ぎょうりやま

かいちょうさんの日記

常岡一郎語録

2018年08月08日 | 日記
 一本の大木がある。幾万の枝と葉が茂っている。その枝葉の一つずつを移転させる。全ての枝と葉を移し終えた。残るものは只一つの幹である。根だけであるとする。その時でもその只一つの幹は枝や葉に付いて移動するのではない。然し只一つの幹を移せば、枝と葉は幾万あっても手も触れないで独りで幹と共に移動してくる。根元に付いて幾里でも移って行かねばならん。

世界幾憶の人は住む。たとえ全人類が白い浴衣を着たとしてもまだ五月に熱い夏は来ない。然し七月になれば夏が来る。親様が熱い夏の仕込みしようとなさる。只一つの時が移って行けば、全人類は薄い白い着物を着ねばならん。親の心が一つ動けば幾万の人々の生活はすっかり変らねばならん。

幾万の枝葉を動かすより唯一つの根を動かさねばならん。幾万の人々の考えを動かすよりも唯一つの天の親様の心を動かすところに宗教の生きる世界がある。節に直面した子供の上に天の親心は正に動かんとしていられるのである。節に処して一切の周囲に心取られず、只一つの理に直進する時、親様の心は動く。親の心に映った不抜の信念、勇躍の心こそ如何なる周囲の難関をも切り抜けさせて下さる唯一の足場となるのである。

節と心  P230


人と金が私たち人間のまわりに、すぐ手近にある。神は遠くして遥かに頼りないように見える。そして、目には見えぬ。手近いように見える処の人と金から先ず動かそうとするのが人間の弱点である。親様は自分の身体よりももっと近くまで来て自分を守っていられるのだ。先ず天を動かす事が最も大切なことであるのであった。天は身を捨ててかかる人を守って下さるのではないか。…遂に私は思うた。親から物を貰う時はお頂戴をせねばならん。お頂戴とは両手に何物も持っていませんと言うことを親に認めてもらうことである。…

節と心 P206

世の立て替えは神様が思い立っていられるから我々は神様の心を喜んで頂けるように務めねばならん。布教者としては先ず人間として目覚めねばならん。そうして神様のお心を慰める真実の生活―明るい感激の生活をし続ける人になったらよいのである。どんな日も、どんな事も有難いと言えるような歓喜に燃える心に成人したら親神様はどんなにでもお喜び下さる。その証拠として、その明るい心の人の周囲には不思議なお手入れが始まるのである。一寸した心違いでもすぐにそれが現れてくる。かくてその周囲の人々の立て替えが始まり世は澄みきってくるのである。

節と心 P67

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