故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る
古きを学ぶはそこから万古不変の真理を知り、自らの糧にすることをいう。
これは決して新しい知識や見解を得るなどというようなものではない。
過去の人々の言行逸話から心を養うに足るものに学ぶ。
すると古くさいものに学んでいるのに、何故かハッとさせられる部分がある。
このとき初めて向上の道を得る。
これを新しきを知るという。
………………………………………
古きを訪ねるには二つの方がある
一つは過去の文献に当たる事
一つは古老の話を聞く事である
かつてお道の講演は体験談で埋め尽くされていた
聴衆は、そこに神様のお働きを目の当たりにした
ところが、そうした講演はだんだんと姿を消し
代わりに出現したのが原稿棒読み講演である
しかも、その内容は
三原典と真柱様のお言葉のオンパレード
心に響く言葉が無い
心に残る話が無い
また、科学や法律や学問の話が取り上げられ
肝心の神様の世界を説く者が居なくなった
道しるべを見失ってしまい
あらぬ方向へ向かっていると感じざるを得ない
教祖の高弟
道の大先輩
そうした人々の講話に触れる事こそ重要な事である
これから先の道しるべは、そこにしか存在しない…と私は思う
古きを学ぶはそこから万古不変の真理を知り、自らの糧にすることをいう。
これは決して新しい知識や見解を得るなどというようなものではない。
過去の人々の言行逸話から心を養うに足るものに学ぶ。
すると古くさいものに学んでいるのに、何故かハッとさせられる部分がある。
このとき初めて向上の道を得る。
これを新しきを知るという。
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古きを訪ねるには二つの方がある
一つは過去の文献に当たる事
一つは古老の話を聞く事である
かつてお道の講演は体験談で埋め尽くされていた
聴衆は、そこに神様のお働きを目の当たりにした
ところが、そうした講演はだんだんと姿を消し
代わりに出現したのが原稿棒読み講演である
しかも、その内容は
三原典と真柱様のお言葉のオンパレード
心に響く言葉が無い
心に残る話が無い
また、科学や法律や学問の話が取り上げられ
肝心の神様の世界を説く者が居なくなった
道しるべを見失ってしまい
あらぬ方向へ向かっていると感じざるを得ない
教祖の高弟
道の大先輩
そうした人々の講話に触れる事こそ重要な事である
これから先の道しるべは、そこにしか存在しない…と私は思う