レコーディングからの回想。

2007-09-28 00:42:47 / ryota




先日レコーディングしたときのブースです。



この写真を眺めながらふと思ってしまいました。
今まで一体どのくらいの数の「レコーディング」を重ねたのだろう?と。


今日はなんとなく思いついたので、思い出に残るレコーディングについて話でもしようかと思います。
(自分でも色々な事を思い出したいという気持ちもあるし、原点を見つめてみたいという気持ちも強いので)

ただ、思い出に残るレコーディングは数えきれないほどあります。

少し長くなるかもしれませんので、興味のある方だけ読んでみてください(笑)













僕にとっての生まれて初めてのレコーディングは1997年の3月。

某大手レコード会社のスタジオでのオーディションでした。


当時は高校1年生。(ちょうど高校生2年生になる直前ですね)
あの時は確かSING LIKE TALKINGの「SPIRIT OF LOVE」とRAY CHARLESの「ELLIE MY LOVE」を歌いました。

だだっ広いブースに置かれた1本のマイク、譜面台、キューボックス、そして少し錆びたパイプ椅子。


エンジニアさんからの指示も専門用語だらけで全く意味が分からず、かと言って意味を聞き返す心の余裕もない。

とにかく必死でした。


右も左も分からないというのはこういうことを指すのか!と痛感した日。
不合格の烙印まで押され、肩を落としながら家路に着いたのを覚えています。

初めてのレコーディングはとにかく「ほろ苦い」ものでした。







その後もオーディションを受けては落ちる日々は続き、時は経って1999年9月。
当時19歳。大学生。

これまた違う某レコード会社のスタジオでのオーディション。

この時はEaglesの「Desperado」とオリジナル曲をを弾き語りで歌いました。
「また今日もダメだろうなぁ.....。」

当時は自信を完全に喪失していたこともあって、歌い終わった後も一人落胆していました。

歌い終わると、立ち会っていたレコード会社の専務さん(当時)から思いがけない言葉が。

「きみ、いいよ!」

一瞬耳を疑いました。

「はい?」

「うん、すごくいい。すぐにデビューって訳にはいかないけど、しばらくうちで勉強してみない?君はきっとモノになるから。」


頭が真っ白でした。

初めて自分の歌が少しだけ認められた気がして、涙が出そうになったのを覚えています。



それからは毎週のようにそのレコード会社に通ってはボイストレーニング。
そしてレッスンの帰りには、毎回のように専務さんが自宅から大量のCDを持って来て下さっては僕に、

「お金無いだろうし、これ全部貸してあげるから。勉強にもなるはずだから聴いてみな。」

と70~80年代のAORやSOULのCDを紙袋に入れて渡してくれました。
そのCDを自宅に持ち帰っては貪るように聴き、セルフライナーノーツを読みあさり、自分で作ったノートに感想を書き綴りました。


そんな日々が1年近く続いたある日。

なかなかデビューの話を持ち上がる事がなく少し不安に思えて来た頃、専務さんに呼び出されました。


今日はどんなCDを貸してくれるんだろうかと楽しみにしながら向かうと、


「あのね、明日ここのスタジオで僕の知り合いの人たちがオーディションをやるんだ。歌を聴いてもらえる保証はできないけど、一応聴いてもらえた時の為に自分で曲を選んで練習しといてね。」



翌日バイクを飛ばし、スタジオへと向かいました。


色々と悩みながらも僕が選んだ曲は玉置浩二さんの「メロディ」という曲。
何故この曲を選んだかというと、玉置さんは僕のルーツだったから。
玉置さん、或いは安全地帯という存在がいなかったら、きっと僕は歌手になる事を志す事はなかったから。



スタジオに入るとそこにはたくさんの人がいました。

7~9人くらいでしょうか。
一通りオーディションが終わったらしく、楽しそうに談笑してるように見えました。


「あのね、今日は予定になかったんだけど、いまうちでね、勉強してる男の子で光永君と言うんだけど、1曲聴いてもらってもいいかな?」

と専務さん。



そう、僕はまさに予定外の飛び入りでのオーディション。


「ヘタクソでもなんでもいいから、とにかく心を込めて精一杯歌おう」


スタジオに入ると無心でした。


マイクの横にはオーディション用のカメラ。



それを意識する事なく、精一杯心を込めて歌いました。


恐る恐るブースを出ると、僕はたくさんの拍手で迎えられました。

その空間には笑顔が咲き乱れていました。

その人達こそ、なにを隠そう、いまの僕のスタッフ達です。
2000年7月8日のことです。


そんな素敵な出会いをさせてくれたM専務さんには今でも心から感謝しています。
あの方がいらっしゃらなかったら今僕はこうして歌を歌えていなかったと思います。

この場を借りて改めてお礼を言いたいと思います。






さて、そこからは再び勉強期間。
すぐにデビュー!というわけにはいかず、ただ地道に色んな事を吸収しようと必死でした。


その中、STEVIE WONDERの「LATELY」とSEALの「KISS FROM A ROSE」という曲をレコーディング。
そのデモテープが関係者の手に渡ったのをキッカケにインディーズデビューということに至った訳です。





そのインディーズデビューの曲のレコーディングからが本当の勝負でした。


デビューすることが決まったのは2001年の夏前くらい。


そして2001年の8月からレコーディング開始。


そのレコーディングは伊豆にあるスタジオに4泊5日の泊まり込みでおこなうというものでした。


プロとしての初めてのレコーディング。


プロとしてのレコーディングなので、当然ながら要求されるもののハードルは高くなるし、オリジナル曲なので、カラオケを歌うのとは訳が違う。

元々誰かが歌っていれば参考にもなるのだけど、自分の為の曲だからどう歌えばいいかのお手本など居ない訳です。

ここからが試練の連続でした。

まず自分のオリジナリティが何なのかが分からない。
だからどのように歌えばいいかが分からない。
ピッチ(音程)は全く取れない。
リズムは取れない。
初めての本格的なレコーディングで声は枯れる。
何度もやり直してるうちにイタズラに時間は過ぎていく。
それでもディレクターの要求に応えられない。
気持ちだけが焦る。そして結果自分自身を完全に見失う。

自信も失う。

あまりの悔しさにスタジオを飛び出して一人隠れながら大泣き!を繰り返すみたいな(笑)

当時の僕の「酷い歌」を聴いて、スタッフの一人は当時を振り返って、「俺もうやだよ」と思ったらしいです(笑)





本当は伊豆で全てを録り終えるはずだったのですが、録り終えるどころか、結局まともに1曲も録れる事なく東京に帰りました。

やり直しです。


しかも伊豆で制作費を使い切ってしまった為に(苦笑)、その後のレコーディングはミュージシャンの方の自宅スタジオでおこなう事になりました。


自宅なのでブースもなく、洋服を入れる狭い1畳ほどのクローゼットにマイクを立ててレコーディングをしました。
クーラーもないので、もちろん汗だくです(笑)

何故かクローゼットに置かれていたぬいぐるみを眺めながら歌ってました。


でも今でも思い出として深く心に残っています。

結局そのレコーディングは2001年の11月頃まで続きました。



そこからインディーズデビューを経て、今度はメジャーデビュー曲「Always」のレコーディングへと移っていくわけですが、また更に長くなりそうなので(笑)、それはまたの機会にしたいと思います。




こうして考えると、右も左も分からない僕を辛抱強く支えてくれたたくさんの方々の顔が浮かんできます。



これからも学ばなきゃいけないことはたくさんたくさん数えきれないほどあるし、素晴らしいミュージシャンになるために必要な事もたくさんある。


そして今まで僕を支えてくれて来た方々の恩に報いる為にも、もっと音楽に対して真面目に付き合っていかなきゃ!とも思うし、いま一度思考をニュートラルに戻して、様々な事を吸収する必要があるなと痛感しています。


また新人のつもりでやらなきゃね!

俺の音楽人生、始まったばっかだし。





何だか今日も長くなってしまってごめんなさい。


最後まで耳を傾けてくれてありがとう。




今日またこうして自分自分振り返れたおかげで、次のレコーディングからまた新たな意識が生まれそうです。



これまた感謝!!


ありがとう!



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