タナカカツキさんのサ道を読んでから1年が経った。
それまではサウナなんて全く興味がなく1分も入ったことがなかった。
ただ1年前、本を読んでから近くのサウナのある銭湯に行き、暮らしが変わった。
はじめの頃は趣味サウナと謳っていたが、今ではもはや暮らしであり、日常の一部である。
ただその中でも自分にとっての至高のサウナは探し続けている。そういう意味ではそれは趣味、道楽であるのかもしれない。
北欧、名古屋ウェルビー、神戸サウナ、しきじ、その全ての出会いがぼくを整わしてくれた。
また、健康管理の面でもサウナは非常に役立っている。
その日その日のコンディションでサウナへの時間を変え、それは自分の体調を知るバロメーターとなっている。
少しの疲れを感じているときはサウナが心地よいし、疲れすぎているときはサウナを体が拒絶する。
サウナのそんな距離感すらも心地よいのだ。
まだサウナ飯などの領域には足を踏み出しきれていないので、新しい分野も開拓必至である。
これからもサウナ道を楽しんでいきたい。
それまではサウナなんて全く興味がなく1分も入ったことがなかった。
ただ1年前、本を読んでから近くのサウナのある銭湯に行き、暮らしが変わった。
はじめの頃は趣味サウナと謳っていたが、今ではもはや暮らしであり、日常の一部である。
ただその中でも自分にとっての至高のサウナは探し続けている。そういう意味ではそれは趣味、道楽であるのかもしれない。
北欧、名古屋ウェルビー、神戸サウナ、しきじ、その全ての出会いがぼくを整わしてくれた。
また、健康管理の面でもサウナは非常に役立っている。
その日その日のコンディションでサウナへの時間を変え、それは自分の体調を知るバロメーターとなっている。
少しの疲れを感じているときはサウナが心地よいし、疲れすぎているときはサウナを体が拒絶する。
サウナのそんな距離感すらも心地よいのだ。
まだサウナ飯などの領域には足を踏み出しきれていないので、新しい分野も開拓必至である。
これからもサウナ道を楽しんでいきたい。