不快だ。 朝刊に年間自殺者が3万人を越えたと記事が載っていた。私もその一人に入るのだろうか、一瞬そんな考えがよぎった日だった。

人生の転機はそれからしばらくしてやってきた。フィリピン工場の工場長としてマニラに赴任してくれないかの誘いがあり、私は飛びついた。外国で仕事をし、収入を得、生活をする。私の人生は日本を離れて一転、好転した。何もかも変化した。全てが新鮮に見える。

あの時思い切って海外赴任に挑戦してほんとによかったと思う。今、私は日本にいたころとは全く違う、小成功の道を歩んでいる。
日本を出るとき私は全てを整理した。「断舎離」。全てを捨てた。家も家財も全て。家はデベロッパーが倒産したため暴落、売却益はマイナス。資産はほぼゼロ。しかし、海外に出て数年たった今、、、、、、、
私の資産は、年収に達した。世界にはチャンスが無数にある。日本にいたままでは、一生井の中の蛙で終わったことだろう。

高度1万メートルの機上にて。

マニラ マカテイ アヤラ通り