「本当に・・・。少将さまもお酒がお強くないのですから、良い所で切り上げて来られたら良いのですわ」
「まぁ、ねぇ・・」
几帳を動かしたり円座を敷いたり────
パタパタと動き回りながらの小萩の言葉に、あたしは曖昧に頷いた。
格子の隙間からは、まだ梅雨前だと言うのにすでに初夏を思わせるような夜風が入り込んで来ている。
「まぁ仕方ないわよ。上官に誘われちゃったら断りづらいだろうし、高彬だって仕事と割り切って飲んでるだけだろうし」
「それはそうでございましょうけど、ですが・・・」
小萩は不満そうに何かを言い掛け、ふと確認するかのように辺りに目を配ると、どうやらやることは全て済んでいたようで膝を折って床に座った。
「何度も姫さまのお耳に入れた話だとは思いますが、小萩は酔った殿方と言うのがどうにも苦手なのですわ」
「そうよね。知ってるわ。おまえの叔父さんだか何だかがものすごい酒飲みで、随分とイヤな思いを味わったんでしょ?」
頷いてやると
「イヤな思いと言いますか、酔って絡まれたくらいですけど」
「絡まれるのはイヤなものよね。うちの父さまもかなりの酒好きだけど、でも父さまのは陽気になる方だからまだマシかな。時々、泣き上戸になってメンドウな時もあるけど」
「普段は温厚な叔父が、飲むほどに酔うほどに、人が変わったようにネチネチと愚痴やら聞くに堪えないような下品な冗談を言いだして・・・」
その時を思い出したのか小萩はぶるっと身震いし
「きっと叔父は元来がそう言う類の人間だったのだと思いますわ。普段は押さえつけてるものが酔うことによって取っ払われ、本性が現れたのに違いありません。酔った時の姿こそが、その人間の本性、本音なのですわ」
真顔で力説してくる。
あたしも酔っぱらいはそんなに好きではないけど、でも小萩よりかはまだ許容範囲が広い。
でも小萩がここまで言うんだから、その叔父さんとやらの絡み方は本当に堪えがたいものだったのかも知れない。
まぁ小萩が生真面目ってこともあるんだろうけど・・・
「出迎えはあたしだけで良いから、おまえはもう休んでいいわよ」
浮かない顔をしている小萩にそう言ってやると、ホッとしたように頷き
「では失礼して退がらせていただきますわ」
二つ返事で頭を下げ、そそくさと部屋を出て行った。
(そろそろかしら?)
一人になった部屋で耳を澄ます。
高彬の従者から知らせが入ったのが小半刻前。
直属の上官から急に宴の誘いがあり高彬も同席していたのだけど、かなり酔ってしまったらしい。
それでもあたしのとこに来ると言っているらしく、かなり遅い時刻になるだろうけど伺っても良いだろうか───
と言う内容だった。
元々、今夜はうちに来る予定だったし、何よりも高彬はあたしの夫。
つまりはここ三条邸の人間なわけで、帰宅を断ろうはずもなく、あたしは一もにもなく了解の旨の返事を出した。
そろそろかな、とは思うんだけど・・・・
脇息にもたれながら静かに耳を澄ませていると、やがて夜風に乗せて聞こえるホゥホゥと鳴く鳥の声に混ざり、かすかにだけど東門辺りからざわめきが聞こえてきた。
ほどなくすると庭から複数の足音が聞こえ、灯篭の明かりの元、わが夫、高彬が現れた。
しっかりと両側から従者に支えられている。
───あらあら。
あたしは一人、目を瞠った。
これは随分と酔ってるわねぇ・・・
小萩を退がらせて正解だったみたいね。
さっと草履を引っ掛け高彬の元に行く。
「ご苦労さま。ここまででいいわよ」
労いの言葉を掛けると、従者らは頭を下げ踵を返し、やがて闇に消えていった。
高彬とあたし、身体の大きさからしてどっちが支えられてるのか分かんないくらいだけど、取りあえず階を上り部屋に入る。
このまま寝所に連れて横にならせるか円座に座らせるか考えていると、高彬は自分から円座に腰を下ろした。
少しだけ普段よりも荒っぽい所作に、やっぱり酔っているのね、と納得してしまう。
「大丈夫?白湯でも飲む?」
腰を屈め、覗き込むようにして言うと
「瑠璃さん」
「・・・きゃっ」
一瞬ふわりと身体が浮き、気が付いたら高彬の腕の中にいた。
腕の中と言っても普通に抱き寄せられたとかそんなんじゃなく、なんて言うのかしら、抱きかかえられてるって言うか───
ほら、お姫さま抱っこって言うの?
あんな感じ。
ま、あたし、こう見えて正真正銘のお姫さまなんだけどね。
それにしても、座った状態であたしを抱っこ出来るなんて、高彬ってほんと力持ち。
この細い身体のどこにそんな力があるのかしらって感じなんだけど。
すぐ近くにある高彬の顔を見ていると
「瑠璃さん」
ふいに高彬が目を合わせながら言い、返事をする間もなく
「可愛い」
真顔で言われ、あたしはギョッと高彬を見返してしまった。
(可愛い)だなんて、普段の高彬なら絶対に言いっこないことなんだもん。
「高彬、今、なんて・・・」
「瑠璃さんは可愛い」
「えぇと、その・・」
ありがとうと言うべきか、そんなことないわよ、と謙遜するべきか───
言葉に迷っていると
「あぁ、瑠璃さんは可愛いなぁ。なんでこんなに可愛いんだろうな」
ふいに高彬は目を細め、そうしてあたしの頬に接吻をしてきた。
これまた普段の高彬だったら絶対にしそうもないことなので
「えぇと、高彬。あなた・・・、酔ってるのよね?」
ついつい確認してしまった。
「うーん、どうかな。酔ってると言えば酔ってる気もするし、酔ってないと言えば酔ってない気もする。あぁ、でも、ぼくがもし酔ってるとしたら、それは瑠璃さんにだよ」
「・・・」
酔ってるわね、これはかなり。
「ぼくは瑠璃さんと結婚出来て本当に幸せだよ」
「・・・」
「出来れば仕事なんかせず、ずっと瑠璃さんと過ごしたいと思ってるんだ」
「・・・」
こんな台詞が高彬の口からポンポンと出てくるだけでも驚きなのに、しかも言葉の合間合間に頬や額に接吻をしてくるんだから、一体、どれほどのお酒を飲んだものやら・・・
これはもう横にならせた方がいいかも知れないわね。
「ねぇ高彬」
もう横になった方が・・・
と言い掛けたところで、ふいにさっきの小萩の言葉が蘇ってきた。
───酔った時の姿こそが、その人間の本性、本音なのですわ。
「・・・」
それにこうも言ってなかったかしら?
───普段は押さえつけてるものが酔うことによって取っ払われ、本性が現れたのに違いありません。
「・・・」
と言う事は、よ。
本音の本音の部分では、高彬はあたしが可愛くて仕方なく、あたしと結婚したことが本当に幸せで、そうして出来れば仕事なんかせずに、始終あたしと一緒にいたい、と。
高彬はそう思っている、と。
そう言うことなのかしら・・・
「・・・」
やだ、嬉しい。
「・・・」
どうしよう、にやけてきちゃう・・・
頬を引き締めようと奥歯に力を入れ、でも、次の瞬間に思い直した。
どうせ酔った高彬は明日には覚えてないんだろうし、ここは高彬のノリに付き合って見るっていうのもアリなんじゃないかしら・・?
うん、そうよね。
たまにはいいわよね。
「あたしだって高彬とずっと一緒にいたいわよ」
唇を尖らせ、甘えた風に言ってみると、高彬はすかさず軽い接吻をしてきた。
そうして
「可愛いなぁ、瑠璃さんは。うん、本当に可愛い」
可愛い、可愛いを繰り返しながら、顔や頭にまで接吻をしてくる。
軽めの接吻だったのが、段々と熱を帯びてきたような気がするのは気のせいかしら・・・?
これはひょっとしてこのまま───
と言う思いがチラと頭によぎったのと、あたしを抱きかかえたまま高彬が立ち上がったのが同時だった。
几帳を回り、慣れた手付きであたしを夜具に置く。
するすると袿を脱がされると、その先を脱がされるのはあっという間だった。
あっという間じゃなかったのはそれから後のこと。
普段よりも濃厚で濃密で念入りなあれこれと、いっそ苦痛と紙一重ほどの強烈な快感────
「高彬、もう・・、だめ・・」
息も絶え絶えに言ってみても、高彬はどこふく風とばかりに受け入れてくれず───
あたしは朦朧とする意識の中で、またしても小萩の言葉を思い出すことになる。
───酔った時の姿こそが、その人間の本性、本音なのですわ。
───普段は押さえつけてるものが酔うことによって取っ払われ、本性が現れたのに違いありません。
あぁ、もう、本当に、酔った時の高彬は要注意だわ・・・
こんなことが毎回続いたら、あたしの身体が保たないもの・・・
<終>
久しぶりの解体新書、今回は「酔っぱらった高彬」でした。
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**イラスト・藍さん**