
私は子供を持てない人生だったので、日常の子育ての長期苦労を知らない。
しかし、学生の頃から夏休みに保育園のバイトをし、私は兄弟の子育てヘルプ要員であった。
姉が二人目出産の折りには上の子供を預かり、病気入院時には長期出張の多い義理兄に代わって家に泊まり込み、食事やお弁当を作りをして子供の世話をしながら会社務めをこなした。
仕事を持つ主婦の苦労を体験する程度の事は出来た。
子宮系の病気が長く苦しんだ事や、体が丈夫では無かった為、子供が欲しい欲しく無いで深く悩む事は無かったが、心の奥底の意識ではこの事に傷を持っている自覚はあった。
過去に結婚の話で、拗れた時に、
「あの人がしっかりしていれば、今頃は孫が抱けていたのに」
先方の親の心の声が聞こえてしまった。
私には妊娠に希望が持てない婦人科系疾患があったので、若かった当時この言葉にダメージを受けてしまった。
それ以外にも聞こえてくる事があり、
この人達と家族になりたく無いと田舎に逃げた。
人の心の声が聞こえてしまうという事は本当に不快な事で、スピリチュアル的な感覚に蓋をする一つの原因となった。
神に聞いた事があった。
「子供好きなのに、何故こういう立場になったか」
「貴方は《母親》それでは満足しないだろう」
要するに、自分の子供に集中するのでは無く、広く子供に目を向け愛せと。
その後の人生では、行動ではさして貢献していないが、祈りに於いて広く子供を愛し生きてきたつもりだった。
しかし、昨今・・・自分は甘いなと思う事が多々ある。
自閉症の幼児の成長の過程を記録した動画を見て、私が「愛」などと語る事など奥がましいとつくづく思い知らされた。
子供の癇癪や夜泣きと言うレベルでは無い不眠や起き出し動き出す行動に、親は夜眠る事すら出来ない期間がある。
発語がある迄意思を汲み取るしか無く、私から見て壮絶な日々を暮らす。
しかし、親は希望を持って思考しながら子供に向かい合い、自身の感情も折れない様に必死に客観視し耐えている。
障害を持つ子供を育てる親の母性は、ほぼ「神だな」・・・と私には思えたし、所詮「祈り」の愛なんて部外者中の部外者で遠く及ばない薄っぺらな「愛」に過ぎないと感じてしまった。
会社員を長くしていたので、多くの発達障害者と仕事で接する機会があった。
その中で、30代の青年を「母性」の視点から強く記憶している。
転勤により配属されて来た彼は、間も無くグレーゾーンの発達障害である事に誰もが気付いた。
しかし、彼はニコニコと屈託なく微笑みそのキャラ故に多くの人が手を貸した。
ご多分に漏れずスピリチュアルにも長けていたが、表に出す事は無かった。
私が強く感じ取ったのは彼の母親の存在だった。
彼の姿を見ているのに、その彼を育てた母親の姿が深い愛情として観音や聖母に近い感覚で伝わってくるのだ。
一つ一つ丁寧に向かい合い、彼の話や言い分に暖かく耳を傾けて、丁寧に会話する愛が伝わってきて私は涙が出てしまった。
「この愛を持つ人に会ってみたいものだ。この人に学べば、発達障害に対応する養育が解るのに」と
私のこの願いは叶わなかったけれど、障害を持つ子供を愛をもって育て上げたこの母親を私はとても尊敬している。
未知の世界には、その世界を極める者がいる。
比べる必要は無いが、日常を極めた尊敬すべき人は山程居るものだと思う。
宗教組織の高い地位にいても、その霊性は危ういものがある。
やはり信仰は末端の日常にあると思うし、神々の慈愛や加護も末端の人々と共にある。
そして、聖人と呼ばれて良い人も難しい日常を生き抜き極めた人の中に多く存在するのかも知れない。
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