MONJA-古布mode-

制作したお洋服などをご紹介させていただきます。

2008-09-25 20:16:23 | 日常

私は 道を 間違えない


その道は 果てしなく

導かれるままに

その 光の射す方へ


通ってきた その軌跡は

全て 正しい

通ってきた その軌跡は

地図となる


その 光の射す方へ 

振り返る事はない

ただ 光の射す方へ

まっすぐに


その障害物こそ

幸福




気づけば 光の中

己の中に それは ある


だから




私は 道を 間違えない

その光の射す方へ



-その 光は  溢れ出す-





 
先日、向井と中尾は一年半ぶりに
もんじゃ焼きを食べに行った

そう言えば
あの MONJA結成した日から
ずっと食べに行っていなかった

たまに通る道で
家から近い場所だ

そこへ 急ぐ

しかし もんじゃ焼き屋は 見つからない
二人を空腹が襲う
空腹の中 思い出した!



そういえば 一年半前
もんじゃ焼きを食べたくて しかし店が見つからなくて
彷徨ったのだ!


そして 今回も 彷徨っている・・・


前行ったのと同じ店だ
たまに通る知った道なのに
ない・・・
あたりは真っ暗
あの時 散々迷って
コンビニで聞いたりもしたなあ・・・
と 寂しげに思い出していた
途方に暮れたその時





普通に店はあった・・・
なにも かわらず
そこにあった




久しぶりに食べた
やっぱり おいしい
あの時は ノリでブランド名をMONJAにして
今後、着物地で何を作るか
ひたすら食べながら語った

一年半後の今

こうして二人
もんじゃを食べながら 
次はどんな商品を作ろうかと語っている
その事が 
なにより幸せで
なににも替えがたい事だ

もんじゃの生地で MONJA  と文字を作ろう! と
くだらないアイディアを中尾が出した

しぶしぶ向井がMOをまず作った



じゃあ 次の生地で NJA を作ろう!と 
いいながら バクバク 食べていた


いきなり 向井が 
ああっ このシーンはデジャブだ!
と、言った

中尾は笑って
一年半前も 同じ事言ってたよ
と、言った


二人にとってもんじゃ焼きは
とても大きな力があるのかもしれない






次に行くのは いつだろう・・・




最後のデザートもんじゃを食べ終えた頃


NJA を作るのを忘れ 写真は MO のみになった・・・





 


今から約10年前の話

2008-09-17 17:00:35 | 日常
10年の月日

当時はまだ幼く

知らないことだらけ

あれから ものすごいスピードで

ここまできた

思った以上に

はやい

やり残したことが

もしかしたらあるかもしれない

しかし 後悔はない

悔いはない


いつ死んでも別にいいと

その頃から想っていた


死ぬには  遅すぎる



今から 約10年前の話をしたいと思う

そのころの向井と中尾は中学校時代・・・

向井は弟を保育園に迎えに行くのが習慣だった
朝と晩はご飯を作り
弟の面倒を始終みていた

転校をした
なれない学校生活はなんら興味がなく
そっけないものだった

目立ったこともなく
味気ない感じだった

その頃から 日頃の疲れがたまりやすくなっていたのか
興味がないからか
学校を休む日は多かった

もちろん テストでいい点が取れるわけではなかった
のんびり屋のためか
受験勉強もマイペースで実施

当時 県立ではかなりの倍率だった南高校を志望したときは
家族  先生  友人 
誰もが合格は無理だと思ったに違いない

しかし 当時から デッサンを書き
デザイナーを夢見る向井にとっては
他の道は考えてなかった

もちろん落ちたときなんて想定していない
受験生の頃も 今も なんら変わってなさそうだ

推薦でくしくも落ち
一般に望む

本人曰く
筆記テストは最悪だったそうだ

おそらく決め手となったのは面接・・・
しかし 趣味は? と聞かれたことに対し
自信を持って


-温泉です-


と まったく服飾と関係ない発言をしたのに
どうして 合格したのだろう

まったく面接用の答えとか 
考えるわけもなく

まっすぐにその頃から生きていた

その 人知れた根性?と自信が
今の彼女を支えているのであろう




中尾は12歳の頃初めて夢を持つ

12歳にして南校の存在を知り
デザイナーになることだけを夢見ていた

中学校入学当初から希望校は一つ

南校の服飾デザイン科

どうして周りのみんなは3年の夏になっても受験校を悩んでいるのか
不思議でしかたがなかった

成績は優秀
学年トップに立ったこともある
委員会も積極的に参加していた
授業も発言をよくしていた

しかし学校はよく休んでいた
体がもとからよくないのと
思春期だからか しょっちゅう精神的に病んでいた

成積優秀なのに見た目は派手

ミニスカートに手製のかぼちゃパンツをはき
苺のソックスに 苺のリボン
羽の生えたリュックで登校

髪型は毎日違う・・・

南校じゃなきゃ意味がないと考えていた

だから私立は受けなかった
滑り止めって・・・
人生の滑り止めってなんなんだ!と
熱い感じだった

合格のため
一年からテストの成積はよくした
推薦受験時は長い髪を切り まじめにした
面接マニュアルを暗記した

自信がありすぎて
面接本番の待合でうたた寝していた

合格を聞いてから
みんなが一般受験の頃
のんびり寝ていた


この二人のかけ離れた中学校生活は
一言では語れない

共通点は唯一つ




夢はデザイナー



MONJAの作業場

2008-09-17 15:37:39 | 日常
窓からは

瀬戸内海と秋の訪れを乗せてやわらかく香る風が

天井からは

太陽のほほえむ程のあたたかい光が

木製の家具は

ひっそりと二人を見下ろしている


息をするのが

ゆっくりと ゆっくりと なる空間が

そこにある






今回はMONJAの作業場を初公開。

その部屋は常に窓が開いている
緑(観葉植物)がいたる所にある

電気機械は使わないときには布をかけて
木製の家具でそろえている

その部屋には天窓がある
日中 穏やかな光がさす

近くに山も海もある

空気はきれいで澄んでいる

騒音もほとんど聞こえない

こんな素敵な空間でさせてもらっていて
本当に 感謝の気持ちで溢れる

MONJAの活動は彼女達の力だけではない

そう 改めて想う





ミシンのヌーベルちゃん

今年 プレゼントしていただいた
作業用ミシンで ミシンにヌーベルと書いてある
ヌーベル科にいた向井は偶然に少しおどろいていた

それまでは 家庭用ミシンで作成していた
家庭用だが 耐久性がすごかった
一日8時間以上動かしていたがしっかり動いてくれた
今は たまに活躍している

ヌーベルはすごい便利だ
作業の効率もあがった
シルクの難しい素材もなんなくこなせる
優れもの
丁寧にあつかう
たまに話しかける


本当に 命あるものだと想う

MONJAの一員だ




ミシンの横にある
アイロンのイタリーちゃん

名のとおり
イタリア製

こちらも すごい優れもので
蒸気がすごい

強い蒸気で
硬い帯もピシッと折り目をつけれる

もちろん丁寧に扱う
たまに洗う
たまに話しかける




一番の目玉といえるのが
作業机

これは お世話になっている大工さんに
オーダーメイドで作っていただいた

しっかり広い天板の隅には穴がある
それはペン挿しやはさみ挿し

机の上には基本的になにも置かない

天板の横にあるのは
ホワイトボード
それは机の天板についていて
机の延長としてもできるし
倒すと机の側面となる

ただのホワイトボードではない
冷蔵庫の扉と同じ素材なので
油性で書く
もちろん 触っただけでは消えない
消したいときは
軽く除光液をしみこませた布で
ふけばきれいになる

反対側の側面はラックとなっており
大きい型紙をしまえる

パターン用紙を丸めて立たせるものもある

天板についている引き出しは収納するためのものではなく
ひきだすとまた机がでてくる

大きなものの製作に使ったり
二人で違う作業する時にはかなり使う

左右にある棚はお互いが取れるように
前後の面がない

こんな機能的で すてきな机を
福島建設さんが作ってくれた
感謝の気持ちでいっぱいです

机は一日に何度も掃除をする
たまになでる
たまに話しかける





イスも機能的
これも プレゼントしていただいた

すわり心地がすばらしいのは
言うまでもない

たまにクッションをひく
たまに枕を背もたれにはさむ
たまに話しかける


一日が終われば
キレイに片付ける

それを怠ったことはない




MONJAの作業場は
たくさんのすばらしいアシスタントでいっぱい・・・

むしろ向井と中尾がアシスタントで
主人がヌーベルちゃんかも・・・



ものの命があることに

中尾は初めて実感した

丁寧に接すれば

おのずと壊れないし

ものはなくならない


ものがあふれる昨今

物欲にはしり

いるもの  いらないものが

判断できないことが多くないだろうか


今 手元にあるものを

丁寧に 

丁寧に 

使うことで

地球にやさしくなり

身の回り すべてのことにやさしくなり

自分にやさしくなれるのではないだろうか