毒親育ち☆もみくちゃん🥳

人生もみくちゃん🥳を知ってもらう為のブログ✍

過干渉ってどんな感じ?

2021-07-16 15:20:00 | 虐待行為の話
 こんにちは、こんばんは、もみくちゃん🥳です。
 今回は、前々回のブログ⬇
 ここに書いた中から過干渉だと感じた親の言動について書いてみようと思います。
 といっても、私自身、感じ方も、記憶も、とても曖昧なので、全然過干渉じゃない!😡と言われてしまうこともあるかもしれません。
 ご指摘はいつでも受け付けていますので、やんわり教えていただけると助かります🙏

 とりあえず手探り状態になってしまうので、⬆の記事でもご紹介した、
 を参考にして、書いていきたいと思います!

  • 心配性
  • 失敗を極度に恐れる
  • 先回りして子供のリスクを徹底的に取り除く
  • 子供のプライバシーに平気で侵入する
  • 子供の評価=親の評価だと思っている
  • 実は子供を信用していない
  • 子離れできない
 の、7つがあげられていました。いざ、検証!(?)してみましょう🤔

心配性
 少し帰るのが遅くなるだけでもダメなほど通学の時間に関しては厳しく門限を設定されていました。心配性だったから、だけではないかもしれない。心配が安心、安心が怒りへ変わるタイプの母でした。
 また、爪切りや耳掃除、身辺管理、またお茶をつぐこと、ご飯をよそうこと、なども高校生まで母がやっていたのですが、それも心配性だった、という1つの理由かもしれません。

 「あんたに任せるのは不安」と1日に何度も言われて、私に自主性が芽生えるはずはなかったですね🤔
 (けれどそのうち「いつまで私がやらなきゃいけないの!?」とキレてしまうのが私の母でした。)

 日常生活の心配されるレベルがそんな感じだったので、もちろん、外での生活(学校や友達付き合い)はもっと厳しく管理されていました。
 基本遊びに行くのは事前に言っておかなければダメ、伝えておいても当日急にダメだと言われてドタキャンの電話を友達に何度かけたか分かりません。そのうち「あの子誘っても無駄だよ」とコソコソ言われるようになり、クラスメイトから遊びに誘われることはなくなりました。

失敗を極度に恐れる
 上記の日常生活内でもそうですが、母は自分の失敗も私の失敗も、恐れていたのかもしれません。

 私は確かにおっちょこちょいで、何をやっても失敗するダメな子でしたが、だからといって、失敗する機会すら与えられないと、こどもは学ぶことすら奪われるのだと、今なら理解できています。
 失敗するのが悪いことなのではなくて、失敗したのに反省しないことや、失敗したことに対して嘘をつくことが、悪いことなのだと。
 私はそれを、自分の子供たちの失敗する姿や、失敗した後に落ち込む姿を見て学びました。

 失敗は、悪いことじゃない。

 そう、断言していきたいです。(自分には言えないけど……🤣)

●先回りして子供のリスクを徹底的に取り除く
 上記の「心配性」の部分とも被るかな?と思います。
 とにかく「危ないから」「あんたはできないから」「あんたには無理だから」「ママがやるから」と、私の希望や心情、本当にできるのかできないのかすら無視して、リスクを取り除かれていたんだと思います。
 結果できあがったのは、私みたいな、何もできないおとなです🤣🤣🤣

子供のプライバシーに平気で侵入する
 これはとても辛かった記憶があります。
 基本的には荷物や持ち物は全て親の管理下でした。宿題やノートなどの文房具類はもちろん、友達からの手紙図書館で借りた本の内容筆箱や鞄の中身机の引き出しは鍵をかけるの禁止。ああ、ガラケーを持った時期はメールも全部読まれました🤣

 何より嫌だったのは、秘密にしておきたい、どこにも吐き出すことのできない、弱音や親への不満を書いた「日記」でした。

 日記はどこに隠しても絶対にバレて、読まれて、怒られて、音読させられたりしました。二度と親への悪口を書かないなどの約束などもさせられました。
 私の逃げ場はそうやって1つずつ刈り取られていきました😢

子供の評価=親の評価だと思っている
 これはよくある話かもしれません。子供の勉強や習い事、お行儀のよさ、運動神経、才能の有無、愛嬌の有無。

 そういうもので子供の評価をし、その評価によって「恥ずかしい」とか「みっともない」とか「そんな子に育てた覚えはない」とか「私の子じゃない」とか、そういう言葉で自分(親)と我が子を切り離そうと必死になるという親。
 たくさんいるんじゃないかな、と勝手に思っています。普段どれだけ優しくても、1つの過ちで過度に自衛しようとする人たち。

 私の親もそうでした。特に母親ですが、とにかく、1つでも失敗してはだめでした。
 私の失敗は母の汚点に変わるからです。

 だからきっと、母から
「お前なんか産みたくなかった」
と言われてたんだと思っています🙂💦

 だって、「私」という存在自体が、母にとって、最大の汚点だから。

●実は子供を信用していない
 お題?通り、信用されていなかったと思います。
 まさに「あんたのことなんかなんも信用していないから」という言葉も何度となく言われています。

 私は確かに、おっちょこちょいで、ドジで、忘れ物も多く、家から出たら約束したことも忘れてしまう子供でした。今から思えばADHDの症状だったのかもしれませんし、虐待を受けたが故にADHDのような脳になったからなのかもしれません。
 が、その当時にはADHDのことや虐待、虐待の後遺症について、こんなに現在ほど詳しい話は出回っていませんでした。ただの「マヌケな子」「やる気のない子」「ダメな子」というレッテルを貼られるばかりだったのだと思います。

 そんな、マヌケでやる気のないダメな子に、完璧主義者の母が何かを任せたり、選ばせたりするはずありませんね🤣
 私は何一つ信用してもらえないまま大人になるしかありませんでした。

 そして、何一つ信用できない、or、何でも信じてしまう大人になりました。

子離れできない
 これは私の中ではピンとはきません。
 ただ1つ分かることがあります。
 私自身が親離れできていない、ということです。
 私は2021年現在32歳ですが、こうやってうじうじ悩むくらい完全な親離れは、多分、できずにいます。未だに、自分の人生を生きる、という言葉を真の意味で理解することもできずにいます。
 ということは、きっと、母も子離れできなかったのではないでしょうか。
 そもそも、子離れ、親離れ、とはなんでしょうか。

親離れ・子離れとは?

 子どもは思春期を迎えると、親の干渉を嫌がってプライベートな時間や空間を持ちたがります。その過程で個性を確立させたり、親元から離れて自立しようと考えます。これが「親離れ」です。

それに対して、それまで子どもを大切に育て、面倒を見ていた親が、その手を離して、子どもを社会へ送り出すことを「子離れ」と言います。親子関係では、まず子どもから離れようとするのが一般的です。こうして子どもはひとりの社会人として巣立っていくわけですが、なかにはそれがうまくできない家族がいます。

 <上記より引用しました。>

 また、このような記事もありました。


 やはり、親離れ、子離れは必要なもののようです。是非参考になればと思います😳

 私も読んでみて、「あ"〜〜〜……🤦‍♀️」と思いながら、現在は物理的距離があることに、改めて安堵しました。

 

 はい!というわけで、私の親の過干渉の部分について振り返ってみました🤗
 どうだったでしょうか?
 皆さまの中にも思い当たる節のある親の言動、ありましたか?☹️

 何歳になってからでも遅くないです。
 「……おやあ?🤔」
 と思ったら過去を振り返ってみませんか?

 もしも読んでくださったあなたが、今、息をしづらいのなら、少しでもそれが和らぐ助けになれば幸いです🙇‍♀️🌟

 それでは次回、またお会いできますように🥳

私と母とセーラームーン

2021-07-02 21:31:18 | 母との記憶
 どうにも思い出してからもやもやと鬱々の気持ちが晴れず、どうにも変な感じのままで解消できないので、吐き出していこうと思う。

 新版のセーラームーンの劇場版が一月八日に公開する。旧アニメ版が好きすぎて新アニメ版(Crystal、だっけ)は全く触れてこなかった私だけど、新作劇場版の公開日が何と自分の誕生日なので、ちょっと運命めいたものを感じたりして、観てみたいなぁ、なんて思わなくもない、のだけど、私にとって『セーラームーンの映画』というのは、かなりのトラウマ要素でもあってやっぱり映画館に行くのは止そうかな、という結論になると思う。
 私が初めて映画館で観た映画、というのが「かぐや姫の恋人」というもの。母と二人だけ、憧れの映画館。大好きなセーラームーン。私にとっては最高に幸せな時間だった、のに。
 冬の日だった、と記憶していた。(今気になって調べたら公開は1994年12月だった。驚いている。)ボロボロと号泣した私と、うっすらと泣いていた母。何でそんな泣いてんのよ、と笑う母に私は、ママも泣いてるよ、みたいなことを言って、二人で笑い合う。何処からどう見ても、幸福そうな映画後の親子の姿。けれど、ここで母の言葉が私を射抜いた。

「はぁー、あんたが女の子でよかったわぁ。あんたと(弟)が逆やったら、流石に三歳連れて映画に来るのは無理やったし、でも大人なのに一人で子供の映画なんて恥ずかしくて行けんかったし、ほんと、よかったわぁ。あんたが女の子で。あんたが観たがって連れてきましたーって誤魔化せるやん? いやぁー、ほんとに、ちょうどよかったわぁ」

 五歳の私は、本当に何を言われたのか判断に困って、それでも、初めて「弟よりも私がいい」って言ってもらえた喜びと、「私の為に連れてきてくれたのではないんだ」というのを知ってしまったショックと、「何かが『ちょうどよかった』だけで、普段は何も『ちょうど良くない』んだな」と悟ってしまったのと、……あの時の世界の暗転はもっとえぐい感情だったのだけど……、そう、多分、
「私はあくまでも『男の子』で『三歳』の『弟』では無理なことを叶える為の手段、理由にされただけで、母は私の喜びを目的とはしていなくて、それどころか、自身の為のカモフラージュであって、私は単なるおまけ、使い勝手の良い、ちょうど手元にあった駒に過ぎす、決して母の視界に私は映っていないのだ」
という旨の内容を瞬時に理解してしまったんだと思う。五歳で。

 その帰り道、車窓の外の街頭やネオンに、一人でシクシクと声を殺して泣いたことも、今思い出している。それを察した母に「何で泣いているのか」を訊かれても、上手く話せず、「映画のこと思い出して」とだけ答えて、母は本当に機嫌よく運転してくれて。
 それを思い出している今、とてつもない無力感と、絶望感に襲われている。とても、苦しい。

 26年も前のことなのに、何でこんなにありありと思い出せるのか。
 あの時の母は本当に上機嫌で、私に映画館の思い出の品も買ってくれたんだったと思う。付き合ってくれたお礼だ、とか言って。でも私はなかなか選べなくて、結局イラつかせてしまって、母の選んだ、小物入れになっている白雪姫のオルゴールを買ってもらったんだったっけ。要らない、とも言えず、でも、白雪姫なんてそんなに好きじゃなかったのに、与えられたそれ。余談だけど、成長するにつれて、ちょっとずつ気に入った思い出の品に変わっていったけれど、そう思える頃には「そんなものいつまで使ってるつもり?」と廃棄の危機にあったりもして、そういう小さな積み重ねは確実に私を飼い殺しにしたんだろう、と今なら思えるし理解もできる、けど、それでも未だ私は「そこ」から出られない。情けないな。

 二歳半年下の弟。母の溺愛が普通だった弟。乳児から幼児の時期は本当に顕著で、特に生まれてすぐの頃のビデオを見返した記憶を辿ると、母の撮影する範囲にどうにか入りたい私と、赤ちゃんの弟と、私ではなく弟を写したい母との、「あたちもとって!」という舌足らずな私の声と必死に写ろうとする姿、それを遮り苛立つ母の「今は(弟)くん撮ってるからどいて!」「邪魔!」などの声が入っていたのを思い出す。私は恐らく、弟が生まれてからずっと、自分はあまり母に好かれていないというのを感じ取っていて、それでも「母に愛されるイイコ」を目指して、幼児なりに頑張っていたけれど、それは無駄な努力に終わり続け、それでも努力しなくてはならない毎日を過ごして、それがやっと報われたかもしれないと思った(映画に二人きりで行くという非日常)、その矢先に突き付けられた悪意のない本音に、絶望したのではないだろうか。
 どうせ頑張っても、私には何もできないし、ママを喜ばせることはできないんだ、という確信めいた絶望。明日からどうしたらいいんだろう、と思案し困惑する五歳、というのを思い描いた時、真っ先に思ったのは「哀れだな」という感想だった。少しでも「大事」な「娘」だと言われたくて頑張っても、すぐに忘れてしまう脳味噌。言われたことを覚えていられず、つい行動してしまう多動性と衝動性。愛想を尽かされても当然だったとは思う、けれど、でも、でも、
 ……私は今、四人の母として、この子の何かがおかしい、と思ったことについて対処する為に奮闘している。それは私のためではなく、その子自身に確認を取った上で、困ってることを減らしたいという本人の意思に基づいて私のできる最大限の努力と助力をしているだけだ。彼等に少しでも美しい世界に触れていて欲しいからだ。そう思った時、母は、私に対して、そうは思ってくれなかったのだと、そう思ってもらえるだけの価値を見出してもらえなかったのだと、そう思ってもらえるくらいの努力ができなかった私が悪いのかもしれないと、そう、自責するしか、ない。

 22歳で私を産んだ母。私が五歳だったあの日、母もまだ30歳になっていない。私は今31歳だけど、アニメはまだまだ大好きだ。母はきっと、今の私を観ても、『まだアニメなんて観ているの? 子供じゃないのに?』と嫌悪するんだろう。でも、あの当時の母に「大人だって好きなアニメがあってもいいんだよ」と言ってくれる人がもしもいたら、と思う。そしたら、母だって救われたかもしれないのに。
 ああ、そうか、そうなんだ。嫌いになりたいはずの母、私はあの人を、救いたいんだ。

 もし未来の私が今よりも余裕のある幸福な生活を手に入れることができるのだとしたら、まだ余裕があるなら、是非そこに、母も加わって欲しい。父も、弟も、妹も、みんな、幸福になって欲しい。きっとそうなんだ。
 今の私は自分の子供達を幸せにすることで精一杯だけど。あの人達と『本当の家族』になれる未来を、捨て切れないのかもしれない。過去の、子供の私も沢山傷ついたけれど、本当に傷だらけで、報われてこなかった母が、救われて欲しいのかもしれない。

 好きじゃないです、ママ。
 でも、嫌いになれないのです、ママ。

 あなたが私の「お母さん」である限り。私にあなたの血が、あなたの遺伝子が半分、存在している限り。そして何よりも、あなた自身の言動に傷ついた過去を、流せない、限り。
 私は、申し訳ないけれど、それでも、あなたの、「娘」だから。

(Amebaより転載)