あなたは写真家になれるか

自分にとって写真とは何か、なぜ写真なのか、少しだけ前向きに考え楽しんでゆきます。

ゲリラ豪雨-地球温暖化

2013年07月28日 | 写真


今年は多い。
これからも毎年各地で多くなるのではないか。

”ゲリラ豪雨 ”
”地球温暖化 ”

この二つの言葉、よく心に刻まなくてはならない。


ガードの下で雨宿り。

まさに、ゲリラ豪雨

1分前までは路面は濡れていなかった。
隣にいた人が用意していた傘を開いた。
ぼくは傘の用意はない。

写真はそのほぼ1分後の、250分の1秒。

ぼくの切り撮ったゲリラ豪雨。



地球は確実に温暖化に向かている。

温暖化防止のために個人で何が出来るのか。


出来ることを一つづつ。







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暑中お見舞い申し上げます。

2013年07月15日 | 写真

濃い色のピンクの朝顔との涼しい日陰での爽やかな早朝。

縁側の板張りのちょっとひんやりした冷たさ。

目の前に田んぼ。
緑の田んぼをさらっと流れてゆく風。

今日一日の青い空に琥珀色の雲。

裏の牛舎からか聞こえてくる、牛のなき声。

かまどから炊きあがってくる白いご飯のほんのりした香り。

午後からの、暑い海辺への犬の散歩。
静かに打ち寄せ消えてゆく水色の泡のつぶと遊ぶ、らら。

お寺ほどの大きな木を登る、手の中から逃げようとするミンミンとうるさい蝉。
暑さと足のすくむ高さ、背中につたってゆく一筋の汗。

水平線を西へ傾いてなくなったオレンジ色の太陽。

線香花火のぱちぱちとはじける可愛らしさと風流、ほのかな火薬の匂い。

緑の大っきな真っ赤なスイカ。
ザックリ・・・・・甘い。

また今日も、夜は涼しく蚊帳の中。


懐かしい田舎での夏の思い出。

架空か、現実か。
どちらでも構わないのだろう。
画像には決して、現実は写らないのだから。

写るのは現実のコピーでしかない。

写真とはイメージも、ある意味コピーすることも大切なのだろう。


暑中お見舞い申し上げます。


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モノクロに変換

2013年07月13日 | 写真

前回の「公園でのありふれた写真」をモノクロに変換してみた。

色が無いと、こんな感じ。

モノクロに変換するのも、結構悩む。

同じモノクロでも、コントラストや、明るさ、色味、彩度と色々と調節するところはある。

これをやって苦労したからって、良い写真になるはずもなく。
かといって悪い写真でもなく。

モノクロとカラーの違いについては、自分がどう感じるかってことくらいで良いと思う。

とにかく、この程度かってことが分かれば良い。
色々と、試して見ることが良い。

だってやってみないとわからないんだもの。

まあ、写真家なんてみんな自称でしかなく、本人が宣言して、他人が認めて
写真家と呼ばれるようになる。

写真家と呼ばれたければ、続けること、やめない事、発信し続けること。
「いいね。」って言われる写真を多く発表すること。
「いいね。」これが難しい。

これに関しては、自分を信じるしかないだろう。
やり続けて芽が出なければ才能が無いと言うことなのだろう。

やはり、やめない事、続けることが一番大切か。

あと、発信に関してはやり方によって大きな差がある。
まあ、おいおい考えよう。

実はここが一番大切なのだが。

おいおい考えていたのでは、いつまでたっても他人には認められないよ。

写真家として世間に認めてもらいたいなら、そこを真面目に考えよう。

自分は社交的か。

それとも、誰にも負けない個性が画像に残せるか。







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公園でのありふれた写真

2013年07月09日 | 写真

公園でこんな写真を撮った。
良く見る光景。
公園でなくとも、駅前やどこかの建物の裏、スーパーの駐輪場のはじっこ。
こんな光景はたまに見る。

道理的には良くないものだが写真としてはどうだろう。
写真としてもこの手の写真は、評価の対象にもないか。

せめて、このようにならくてすむような物の使い方をしなければ、そう思う。

この手のゴミとなってしまった物のカラーの写真は、いかにもリアルだ。

次回はこれをモノクロに変換して見ようと思う。





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