晴れた日のオルガン

オルガニストの日記

オルガニストの立場

2010年05月05日 | Weblog
本日のブログは少しシリアスです。

でも、大事な話だと思うので、心当たりのある方は是非お読みください。
楽しい話題が良いなあ~という方は次の話題をお待ちいただくとして…。

オルガニストの仕事をされている方、教会に連なっている方は、教会で「オルガニスト」の役割をしている人たちの位置づけは案外難しい。ということをご存知だと思います。

まず牧師、又は神父が一番上、その「下に」事務的な仕事をする人たち、そして教会学校など教育的に責任のある人たち、そして信徒たちのグループとが存在する、という風に一般的に受け止められて、そのように機能していると考えられます。

なぜ牧師、神父が一番上か?ということは質問するまでもないのですが、それはさらに「その上」にあたるところから任命されて来ているからです。そのための教育を受けて、その資格を持っているという前提があります。

オルガニストは、そのための教育を受けて、その資格を持ち、教会の責任者である神父ないしは牧師が「うちのオルガニスト」として認めた場合、その教会専属になります。

しかし教会のしごとに携わる、ほかの人々との関係において、オルガニストは一体どこに位置するのでしょう?

この質問は、自分の場合、答えがすぐには出てきません。

わたし個人にとって、教会で奏楽するという事はまず「奉仕」です。お給料をもらっていたとしても、そういう気持ちで弾いています。お給料も、「とても少ない」ということもあり、時間以上の仕事をするということがごく普通に感じられます。それに、練習とか準備のことを考えると、きっちり何時間労働するという風に計算するのは無理でもあります。

だから、給料とか権利という意味でオルガニストの「偉さ」は量れません。
ということは、位置がどこになるのかも決めにくくなります。

教会学校の先生も、教会のお掃除係の人も、「同等」であると「感じながら」仕事をするということが最もキリスト者らしいのではないかという気がします。

これまで何も問題も起きずに、今の教会で10年以上働いて来た私には、音楽家として&クリスチャンとして、うまく折り合いのつく教会生活を送っていました。

ところが。

今勤めているカトリック教会の中で、今年2月以来、いろいろな不協和音が鳴っています。

自分の教会の内部の問題では、大きな、古い、裏の出入り口のたてつけが悪く、きちんと閉まっていなかったことが問題になりました。そして、オルガニスト本人「以外の人たち」が練習しにきたときに限って、戸締まりが悪い。という評判が立ちました。
つまりわたしと夫のふたり以外のオルガニストが来て練習するからいけないのだ。ということになったのです。

その結果、オルガンの月曜日コンサートは練習なしで弾くように。と、いうことになり、
週1回のアカデミーのオルガンレッスンもたくさんの生徒が来るから禁止。ということになり、
オルガニストも月1回しか練習しないように。ということになり、
それなら必要ないから教会の鍵は取り上げ。

ということになりました。

ドアが古いので直すという考えはないのか?とわたしたちには思えたのですが、この10年間これだけオルガン関係の活動があってもひとことも反対されなかったことを考えると、ドアのことは単なるきっかけではないのか、

「オルガンの活動は教会にとって何の役にも立ってないから節約のためにも活動停止。」

という時代になってきたのではないか?という裏の理由その1が浮かび上がってきます。



さて、教会の外の問題としては、ベルギーの大司教が2月に替わったことで、ブリュッセルの教会人事異動が始まりました。
更に世界的な聖職者の小児愛問題が浮き彫りになってきたことも、不安定な空気を作り出すのに一役買っていると思います。

わたしたちの教会では、責任者は聖職者ではありません。一信者でありながら、権限を与えられて、任期決めで責任者として良い働きをしている人です。とても良い働きをしているので、これからの神父の少ない時代のカトリック教会のありかたの「希望の光」的ですらあり、一緒に働くのはとても楽しく、嬉しい事でした。

ところが、上記の様な短絡的な「決定」をいきなり宣告してきたので、わたしからすれば、
「(一応責任者なので)上から来た命令はきくもの。」
という感じで、すごくショックだったのですが直後には受け入れました。「わかりました」と言ったのです。その「宣告」のとき夫はいなかったのと、その直後に子供の合唱練習が控えていて、わたしとしては、どうするべきか考えるすきもなかったというのが本当のところです。

責任者と、夫と私と、3日後に更に話し合いがあって

練習しないでコンサートをするのは無理である。
前日3時間は最低必要。

アカデミーの授業については一度合意していたのに、このような年度の真ん中で教会から追い出されたら全員路頭に迷う。
アカデミーの建物のオルガンは私の教えている日はほかの授業で使っている。
だから試験のある5月迄待って欲しい。

の二点が、外部のオルガニストに「被害」が及ぶ最大の案件、ということで、

ほんとに死ぬ様な思いで談判をして、もうぎりぎりで成就酌量されたのです。

しかししかし、いつの間に、オルガニストが犯罪者の立場におかれているのだろう?
「罰」というかたちで鍵を取り上げられるという、このあたりのやり方は、おどろくほどヒステリックに行われました。
オルガニストは、悪い。ということに、いつの間にか決まっていた訳です。
とにかく責任者は、頭がかーっ!!!となっていました。

ところで2月の初めというのは40日の四旬節に入る時期で、様々な行事に加え、聖週間と復活祭の準備をじょじょにして行くので、仕事は普段の倍になります。そういうときに、裏のドアの鍵を使えなくなったのはとても不便だったし、自転車置き場も外の物を使わなければいけなくなるため、帰る時にはタイヤをパンクさせられていたり、ライトを盗まれたりして、なんだかとても憂鬱でした。

オルガンの月曜日のコンサートに出てくれる人たちにも,日曜日3時間だけの練習で弾いて下さい。と頼まなければならないので、今迄のようにフレキシブルに週の間夜練習したりできなくなり、お互いにとても気まずい雰囲気です。

結果的に、

「教会の将来のために、新しいやりかたで活動してもらいたいので、協力してください。」

というメッセージではなく、

「おまえたちが悪いんだから罰は当然だ。」

というかたちになってしまったまま2ヶ月働きました。

特に困ったのは、「でも、友情には変化ないよね。」と、責任者の人はごく普通に、何もなかったかのように接して来るのです。罪人扱いされたわりには、いつも通りに、心を込めて奉仕して欲しい、自分に対してもフレンドリーにお願いするよ。ということで。

まあ、混乱したわたしは、ミサを弾くたびに、オルガンに上るたびに涙が出ました。
体がヘンになったというか、教会のドアを見たらそれだけで倒れそうになったこともあります。
分裂症の人と会話している様なストレスを感じました。
そして、ひとが納得の行かないしうちをされたらこんな風になってしまうのね。ということがわかりました。
大勢の、リストラで仕事を剥奪された人たちは、どんな気持ちだろうと身に染みました。

そんなわたしに比べ、夫は典礼の勉強をした人なので、もともとあらゆる神父の方たちときちんと論争します。聖書の箇所と歌の関係、典礼の式と歌の関係…「長いからこの聖書の箇所も、歌も省略」してしまう神父さん、間違った内容の歌を「この歌好きだから(一種のノスタルジーか?)」という理由で歌おうとする人、みんなかならず説き伏せて行きます。

この教会には特定の神父がいないので、一年に8人ぐらいの神父さんが回り持ちでミサをしてくれますが、そのひとたち全員ときっちり話を付けます。

夫にとっては、この教会のオルガニストがしなければ他に誰がするんだ?という仕事です。
そのとなりで働くわたしは、その恩恵で「正しい典礼のあり方、さらに豊かな典礼のやり方」を常に体験できます。
しかし、典礼を勉強していない、どちらかというと実用的なことに長けたわたしたちの責任者は、このような視点は持ち合わせていません。
だから、月ごとのミサのための会議には、夫がわたしと「典礼的オルガニストの視点」で整えた歌のリストを準備して相談し、決定して、その日曜日当番の神父さんにはその流れを踏襲していただくというかたちを取っています。

教会の中にあって、必要欠くべからざる典礼の要点を、責任者が踏み外している場合、かならず夫が指摘する、という役割が、いつのまにか出来上がっています。

そのために、教会を出て教区として見たときに、うちの責任者のさらに上に位置する神父さんが、夫の意見を大事に聞いているという事実が、わたしの教会の責任者にはたまらなく悔しい。という感情のわだかまりはあります。

この事件の1週間前には、夫と責任者は日曜日のミサの直前にどなりあいのけんかをしました。

反対に、ミサのとき弾くのが夫ではなく、私が当番だということがわかると、話し合いでは決めていない、「典礼的にはよくないかもしれないけど、センチメンタルにやりたい歌」などをどんどん挿入してくることなどから、わたしはサンドイッチのまんなかだなあ。と思う事もたびたびありました。でもわたし本人は典礼を勉強していないオルガニストなので、ミサの中で責任者が即興的にいきなり歌い始めるのをどうする事もできず、それに合わせて来ました。

責任者は、夫に対する文句なども本人には言えないのか、私に言ってくることがあります。
それをかみくだいて、夫に説明して、わたしから、彼の不満がなくなるように夫に努力してもらうということになります。
どんなことでも、きちんと話し合えば、一応納得し合える、と信じているからです。
それに、どう考えても、夫婦であるということはオルガニストであるということより大事なことだと思うからです。
ただ、わたしが、内心そう思っているという事は普通だと思うのですが、驚くのは、どこでも、共通の考えとして、皆さんそう考えていらっしゃるという事です。
つまり、「わたしと夫は共同責任」なので、夫に対する不満や怒りは妻も受けるべき、ということです。

ところで、月曜日コンサートも、アカデミーのオルガンの授業も、
「やろうよ!」
と言い出したのは私です。

だから、今回のむちゃくちゃな「罰則」は、わたしが言い出した、教会にとっては付属的な活動が、責任者からの夫に対する葛藤の、ちょうどいい「餌食」になってしまったという構図が透けて見えます。
共同責任でふたりの鍵を取り上げる、という風に。
(それでいて昼コンサートは人気だからか、廃止にするとは言われない)

つまり、

オルガニストは、そんなに場所を取るな。
(それも、陽の当たる、明るい場所を。)

というメッセージも含まれているのだ、としたら。それが裏の理由その2なのだとしたら。
(「それは嫉妬以外のなんでもない。」とアドヴァイスしてくれる人たちの多いこと…。)
なぜ責任者は今、急にそんなに自信を無くしてしまったのか。そのヒステリーはどこから来たのか。

新しい大司教は、教区長だったときに、神父ではない人たちが聖書学を勉強するための「典礼の学校」を閉鎖したり(一般人は知識は無い方が良い?)、女の子が合唱で歌う事を禁止したりしたことがあります(聖なる仕事は男性のみ)。聖職者ではないわたしたちの教会の責任者が、「責任者であること」をおびやかされているのではなければ良いと思います。
(そこまではわからない。でも不安な空気が絶対的にただよっている)

わたしと夫がふたりで働いている教会という仕事場は、家庭のようになごやかで、だからこそ、家庭のように葛藤のある仕事場です。

そこで、家庭的であることを返上して、「オルガニストの位置」を固守し、その権利を持ち出して、たとえばもっとも象徴的な品物であるところの「鍵」を取り上げる事はできない。と反発することは、果たしてできたのでしょうか。責任者はオルガニストの雇い主ではないので(お互いに違う雇用主に雇われています)「上」もなにもない、と言ってこの罰を受けない、という選択肢が実はあるのです。夫は初め、そんな罰受けない、と言ったのです。それを聞く必要はない。と。でもさらに深く内部でけんかしつづけ、「オルガニストが悪い」という風にうしろゆびをさされながら(かなりいいがかりに近いものを感じるのですが)、同じ職場なのにオルガニストだけ別の世界を悠々と生きる事が可能でしょうか。

そう考えたら、クリスチャンだから、オルガニストをしているのだ、という自己の存在理由からは限りなくかけ離れて行きます。

わたしは、この話の続きをはやく知りたいです。
もっとひどいことになるのかどうか。
一体何の兆候なのか。
なぜ、わたしにとっても夫にとっても、また、教会にとっても、一番活動が実りつつある現在に、こうした事件が起きるのか。

結局、練習の件も、オルガニストは月1回の練習でミサを12回弾く、などというのはとても無理なので、鍵を返した後も、
「例外。」
の名で、鍵を借りて、練習をしています。
ミサも、コンサートも、大勢の人たちが集まり、良い交わりの時を持つ幸せな時間をたっぷり過ごしています。
ただ、わたしも夫も、おそろしく、充分、不幸な気持ちで奏楽しています。

一体この事件は何だったのか、まだまだわからないのです。

「続きの」話し合い、というかたちに何度か持って行ったのですが、表面的には
オルガニストも責任者もみんな同等、という「いつも通り」のスタンスです。
何故か、あの2月の日に私に対してだけ、
「上からの罰」
というものが通ってしまった、と思うと、
「わたしが上下関係を簡単に考えていたのが間違いだったのか」
と考えることもあるこのごろです。
責任者が罰したがっているのだから罰されるべきなのではないか、という風に、家庭的な職場において「責任者に従順であること」は正しかったのか、と。

このような「事件」は実は多いのではないでしょうか。
オルガニストはどちらかというと名誉職のような面もあり、だからこそ、人間としては同等と思っていたのに、いきなり「上からの決定」が下る。こちらとしては、なぜ事前に警告も相談もなしに?と思うわけです。

でもオルガニストや、オルガンの活動が、活発で「目障り」になると、「相談」なんて甘いことは言っていられなくなり、権利を少しずつ剥奪することは「音楽は教会活動の余興なんだから」問題ない、ということになるのでしょう。

つまりオルガンは無くてもいいのか。
オルガニストはいなくてもいいのか。

そこまで考えさせられます。

ついでに、わたしは、この仕事場において夫とは別人格なのか、同人格なのか。
さらには、オルガニストとして、夫がいなくても、ここでこうして生活することを選択しただろうか。

と。

考えても答えはすぐは出ません。
でも考えた事がないか?というとうそになります。

いちど、それをしっかり考えてみたい。と思っていたわたしにとって、そこのところが一番自分の身に残る体験になったと言う事は出来ます。
想像もつかないほどじいいいっと考え込む必要のある要件です(まだ終わってない)。





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オルガネット!!

2010年04月01日 | Weblog
オルガネットとは何か?
カスタネットの仲間みたいで可愛い名称です。
これはポルタティフのことで、仏語の呼び名です。

昨日3月31日、勤めている音楽アカデミーでこの楽器の講習会があり、クリストフ・デリンニュ氏(Christophe Deslignes*)が、

ー中世の音楽とその生活背景
ーいつオルガンがヨーロッパに来たか
ーどうやってこれで音楽するのか

という点などに触れながら朝10時から午後5時までお話、実技をしてくださいました。
*(ブログを書いた当初、先生の名字を、des lignes=線(複数形)という意味なのに、 de ligne(単数形)、と思い違いをして書いてしまいました。訂正します)

わたしが知らなかった事、びっくりしたことは、

1。オルガンは何故、発明されたか
2。オルガンは何故、教会に入ったのか
3。聖セシルが聖人になったわけ

の3点です。

よく考えれば、この第1、第2の疑問は、不思議に思う機会がなかったというか、何故だ?!と気にする必要は無いぐらい、オルガンにどっぷりつかってしまっていた、という気がします。オルガンがある日生み出され、それが教会に存在するのは既成事実であり当然、というような。



1。の答えは、「歴史的にどう発展したか」ということ以前に、「なぜふくらんだパンが発明されたか?」のノリで、その偶然の生誕秘話とでもいうようなものです(パンは、エジプトの料理人が、ある日焼くのを忘れたパンをそこにうっちゃっておいたところ、翌日ふくらんでたから焼いたらめっちゃおいしかったという)。

解答:水を用いて風圧を一定に保つしくみを考案したのは良いが、空気は目に見えないので、それを証明するために、パンフルートを風圧安定装置にくっつけて、その機械の優れていることを皆の前で証明した。機械にくっついたパンフルートが同じ音程で同じ音量の音を維持してみせたので、みなこの「ヒドロ-リック」は特許である!!と認めた。

厳密に言えば、この「ヒドローリック」、水オルガンの事は、「音楽の歴史」の試験にもちゃんと出て来るので、名前は知っている人も多いと思います。ところがこれは、演奏するために、楽器として発案されたわけではないということが、わかりました。

2。は結構びっくりします。(って私だけかしら)
ビザンチンから「オルガン」なるものを贈られたローマ時代の王様がいました。これがポルタティフ、オルガネットの初期のものなのですが、複雑でよく出来た芸術的な珍品、それも、ビザンチンの権力者から直々にいただいたということで、この王様の権力、知名度は一気にアップ。「すごいぞ」とうわさになり、なんと嫉妬に駆られた別の王様の手下により2、3日目には燃やされてしまった。あわれヨーロッパ第一号オルガンの運命。さて時はたち、第2号オルガンが、ビザンチンからまた別の王様のところに贈られる。そして、これもまたすぐに火をつけられてしまった。(木は燃えるし、金属は溶けるので、あとで修復もできない、コピーを作るヒマもなく消滅してしまった。)それで、第3号が贈られて来た時には「聖堂の中に入れて、燃やされたりしないように秘宝扱いにした」。そして、「そこにあるんだから、クリスマスとイースターには鳴らして、典礼を彩ろう」…と、少しずつ使われて行った、ということです。初めは、声だけで典礼の音楽をやっていたので、「オルガンの音はうるさくっていやだな。」という修道院もあったということです。

しかし、そんな「希少価値」の高いオルガンというものを持ってみたいという王様も多く、オルガンを作れる修道僧、ジョルジュさん(イタリア・ヴェニスの人で、中近東に修行に行った)は、ある権力者に「オルガネットを作れ。よいのが出来なかったら首はない。」と言われ、なんとかよいオルガンを作ったので、何をほうびにもらったでしょう。というクリストフ先生の質問に、夫(←オルガニストですが)が、

「消火器!」

と答えたので、先生に、「だからベルギー人は好きなんだよ!」と喜ばれました(先生はフランス人)。というような冗談は良いとして、ジョルジュ修道僧はなんと「修道院」を贈られ、そこの院長さんになったそうな。オルガンが作れるということはすごい特技だ、ということですね。しかしもしお気に召さなかった時のことを考えると…全ては命がけだった時代。という気もします…。

3。は中世的な話なのですが、この音楽の守護神の様な役割をのちに与えられた女性は、ライオンに食べられて殺されてしまったのだそうです。でもなぜそうなったのかは話してもらえませんでした。殉教したので、聖人になった、というところを、今まで聖セシルの場合突き詰めた事がなかったのでちょっとびっくりしてしまいました。ライオン…。



*****

すべて口頭で語られた話なので、実際には西暦何年頃、どこで、あったことなのか今度また詳しく調べてみたいと思います。
でも、それぞれに当時の文献を見つけ出した中からの話でした。

今日はほかに、「嫉妬」と「霜」を追放する祭り(アキテン語でほぼ同じ語幹なので語呂合わせのようにした。当時は言葉の第一義のほか、隠れた意味というのがとても大切だったという)で歌う歌をみんなで歌いながら輪になって踊ったり、グレゴリオ聖歌のように、即興的にメリスマをつけて歌うグループと、リゾンという1音の低音をずう~っと続けて歌う(楽器だとブルドンと呼ばれる低音)グループに分かれて応唱したりして、「楽譜が無い時代の、すべて記憶、口承でやる音楽の世界」を垣間見ることが出来たのでした。

オルガネットの実技では、今回は触ってみて、慣れる機会でした。6月にある第2弾の実技とアンサンブルに向けて、期待は募ります!それに話ももっと聞いてみたい。こどもたちも参加し、何かと疑問も多かったらしく、質問もいろいろ出て、とても活発で良い講習会でした。





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パイプオルガンのように

2010年03月27日 | Weblog
「フルートの魅力、多彩に」という見出しで、朝日新聞のインターネット版に次の様な記事が出ていました。
すごく、行ってみたいような気持ちになるコンサート紹介記事ではないでしょうか?



工藤重典を中心に、国内外で活躍するフルート奏者7人が集う「フルート・ライヴ in Hakuju 2010」が4月1日、東京・代々木公園の白寿ホールで開かれる。室内楽などで柔軟なアレンジに対応することの多い楽器だが、今回は多くがオリジナル。「親密で人なつこいだけじゃない、フルートならではの味わいを知ってもらいたい」と工藤は言う。

 「フルート・ライヴ」は2008年にスタート。「他の楽器に比べ、愛好家の層が厚いわりにレパートリーが薄く、多彩な魅力を伝える機会が少ない」と感じる工藤のプロデュースで始まった。

 定番の曲は、バロックや古典派の作品に集中する。バッハにテレマン、モーツァルト。バッハと同時代を生きたヨハン・ヨアヒム・クバンツは300曲ものフルート曲をつくり、独奏楽器としての黄金期を築かせた。しかしロマン派に至り、オーケストラ文化の中にフルートものみこまれていく。

 ソロ楽器として復権したのは20世紀、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の冒頭だ。プーランク、ドップラーといった作曲家もフルートの表現領域をダイナミックに押し広げてゆく。

 それでもまだ、フルートだけのアンサンブルは珍しい。いわばパイプオルガンの1管1管をひとりずつが受けもつような格好になるので「ビブラートの調和が難しい。でもその分、フルートの奥深さを実感してもらえると思う」と工藤は話す。

 共演は秋山君彦、岩佐和弘、立花千春、藤田真頼(まより)、吉田杏奈、新村理々愛(りりあ)。ピアノは成田有花。聴衆と一緒に演奏するコーナーもある(楽器は各自持参)。電話03・5478・8700(ホール)。(吉田純子)
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201003260349.html





管仲間なのでオルガンのような、という表現が使われているのですが、そういう表現をして「なるほどね」とわかる、というのはすごいことだなと思いました。

わたしが高校生の頃、「パイプオルガンのような」と言った時に、クラシックが好きな人でも音を思い浮かべられる人はあまりいませんでした。現在では都市部ではかなりオルガンのランチタイムコンサートなども浸透してきているんだな、と思いました。

曲目を見た時に、「メタロフォン」と言うのでしょうか、鉄琴の共鳴用パイプのついたもののような音色をイメージしていたのですが、オルガンのように7本のフルートが演奏するというのは…!ぜひ聴いてみたい。行けなくて残念です。

どんな音だったか、聴きに行けた方はぜひ感想を聞かせてもらいたいです。





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冬から春へ

2010年03月23日 | Weblog
新年が開けてから、のんびりと、CDの録音の最終版の準備とCDケースのデザインをしていたのですが、のんびりしすぎました!気がついたら3月。

練習と仕事の空き時間を使って、準備は少しづつ前進しては後退し…どうしてこんなに大変だったのだろう?と振り返れば、これは今までに無く、自分一人の演奏のCDだったからです。

今までは、ヴァイオリンの人との演奏と合唱との演奏だったので、常にポジティブに考える事ができた。
励ましたいとか、楽しもうという気分が最初にあるというか…。
でも、自分だけだと、途中でどんどんネガティブになっていくんです。
「これで良いんじゃない?」という、普段は簡単に出て来る一言が、どうしても、いつになっても出て来ない。
どこが良いんだか自分ではよくわからない。良くないところばかりが目についてしまう。

そして写真も、文章も、全部自分で準備するということは…作っている間は楽しいけれど、「完成させる」という事が、のびのびになってしまうのです。ノルマがなく、期日、締め切りがないというプロジェクト。若い頃、つくりかけの刺繍とかいろいろあったなあ…どこいっちゃったんだろうなあ…などと、考えはノスタルジーの世界に羽ばたいて行ってしまうぐらい、「好きな事を好きなようにやる」のは結果にはつながらないのでしょうか…

しかし!

幸か不幸か、オルガン建造家のトマ氏が、会社として主催する45周年記念パーティの日に、CDの発売を合わせてくれました。

それからは、4月11日(日)にはCDが出来てないと困る。という状況が生まれ、周りの人たちも一緒に焦って急いでやってくださり、お陰さまでなんとか全ての細部が落ち着くべきところに落ち着き、先週印刷所に入りました。

録音したのは11月の初めなので、3月の現在に聴くと、「冬っぽい演奏だなあ。」と自然に思えるという不思議な経験にもなりました。とにかく寒いので(?)力一杯弾いているバッハ、とこれはあとづけの感想ですが。ごおおお!と炎の音がしそうな曲もあります。CDの装丁は前から希望していた通り、赤紫。ホ短調のイメージの色だったのですが、最後に符丁が会ったという感じです。

バッハのホ短調トリオを中心に、近親調のイ短調とロ短調も入れたプログラムになっています。とにかくホ短調というのはパワフルな調なのでとてもやりがいがありました。続きとして5月以降に録音する第2弾は、ハ短調トリオ中心なので、今年はどんな季節を選んで弾けばうまくはまるのかな。とも思いますが、今回はホ短調を寒い季節に弾けばこうなる、ということを予測して計画したわけではないので、すべてはReverationなのだ。と思わされます。

ホ短調のプログラムを組む時に、初めはト長調を合わせようと思っていました。同じ音を使っているのだから、流れとして聴きやすいはずだ、と思ったのです。ところが、別々に準備している時は気がつかなかったのですが、ホ短調の曲想とト長調の曲想はまったく合いませんでした。60分のCD一枚の中で、物語を構築して行くという方向に行かない。

「お口直し」的な効果こそあれ、「話が煮詰まっていかない」。

と、いうわけで録音の1週間前にプログラムを作り直し、気がついたら、きっかり14曲になっていました。

バッハ先生も「これでいいんじゃないの。」とおっしゃっているのか!…というのはこちらの勝手な思い込みですが(14はバッハの数字なので)。

そして昨日春分の日、激しい花粉症に襲われつつ、カレンダーを見たらバッハのお誕生日でした(3月21日)。やっと気温もあがり、晴れの日には木々のつぼみが日に日に顔を出す季節がやってきたのに、雪のテンプレートのまま、「晴れた日のオルガン」ブログを書いていない状態が3ヶ月以上も続いているではないか!とバッハ先生のおしかりを受けた感じがして、今日は文章を書く事にしました。

久しぶりなのに自分のCDの話になってしまいました。
しかし、結果的に、この冬の第一の懸案であったということは確かです。
一曲目だけですがこちらの頁で聴いていただけます。

http://www.myspace.com/momoyokokubu


以下がプログラムです。
日本でも発売できる日が来ると良いなと思っています。

Präludium und Fuge in a-Moll / BWV543 
Herr Gott, nun schleuß dem Himmel auf (in a-Moll) / BWV617
Jesu, meine Freude (in e-Moll) / BWV713
Triosonate IV (in e-Moll)  / BWV527
i ) Adagio-Vivac
ii) Andante
iii) Poco Allegro
Präludium  XXIV (Wohltemperierte Klavier Teil 1) in h-Moll / BWV869
Jesus Christus, unser Heiland (in e-Moll) / BWV665
Wer nur den lieben Gott lässt walten  (in a-Moll) / BWV642
Herzlich tut mich verlangen (in h-Moll) / BWV727
Erbarm dich mein, o Herre Gott (in h-Moll) / BWV721
Präludium  und Fuge in e-Moll / BWV548






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ことしがおわるということ

2009年12月29日 | Weblog
今生きている時間帯が「そういう社会の仕組み」によって終わりになり、間髪入れずに新しい時間帯につながって行くという状況を、個人的には41回目に体験しようとしている。クリスマスとおおみそかという「お祭り」にかまけていれば、自然に「みんなで」乗り越えられるようになっている、「今年が終わる」ということ。

一年が365日なので間髪入れずに次の365日が来てしまうけれど、お陽様の都合で言えばはみだしてしまっている6時間を、4年ごとにうるう年の一日として計上せずに、

一年終わりました~。
6時間あまってます~。
これはなんでもない時間です。
ただお陽様が追いつくのを待ちましょう~。
使い道も使い方もない、消えちゃう時間です。
ここんとこは日常ですらないんです。

ということにしたら、

なんとなく自由な感じがしませんか?

似た様な考え方では、天地創造の時に、6日間いろいろ創造して、7日目はお休みしました。神様も、「よく働いた。これでよし。」と満足したから。だから、

7日目は「余った時間」

という風に、結構日曜日の「創造」って自由のためにすごいことだった。


でも、「きっちり24時間区切りで日曜日が巡ってくる」サイクルのせわしなさは、年取ってくると「観覧車は回り続ける」というような乗り物酔い感を伴います。

もし、ここで、観覧車が急に止まって、おおみそかに6時間すべてが「自由化」されたら。その6時間という短さ、あいまいさは、なかなか「ふわふわした」ものを心に与えてくれないかな。というヘンな思いつきが生まれてしまいました。

時計も止まる。
店も閉まる。
みんな解放される。

こういうことが、疑似体験されるのが、事故や、事件、災害の起こった時。台風で小学校が急にお休みになった時のように、次の予定が未定というか保留になり、「きまりきまった先の予定」がすべてキャンセルになる、

ような、でもしょせんは





はかない夢、




すべてがキャンセルになっちゃうような破壊的なものが…、戦争とか…、社会に入り込んで来る事だけは私たちは避けないといけないから。それに事件の後片付けというのは「一瞬の」自由に釣り合わないくらいダメージが大きい。

でも、非常時には心がシンプルになって、隣人と、敵とすら、心を寄り添わせたりできるという時間を、大きな事件、戦争に発展する前に、ちょこちょこ体験しないと社会が爆発してしまうような気がする。


自分たちが頑張って、良い社会にしようという意思のかたまりのようなものが、きっちり書き込まれた予定表が、自分たちはただの人間という地球の生き物なんだ、という原始的な喜びを押しつぶしてしまう気がする。


こんなことを思ってしまう私はヘンなのでしょうか…。


今日は、たしかに、ヘンな気分です。

ここに、クリスマスと新年のカードに代えて、ライブ録音なので甘いとこもあるけれど「原始的に喜びたい」とメシアンが思ったに違いないとわたしには思える曲を載せました。

http://www.myspace.com/momoyokokubu

こうして文字で書くのがもどかしい部分を音で聴いてみて下さい。
「言いたい事分かってもらえたら嬉しい」
そういう気分な年末です。

はかない、言葉にならないようなあいまいなもの、でも圧倒的に心に「来るもの」を糧にしか生きられないのだという現実を大事にしたいという様な。

ライブなので星のように消えてしまうものということで1月の末まで載せたらあとは消すつもりです。


今年もたくさんの友情をありがとうございました。

素晴らしいことがいろいろ待っている2010年になりますようにお祈りしています。






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