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名古屋港高潮防長堤 夜釣りの思い出

2024-04-08 10:57:50 | 日記
 親父とよく釣りに出かけていた。今回紹介する名古屋港の夜釣りにもよく連れて行ってもらった。今は立ち入り禁止になっているのかな?
海に向かって知多提、中央提、鍋田提と船舶の航路によって分けられた3つ堤防がある。今もそれは変わらないかな。陸続きの知多提が親父のホームグランドだった。スバルサンバーの小さなワゴン車に乗り夕方から父と出かけていた。知多提に繋がる基部にはテント張りのラーメン屋があった。釣れても釣れなくても、たまに食べるラーメンは子ども心に格別の味であった。
親父はこの高潮防長提の幅50~60センチの上を歩きながら堤防のへチをカニのエサで探っていた。いわゆる落とし込みのクロダイ釣りである。釣れることもツルツル坊主の日もあった。よく釣れたという記憶より釣れないことの方が多かったように思う。
親父にならって堤防に寝そべって上からたらし込んでいると、後にも先にも一度だけ、クロダイいやサイズ的にはチンタを釣ったことが懐かしい思い出である。堤防の上からと言ってもそこは高潮防長提 外側の海面からは4~5メーターあったと思う。よくぞそんな幅の狭くて落ちたら命の危険があるところで釣りをしていたものだ。ちょっと前は堤防上に上る階段もなく堤防を支えるコンクリートをはいあがって上っていた。夏の夜釣りにはつきものの天候の急変
遠くに雷雲、雷鳴を聞くこともあった。ピカッゴロゴロゴロとまだ小さな雷鳴であったが、雷鳴がするとそれは「帰るぞ!」の知らせでもある。懐かしい夜釣りの思い出である。次回は集魚灯を照らしながらの夜釣りを紹介しますね。




釣り堀の思い出

2024-04-06 13:40:21 | 日記
自己紹介を続けます。今日は私の釣りの歴史についてお話しますね。歴史というようなたいそうなものではありませんが。入口はやはり親父の影響でしょうね。私の親父は子どもをダシによく釣りに出かけていました。今は少なくなりましたが、親父と一緒によく「釣り堀」に行きました。プールのような野池が4つほどあり、右側3つがヘラブナ釣り場一番左側が鯉の釣り場だったかな。細かく切ったうどんに集魚剤を振りかけたものがエサっだったかな。連れた魚をビクにため帰る時、量りで計量して買い上げしてもらうシステムでした。もちろん針は魚を傷めないよう返しのないスレ針です。こうしてブログを書いていると幼いころの記憶が鮮明に蘇ってきます。昼飯はどんぶりの五目めしが定番でした。すぐ池の脇に瀬戸線の線路があり、列車が通るたびに「ガタンゴトン、ガタンゴトン、スー」といった音の響きまで蘇ってきました。五目飯というと今はスガキヤの五目ご飯を思い出しますが、釣り堀屋さん提供の「五目めし」です。お昼を食べる時は今も昔も変わりません。棒ウキがピクリともしない釣れないい時合になります。楽しい思い出です。高潮防長堤(知多提)の夜釣りのお話を綴りますね。

ほぼ毎日ブログ拝見しておりました

2024-04-01 17:54:45 | 日記
ブログで人とつながると嬉しいですね。実はずーっと前から「潮の香り」をほぼ毎日拝見していました。前のブログからgooのブログに変わる前からのファンです。「潮の香り」さんがgooblogに乗り換えた頃が1400日位前だったと思います。その時私もブログを始めようと思って登録したもののデジタル音痴でgooブログを登録しても何も発信することもなく今日に至りました。
本業の理髪業の傍ら、食材調達(海の幸、里山の幸)から、魚をさばき、料理はお手の物。なんでも修繕し、地域の行事もそつなくこなす。私にはできないことばかり。いつも感心しております。
つたないブログを読んで頂き有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。