【愚角庵の幼児地蔵】
【我家の幼児地蔵】
八月の公演は無事に終了しました
有難うございます
【公演レポート】
三度目の「星の路」~奇跡の森の物語~ 山尾三省追想公演が8月に上演されます。
今回は茅ヶ崎の湘南山猫という地域に根差した劇団の主催です。星の路の初演から、協力頂いている劇団であり、作品の全楽曲を創った音楽家・栃内まゆみが関わる団体です。
清廉な朗読と歌、心動かさずにはいられない音楽、香り立つ光技術でお送りいたします。
芝居創りにおいて、当初から一番大切にしていることは、空気感です。
作品に携わる人たちの心が、誠実に作品と向き合うことができるように稽古してきました。小賢しい演技や演出を排除し、表現活動において一番観客の心を揺さぶる、“雰囲気“の好い芝居作りを心掛けました。
「星の路」~奇跡の森の物語~は“風香り美しき水流れる平和な世界“への希望をテーマにした作品です。芝居作りにおいても、そのプロセス自体に美しい想いで携わらなくてはならない、という至難の業に挑戦しています。その想い、空気感が観客に伝わり劇場のすべてが平和で美しい空気に満たされたら、こんなに嬉しいことはありません。
創り手にとって、作品以外に大文字で言えることは何もないのですが、ただ願うことは、三省さんが様々な作品を通じて僕に与えてくれた光のように、僕たちも小さな光を届けられたらいいな、と切に願うことです。大きな光ではなく、小さな光を届けられたらと……。
その光は、お婆ちゃんが教えてくれた糠漬けの作り方みたいな光。近所のおじさんが、熱くなった路地の土の上に撒いた打水の涼しさのような光。大きな光じゃ駄目なんです、両掌で包めるほどの小さな光を届けたいと願っています。
光にはいろいろあって、お父さんやお母さんが木陰に咲いたタチツボスミレを「綺麗だね」と子供に教えた時のような光。月や星を観て、心の重心がふっと下がった時のような光。土の温かさに「土は生きているんだ」と気づいた時のような光。水の流れる音がどうしようもなく恋しくなるような、そんな光……。
大きな光は風が吹くと消えてしまいます。両掌でしっかりとくるめば決して消えることのない、小さな光……「星の路」~奇跡の森の物語~が、そんな小さな光の一つになればいいなと、願っています。
【仏恩 ―わらって わらって―】
「星の路」~奇跡の森の物語~には、三省さんの詩が5編朗読されます。「一日暮らし」「秋の祈り」「たまご」「五つの根(リゾーマタ)について」そして「わらって わらって」です。
ご存じの方も多いと思いますが、愚角庵に「微笑幼児地蔵」の絵手紙が机の上に飾られています。三省さんが命名した可愛らしいお地蔵さんの絵手紙です。墨で描かれた二人のお地蔵さんが、笑いながら掌を合わせています。その上に“わらって わらって”と書かれています。この絵手紙は、三省さんが魂の姉妹とされるRさんによるものです。三省さんが亡くなるまでの半年間、毎日のように絵手紙を送り三省さんを励まし続けたお方です。
三省さんの著書「日月燈明如来の贈りもの」中で、“仏恩”という言葉が出てきます。
毎日のように送られてくる絵手紙に励まされた三省さんは、ふと、一体この方はどういうわけで、他者である僕を慰めてくれるのだろうか? と疑問をもちます。
(以下、日月燈明如来 家でしにたい 抜粋)
――考えに考えを尽くし、もうこれ以上考えても理由など分かりはしない、これまでと同じくただ有難く受けていくほかはない、という結論になりかけた時に突然、「仏恩」という言葉がひらめき出てきた。
ぼくは思わず自分の拳を強く握りしめて、膝を叩いた。「仏恩」などという、これまで本当に存在するとは思いもしなかった世界が、この世界には存在していたのである。(中略)Rさんにしても、おそらくは、ぼくのためにこれこれのことを為してあげようという意識のゆえではなくて、わけもわからぬある衝動に突き動かされて、絵を描かれ、それを発信されるのに違いあるまい。(中略)
本当に好きなことをするということが、人間性というものに引きよせた「仏恩」という行為の本質だった。そしてこの世界の特徴は、実に発信者があるのでも受信者があるのでもなく、両者は同じ「仏恩」という世界に同時に立っているので、自他の区別というものはないのである。――
大変長い引用申し訳ありません。ただ、この三省さんの言葉が、星の路の公演活動において、僕が一番しっくりくる世界観なのです。そしてそれは僕だけではなく、公演に参加する多くの方も、わけもわからぬある衝動に突き動かされて、手弁当で一都三県から交通費を使い稽古に参加しているのだと、思っています。そして、もっとも「仏恩」を感じざるを得ないことは、星の路の公演が実現されるまでの10年の間、毎日とまではいきませんが、僕のもとにもRさんから「微笑幼児地蔵」の絵手紙が絶妙の機会に届けられたということです。幾度も涙し、幾度も助けられ励まされたという、事実です。
星の路を良き芝居にするために、僕は三省さんの詩や著作を読み尽くしていますが、それは三省さんに義理立てしているわけではなく、ただ、自分が本当に好きなことをやっているだけなのです。志低き怠惰な僕が、拙筆とはいえ一つの物語を立体化できたのは、この「仏恩」の中にあったからなのだと、有難き思いでいっぱいです。
“世界は本当は深い深い唯一の仏恩で結ばれているのだと、
今でははっきりと感じております”
(上記は、三省さんが逝くひと月前に、Rさんに宛てた未公開の一筆です)
仏道者でもない僕が「仏恩」などと口に出すのはおこがましいのですが、そういう不可思議なことがあるのだと、この十数年の間に了解した次第です。
大義名分はないのですが、わけもわからぬある衝動に突き動かされて、屋久島での「星の路」公演を願っています。その次は、北海道小樽公演を視野に入れています。「仏恩」は大変です(笑)。
何の根拠も確証もなく、結果を気にせず……ただ、わけもわからぬある衝動に突き動かされて、それぞれの小さな光を握りしめ、最初の一歩を踏み出すことが、三省さんの遺言にある個人活動なのだと思います。そして、行く先に多くの小さな光が結ばれて、決して消えることのない大きな光になればいいなと、祈っています。
椎貝 路生☆