日々のスピリチュアル日記です。

先祖との縁

過去にカトリックとして在俗修道者の様な生活をしていた際、先祖や家族血縁の救霊(供養)は日課的な祈りだった。

20代の頃はカトリックでいう練獄(天国と地獄の中間的な所)への祈りは必須だったし、私はむしろ練獄の魂を救う聖母への祈りを愛した。彼等が天国に救われるのを楽しみに、天国に友が出来る事を期待した。
家の宗教がカトリックではない環境の者の家庭は、家族=十字架になる過酷環境になる人が多い。私の場合、友人にも恵まれなかった為、天国に友人を作りたかった。

人は原罪を持って産まれ修行しても世間の荒波の中で迷い苦しみ、誰であれ再び罪を犯す者。しかし亡くなり練獄に居る魂は生が止まり、持っている罪を増やす事も無い。現世からの祈りで浄化で苦しむ期間を短縮できるよう神に願い、天国行きが約束された魂を助ける。それが、カトリックの考え方。

先祖供養はカトリックの修行を止めた頃、受け入れて下さった超神道の聖様の所の本でも学んだ。

しかし、ここに来て長らく父方本家の供養に関わり、家系内で祈りで居座った私の元には父を見送り母を老人ホームに預けて1人になったにも関わらず、何故か仏壇があった。これが霊的自由の妨害になっていたらしい。私自身も祈りで家を守ってきた自覚があったし、仏壇は身内に対してと言うよりも、仏、阿弥陀如来に通じるものとして家にある事を喜んでいたりもした。

やはり仏壇は亡くなった身内の物だったのね・・・と多少反省。

今後の霊的な自由と、家系内で供養等々の為に祈る立場を返上し、立場で問われる事と絶縁する事にした。特にしなければならない事では無いが、自己の新たな活動を引き留め縛る力を感じる以上は卒業しなければと思う。要するに一般的に、養子、結婚、などで線を引くと同じ事。近々、上の兄弟に仏壇を引き渡そうと思う。

霊的な自由と共に、最近は神道系の神々様の御加護を頂きながら宇宙エネルギーを引く祈りに変更し、一年以上の混乱期と学びの為に崩壊と再構築を繰り返し、ようやく土台造りも進んできた。

しかし、宇宙的な負の妨害、過去世から続く呪い、現世の生き霊によるサイキックアタックは未だ続いていた。宇宙的なエネルギーのシ―ルド造りが不完全。知識が足りない。

除霊に関しては、生き霊、過去からの呪いサイキックアタックとして内臓にまで染み込むらしい。定期で除霊を繰り返している。昔からこの類いには敏感で😔、神々様に頼る以外今のところ波動を保てない。しかし繰り返し除霊効果を強調するが、生き霊出所の人間は受け側が内臓にまでくるダメージが返る訳で、

生き霊発信の自虐分
+送り先からの跳ね返り分
=2倍のダメージを受ける事になる。

理解して居るだろか?
この除霊を不動明王様にお願いすれば
焼きつくす力でなさる以上相応のダメージになると思う。

私も激しい思いの管理には、四苦八苦している。
ただ、気付いて「許します」を繰り返し言葉で発すれば自分の生き霊は消える事は学んだ。
問題は無意識に発生してしまう事。
私は、定期的に自分の発した生き霊も除霊が必要な未熟者に過ぎない。

こうして手探りで情報を学びながら祈りの土台をコツコツ固めて行く中、今日嬉しい細やかなビジョンをみた。

ただ、祈りの後に宇宙エネルギーを日本国を胸に画きそこにエネルギーを呼び込む事を繰り返すのだが、ビジョンの中エネルギーの通り道に7色のオ―ロラが現れた。まだ薄く、まだ弱々しい力だか、光が射し込み終始輝いていた。

美しいく、何よりも嬉しかった。
時々、わたしを助ける様に龍神様が付き添って下さるのだが、龍神様はよろこんでくださっただろうか。
この時はエネルギーの流れを感じながら知り合いの発達障害の子が思い浮かんだ。小学生の彼はイライラの修まらない子で、両手を腕組し涙をためながら他者に当たらないよう必死に自分を抑えていた。

「そうしろって言われても、僕にはできないんだ」止められる度に彼は絶えていた。
私には、一生忘れられない姿。

癒しだけを主眼にエネルギーを引こうとしているのでは無いが、こういう子供達が少しでも癒される日がくる事を夢みて、ただただ懇願し続けてます。

日々のスピリチュアル日記です。

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