○軽海西城祉<かるみ>(稲葉氏が数代居住)本巣市真生町軽海北屋敷640
軽海西城は数代稲葉氏居城し、その後西村勘九朗(後の斉藤道三)が一時居城した。又信長との戦い後は「織田勘解由左衛門信益」が守る
城祉は現在「円長寺」であり、少し小高い所にある。
「軽海西城」の他後で紹介する「美江津城」「十九城」「十七城」はすべて中仙道沿いに点在し、犀川に沿っている。
今川義元を討った余勢をかって、永禄3年織田信長は西美濃攻めを行った。長良川に船橋を架け、勝村(平田町輪中)→森部戦場(勝利)→墨俣砦を占拠く)→十九条に砦を築く(犬山城主織田信清の弟信益を守りに置く)→十四条戦場(引分?)軽海西城(夜襲を受けるも引分?)→墨俣(引き上げ)
軽海西城は数代稲葉氏居城し、その後西村勘九朗(後の斉藤道三)が一時居城した。又信長との戦い後は「織田勘解由左衛門信益」が守る
城祉は現在「円長寺」であり、少し小高い所にある。
「軽海西城」の他後で紹介する「美江津城」「十九城」「十七城」はすべて中仙道沿いに点在し、犀川に沿っている。
今川義元を討った余勢をかって、永禄3年織田信長は西美濃攻めを行った。長良川に船橋を架け、勝村(平田町輪中)→森部戦場(勝利)→墨俣砦を占拠く)→十九条に砦を築く(犬山城主織田信清の弟信益を守りに置く)→十四条戦場(引分?)軽海西城(夜襲を受けるも引分?)→墨俣(引き上げ)