函館 人生に恋して、

人生の全てを愛して、人に、土地に、生活に、沢山の 趣味と、みんなの健康に、毎日の笑顔を。恋して生きたい!

63才の誕生日に思う!

2006年09月30日 | Weblog
[誕生日に過去を振り返る?」
今ここに63歳の誕生日を迎え、初めて真剣に過去を振り返ってみた、
今ここにあるのも、父母が、この世に私を、送り出してくれた賜物である。
そのことに関して、何事よりも、感謝々 それだけである、

人生の半分を波乱万丈に、生きてきたが、両親にはどれだけの、迷惑をかけたことか?  だが幸いなことに、他人には、あまり迷惑をかけずに、生きてくることが出来、そのことに関しても、何時も、感謝々、

これからの晩年を、少しでも人のために成れる事を[私と触れ合った人が、少し良い気分になれるような
その程度の事しか出来ないけど、笑顔を忘れず、一隅を明るく出来るような、生き方をして行きたい!

親不孝を今から詫びても、詫びきれない!その思いを、周りの人にささげて、生きてゆければそれだけで、ますます、幸せに過ごすことが出来るだろう、

[今も、多くの隣人に囲まれ、幸せの、真ん中にいるようだ

[長生き術
 3] 高蛋白 高繊維を心がけ最低十回理想的には三十回かんで
    食事をする、。

[サケつりの季節到来」

2006年09月30日 | Weblog
[大森浜にサケつりの竿が林立
昨日 大森浜に、ひさし振りに行くと、サケつりの人が沢山いて、海に向かって、竿が林立していた、
サケつりは、宝くじのようで、なかなか当たらない、そうです、何年も一本もあげることが出来ない人もいるそうです。

私も今までに実際にサケが釣れた現場を、見た事が無かったです、ところがこのときに初めてサケを釣り上げるのを見ることが出来ました。

そのときの釣り上げたおじいさんの笑顔を見たときうれしさに、少年のように紅潮させた顔が、印象的でした、

次につれるのは何時のことか、わかりませんが、その人は今の感動を胸に、頑張って行くことが出来ることでしょう。

何時も、前向きに期待を持って生きることは美しいことです。
負けずに私も目的を持ってこれからも生きてゆきたい。

長生き術2] 一日に体重の30分の一の水を飲む。

秋晴れの五稜郭タワー

2006年09月29日 | Weblog
秋晴れの五稜郭タワー
晴れ,上がった秋の空、高い雲が青空に点在して秋らしい、一日、久しぶりに五稜郭に行ってきた、堀の周りの気の根元で、昼ごはんを取っている家族ずれなどが見られて、春のお花見とは違った、落ち着いた一家そろっての、ほほえましい一時を垣間見た。
堀の貸しボートも、若者のカップルが楽しそうに水面を滑っていった。

タワーも新しい景観にマッチし始めている、これから冬にかけては、観光客も少なくなり寂しくなるのだろうが、春を目指して、前向きに皆頑張らなければ。

[長生き術  ] 鼻から体に、十分な酸素を取り入れるよにし、
     ゆったりした、腹式呼吸を心がける、

先立った人を思う!

2006年09月24日 | Weblog
晴天の 秋空に思う!
今日は9月の24日、二年前のこの日、私が5歳のときから、何時も成長を見守ってきた、子に亡くなられた、日、このときほど、人間の生死が、何か、目に見えないものによって、操られていると思われたときは無い、

人は年の順に行くのではないと、わかってはいても、自分の身の回りの人間に起こったとき、こんなに悲しいものとは、“彼女を、初めて背中におぶって家まで送った、
37年前の背中のぬくもりが今になって感じられてくる、その時私はまだ若かったので、恥ずかしさと、子供のぬくもりに戸惑ったいやな、顔をしていたようだ、彼女は子供ながらにそのことを何時までも、

[いやな顔をして負ぶってくれた、私も降りたかったんだけど、伯母さんが、無理やりに、おぶらせたので仕方なく背中に乗って居たんだよ]と、それから、いろいろなことがあり、18に為る子供を残して、この世を去っていった彼女を思うと、これからは、今を大切に彼女の分まで生きて行かなければと、思う今日です!

 少しでも人の役に立つ、[仕える人に]為りたいと心がけて,生きたいと思う!

秋早朝の津軽海峡

2006年09月06日 | Weblog
[秋早朝の津軽海峡」
津軽海峡の空も秋めいてきた、対岸の大間崎もマジかに見え、すがすがしい海の香りが届いてくる、自転車でトレーニングをしていても、冷たい心地よい風になってきている、浜では、お年寄りが、流れ昆布を採取して姿がまだ、気持ちよいふうに、写っている、これから季節が進むと厳しい仕事に為るはすの一時の安らぎなのかも知れない。

今日の言葉 
  [明日のために心配するな。一日の苦労は、一日で足りる。」

絶体絶命ラスト

2006年09月02日 | Weblog
ラスト・ピンチ・イン・青森
ある年の秋、  この日は青森は八甲田山登山に自転車で行く、朝の6時よりフェリーから八甲田に向かい自転車を走らせ、酸ヶ湯温泉から、八甲田大岳に登り、変えれは酸ヶ湯温泉で汗を流し、帰途に着いたのです、いつもなら来た道を帰るのですがその日は、林道を抜け,雪中行軍遭難の碑を見てそのまま、裏街道を下ることにしたのです。

今まで通ったことの無い20k近くの急な下り坂、 気持ち良く風を切って、下り始めたのです、道は本ルートよりも若干狭く、カーブもきついところが多くありました、それでも裏道とゆうことで車が少なく、油断があった様です。

下り始めて30分もたったころ、スピードも良く乗り、70kをマークして、左カーブでアウト・アウトとセンターラインいっぱいを走っていたところ前から突然乗用車がセンターラインをオーバーして登ってきたのです、 一瞬のことで避ける暇も無く自転車の乗り方の一種である,自転車を目いっぱい内に倒し、体は自転車の右横に乗り起こす、カーブを曲がるための究極のライディングホームを使い何とか正面衝突だけは免れたのです、しかしその時私の右肩が乗用車のサイドミラーに接触をしていたのです、
このときの、快感も今まで味わったものと同じものだったのです。

しかし、その後そのような快感を味わうことはなくなりました、それは、きっと技術の向上と、先を見る目が、出来てきたからだと思います今度そのようなことが、起きたときはきっと、快感ではなく天国に? 行くときなのかと思われます。

これからは、自分を大切に少しでも長く、今を楽しんで行きたいです。

絶対絶命2

2006年09月01日 | Weblog
大ピンチ・2
あれから、2年大ピンチパート2、

夏の早朝、下海岸のトレーニングからの帰り、函館牛乳の前を通り、赤坂町へ、抜ける右U字のくだり道  この道は谷を巡る道で向かいの方に下って来る道がみとうせる、道だった、Uのそこが一番低く、それを越えると上り坂になっている、

その日も何時ものように下りを思い切り走って降りた、推定65kほどのスピード
コースは、アウト・アウト・アウトの大回りレイアウト、 ところが、いつもなら何も無いはずのカーブに近くの畑に仕事に来ている人の、オートバイがカーブのそこに置かれていたのです、右回りのために細かいコーナリングをすることは不可能な状態なのです、[人間右利きの人は、なぜか、左回りは安定しているのですが、右周りは、不安定なものなのです、ちなみにほとんどのトラック競技は、左周りに設定されています]
 
折り悪く向かいの道をダンプカーが下りてくるではありませんか!
丁度カーブの底で出会うタイミングなのです、本来はダンプの向かって左を通らなければ為らないはずなのですが、すでにブレーキのタイミングは過ぎてしまい、
アウトに出れば道を外れて壁に激突、又インいっぱいに通ればダンプが少しでも膨らんだら正面衝突を免れない状態でした、 

その時私の脳は、又大活躍をして、判断を下したのです、それは、後で考えても絶対に考えられない、ダンブの向かって右側をすり抜ける道でした、向かってくる車の右を抜けるなんて、どう考えても、自殺行為でした、 でもそれが成功したのですそのときの運転手さんの顔も目に焼きついています。

そしてそのピンチをやり過ごすことが出来たときの快感は2年前の時と同じ、何事にも変えがたいものでした。

この快感を得るためにきっと又挑戦することになるのかもしれません。
私の、ピンチは又訪れるのです最後のピンチ!

絶対絶命

2006年09月01日 | Weblog
[恋した、自転車による、3つの大ピンチ」
今日は,約19年に及ぶレーシング自転車の経験の中で、秋になると思い出す、第1のピンチ・ それは良く晴れた秋の早朝、 旭ヶ岡より亀尾に向かう左カーブの下り道、90度のクランク、そのとき、気持ちよく何時ものように約70kのスピードで走っていた、道の中央線からコーナーの左角をめがけて走る、アウト・イン・アウトの理想的な走りのはずだった?

ところがそのとき、コーナーにはダンプカーが、落としたと見られる、砂が、まかれていた、このままコースを取れば落車は確実、

その時、人の能力の神秘を思い知らされることが起こった。
その道をまっすぐに行くと急坂の農道、又、コースを変えアウト・アウトといけば、センターラインを大きく踏み出すことになる、下から車が来れば逃げることはお互いに出来ない、 判断は、100分の1秒を争うときでした、

私の頭の中では、思いもかけない事態にパニクッテいた様です、小さな頃の楽しい思い出や普段考えたことも無い母の姿が走馬灯のように頭の中を駆け巡っていました、  そしてその時の、決断は逃げることの無い、前に踏み込むことでした、アウト・アウトのかけに出たのです。

しかし思った通り、下から丁度古びた小型のトラックが上がってきました。
運転手さん、助手の人、の顔が、引きつって真近に見えたとき、私の胸は誰かに,鷲ずかみにされたような,胸キュンでした、わずか数センチの間合いでトラックの前を横切ることが出来たのです。

そのときの体験は私にとって未知の感情を知らせてくれたのです、長い人生の中で、本当に命の危機にあったのは、生まれて始めての事だったです、  

そしてその恐怖感とその後の、なんともいえない、快感に酔いしれることになったのです、それからの自転車の走りは、その快感を、求めて走ることになったのです、モータースポーツにおいて事故を、起こして、死ぬような目にあってもやめることの出来ない、選手たちの気持ちが、その時、ちょっぴり理解できたようにおもえました。

これが1回目のピンチ、これから、もう2回のピンチが襲うとは思いも寄らなかったのです、続く。