思いつきの旅日記

写真で楽しむ旅行の記録

ボロ市…世田谷

2014-02-21 12:06:00 | 散歩
ボロ市の始まりは、小田原城主北条氏政が世田谷城主吉良氏朝の城下町である
世田谷新宿に1578年(天正6年)に楽市を開いたのにさかのぼります。当時世田谷は、
江戸と小田原をむすぶ相州街道の重要な起点として栄えていました。この市により
江戸と南関東を結ぶ中間市場として栄えました。北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、
徳川家康が江戸に幕府を開くに及んで世田谷城址が廃止されました。
世田谷新宿が城下町としての存在意義を失い急速に衰えていきました。
ただ楽市の伝統は近郊の農村の需要をみたす農具・古着・正月用品の市として
毎年旧暦12月15日に開かれる歳の市として長く保たれたのです。


            


            



           



            



             



<代官屋敷>
徳川3代将軍家光は、1633年(寛永10年)彦根藩主井伊直孝に世田谷城の一部を
賄料として与えました。直孝は、旧領主吉良氏の家臣で吉良氏が滅びた後
帰農していた大場市之丞を代官に用いました。以後大場家は明治維新にいたるまで
235年間、代官を受け継ぎ、この屋敷を住居兼役所として使用しました。
屋敷は茅葺きで寄棟造り、建築面積は約230㎡、玄関、役所、役所次の間、
切腹の間、名主の詰所などがあり、庭には罪人を取り調べた白洲跡があります。
<代官行列>
市町の間に一度、火の元の警備と監督のために裃に威儀を整え、
名主、年寄以下人足など従えて行列を組み、市場内を見回って治安の維持にあたった。
現在の市町の見回りは「代官行列」として行われています。
昭和43年に「明治100年記念祭」として行ったのが始まりです。


            



            



  




















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