インシャアッラー  モロッコ人と国際結婚

モロッコ人との結婚・ビザ手続きについて。来日7年目を迎えました。

震災から二週間

2011-03-26 20:42:03 | 日記
昨日久しぶりに肉が買えた。生活に少し余裕ができたので、お菓子も買った。

相変わらず新幹線とJRは復旧していないけれど、自転車の生活にも慣れた。

よく訪れていた2つのショッピングモールは、どちらも地震で大きな被害を受けたようで、営業再開がいつになるのか分からない。

彼はそこでパートの仕事を始めたばかりだったのだが、今も復旧の見込みがないらしい。おそらくこのまま失業となるのだろう。

モロッコ人一行がカサブランカに着いた時、報道陣が出迎え、彼もテレビに映ったと話していた。なんともお気楽な話である。


余震が続く

2011-03-24 20:06:22 | 日記
明日で2週間になる。いまだに震度4・5の余震が続いている。
あれ以上悪い事は起きるはずがないと自分に言い聞かせながらも、また繰り返すかも知れないという恐怖を抱きながら生活している。

皆さんの支援のおかげで、町は活気を少しずつ取り戻し、オープンしてる店がさらに増えた。

職場は来週から通常勤務に戻る予定。

彼は無事モロッコに着いたとのこと。
一人で余震に耐えるのは辛いけれど、日本で何か起きた時の事を考えると、今は安全な所にいて欲しいなと思う。
ただ、一人になった途端、時間がありすぎて暇で仕方が無い。

モロッコ人の大移動

2011-03-22 21:36:34 | 日記
今日本在住のモロッコを乗せた飛行機が、成田から飛び立った。韓国・パリ経由でカサブランカに着くらしい。
大使館がほとんどのモロッコ人に声をかけたのだろう。かなりの人数とのこと。被災地に住むモロッコ人はそれ程多くはないので、皆帰れるなら帰ろうという安易な気持ちの人が多そうだ。だからレストランでも、今まで一口もパンを食べれなかった彼を無視して、他のモロッコ人が我先にとパンを食べてしまったとのこと。最終的には食べれたようだが、モロッコ人は日本人のような気遣いや礼儀作法がないと怒っていた。
あとはモロッコに着くまで連絡がとれないけれど、無事に到着することを心から願っている。
それと、モロッコの新聞社から問い合わせがあったらしい。新聞に載るのかな?

さて、仙台はようやく落ち着いてきてるものの、まだ余震が続いている。地鳴りで地震が来そうだと分かるようになり、いつでも逃げられるように常にサックをかけ着替えを側に置いている。
スーパーも短時間待てば中に入れるようになった。そして今日初めてパンを買った。ガソリンはまだ難しいので、当分は自転車となる。お菓子も食べる余裕がでてきた。ただ、食べ物が出るテレビ番組をみるのはまだ辛い。

職場も復旧に向けて動き始めた。今月で退職する人がいるから、その穴を埋めるのは大変だけれど、今は頑張るしかない。今回多くの命が失われたが、一方では新しい命も誕生する。その手助けをするのが、私の仕事である。

震災から一週間

2011-03-18 20:23:54 | 日記
今日が何曜日かも分からないまま、一週間が過ぎた。ほんの少しだけど、カフェやラーメン屋が営業してるところもあり、少しずつ活気がもどってきたようにも思える。在庫がいつまで続くのかは分からないけれど。ただ豚が入ってて食べれないのが残念で仕方が無い。

実際、家には米と4時間並んでやっと手に入れたスパゲティしか無いので、彼にとってこのまま日本にいるのは監獄にいるようなもの。しかも2人分の食料を確保できるか自信がない。私は米さえあればなんとか生きていける。

ということで、彼をモロッコにかえしてあげることにした。

大使館にお願いして飛行機のチケットを手配してもらい、今日から成田空港行のバスが運行すると聞いて、慌てて電話した。運良く43回目で電話が通じ、予約することができた。
一時帰国のビザも申請し、あとは出発を待つのみ。私は仕事で見送りはできないんだけれど、無事帰国できることを祈ります。

また寂しくなるなぁ。


東日本大地震

2011-03-15 23:57:16 | 日記
今仙台市内にいますが、私も彼もなんとか無事です。
昨夜から電気が復旧しましたが、ガソリン・食料などいろいろ不足してて不安が増しています。
余震がこわく、夜勤をしながら夫婦共々職場に避難しています。

家や車を流されて避難所で生活したり、家族といまだに連絡が取れない同僚もいて、
とても身近で起きてる問題なので、非常にこわいです。