
過ぎちゃった話ですが、7月14日は【パリ祭】でした。
「パリ祭」は日本での名称で、フランスでは【革命記念日】の祭日として【ル・カトルズ・ジュイエLe Quatorze Juillet =7月14日】そのまんま^^といい または、【バスチーユデイ Bastille Day】ともいいます。
1933年に、ルネ・クレール監督の映画「ル・カトルズ・ジュイエ7月14日」が
日本で封切られることになった時、輸入元の東宝東和映画が「巴里祭」と名づけたことからのようです。
1963年に、シャンソン歌手石井好子さんの発案でシャンソンの祭典「パリ祭」を日本で始めたことにより、その言葉は定着し、今でも年に一度「パリ祭」は歌手達が一同に集まってシャンソンを歌うコンサートの日です。http://www.paris-sai.com/parisaitowa.html
王室と僧侶の特権階級の贅沢な暮らしを支えるためにたくさんの税金に苦しめら れていたフランスのパリ市民が総決起した1789年の革命、
当時多くの政治犯が投獄されて いたバスティーユ牢獄を襲撃したのが発端だったので、バスティーユデイともいうのですね。
1889年革命から100周年を祝い【革命記念日】のための万博とそのため建立されたエッフェル塔で今もこの日を祝います。
「ル・カトルズ・ジュイエパリ祭」といえば、凱旋門からコンコルド広場までの軍事パレードと、エッフェル塔での花火大会が有名です。
軍事パレードは兵隊学校、警察学校、消防学校などが、そのセクションごとに別れ、制服姿も凛々しく吹奏楽のマーチにあわせて、規律を持った行進をおこないます。今年は、インドの軍隊が特別ゲストとして招かれていました。
軍事パレードですので、戦車や、最新の戦闘機やヘリの凱旋門上での飛行パフォーマンスなどもあり、また、当然ながら、華やかな騎馬隊、消防車の列、白バイ隊などが、国のセキュリティーの部隊として通っていきます。
フランス国旗のはためく中、トランペットも高らかなフランス国家マルセイエーズの勇ましい音楽などを聴いていると、自分も何時しかフランス人になり、フランスに忠誠でも誓ったかのような気になって、背筋がピンと伸び、フランス万歳!ヴィヴラフランス!と叫びたくなるから、あらあら不思議。
ふと、横にいる小さな子供がパパの背中に乗ってその軍隊のパレードをみながら「かっこいいね!素敵だね」等という言葉を耳にして、はっと我に返る。
_いかんいかん!戦争の抑止のためのパレードだった_
_ぼうや、これは戦争を応援するパレードじゃないよ_心で言っちゃいます^^。
昔、着る物も食べるものもろくに無い時代にこんな立派なものを見せられて、国粋主義者になって、戦争に加担していった「弱者と自らを言い、そう呼ばれた人々」の思いが、少しはわかる気がしますね。いや、現代においても、「恨み」や「欲」と同じように「貧困」が戦争をやめさせない現実もありますから、一種怖いパレードでもあるな、と思った次第。
そういう思いや軍隊に対する論評は別にして、やはり「規律」を見るのは気持ちいいです。それはシステムに組み込まれたものであっても、それがある意味社会を守ることにも繋がるからです。全体主義は「ごめん」だけれど、自由をはき違えだらしない人間を見るにつけ、またフランスの学校では見かけない制服姿に、単純にカッコイイ、と思ってしまっても許して欲しいと思います。
また、この日は各地で開かれるダンスパーティーや歌手のコンサートでも知られています。フランスのえーちゃん(矢沢永吉)ジョニーハリデーが今年もコンサートをするというので、年配者は興奮気味、若者は「またあのじいさん?いい加減にして若い人たちに席ゆずれよ~」と、言われているとかいないとか^^
私は、娘達と、娘のボーイフレンドとまだ太陽の輝く午後9時に家を出ました。この時期、パリは10時過ぎまで明るいのです。
ですからエッフェル塔の花火はおそらく11時過ぎからでしょう。
街に出ると、大変な人人人。
この7,8年、夏日本にいる私は、本当に久しぶりです。
エッフェル塔のそばにあるシャイヨー宮から見るのが一番いいのですが、おそらく人が一杯では入れないと思い、自由の女神像のレプリカがある、GRENELLEグルネル橋に行きましたが、既に一杯でした。椅子を持ち込んでいる夫婦に聞いたら、毎年来るんだそうで、2時間前には場所をとっておいたそうです^^
負けた^^;
花火は、日本の花火ほど優美ではないのですが、エッフェル塔から発射された花火が新鮮で、タワーのうえから花束のようにみえたり、タワーの型を形作る花火が珍しく華やかに行われました。
たまにはパリの花火もいいですね。
女の一生の著者モーパッサンはこのタワーのレストランを好みましたが、その理由が、「大嫌いなエッフェル塔を見ずにすむ」からだったそうです。
ですが、ここから眺めるパリの灯はきっとひねくれた紳士の心をも和ませただろうと思うのです。
ーーーーーーーーーーー
ウォーキングをしていたら、階下に住むマダムが散歩しているのに出会った。
今のアパートに住むようになってからだから、もう20年間隣人なわけだが、正直苦手なタイプだったので、あまりお話をしたことはなかった。
ただ、マダムの家は娘さんが大きいのに、うちの子供は小さいくて部屋を走り回ったりするため、また部屋の内装工事をするので音がうるさかったりするため、またはお客様をたくさん呼ぶのでうるさいため、などなど迷惑をかけそうな時は、菓子折りを持って挨拶に行っていたので、苦情を言われることはなかった。
大目に見てくださったのだろう。
子供たちも大きくなり、私が日本に行くようになってお客様をよばなくなったこともあり、最近は殆ど階下に挨拶に行かなくなっていた。それでも、ベランダから景色を見ている奥さんの姿はよく見かけたし、娘さんも、結婚する気はないのか、ずっとお家にいるようで、通勤する姿をエレベーターで見かける。
そしてそういえば、白髪も美しい元気一杯のご主人はどうしたのかな?と思い
「ムッシューはお元気ですか?」と、聞いてみた。
「え?もう、亡くなったわ、随分と前よ」というではないか。
「なんですって?!それはご愁傷様でした。全然知らなかった。
ごめんなさい。何で知らせてくれなかったの?」
マダムは、太陽の光を手で遮って、めをしばたいた。
「そうね、神様が彼を連れて行くなんて、信じられなかったから。
誰にも、彼が死んだなんて言いたくなかったのよ。」
ほんの親しい友人数人でお別れしたという。
マダムが続けた。
「昨日ね、ル・カトルズ・ジュイエの花火をベランダで見ていたのよ。エッフェル塔まで行くのは面倒だったから。以前にね主人とベランダから、花火を見ていたのを思い出してね。あ~主人は花火になって天国に召されたのだと思ったのよ」
私は、言葉が詰まったが、
「そうですよ。ご主人はあなたとともにある。思い出とともに生きている。忘れないであげたら、またご主人は、あなたの前に現れますよ、花火になってね」
「ええ、そうね」
振り向いた顔に、納得した笑顔があった。
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写真:TechnophotoTAKAO テクノフォト高尾
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「パリ祭」は日本での名称で、フランスでは【革命記念日】の祭日として【ル・カトルズ・ジュイエLe Quatorze Juillet =7月14日】そのまんま^^といい または、【バスチーユデイ Bastille Day】ともいいます。
1933年に、ルネ・クレール監督の映画「ル・カトルズ・ジュイエ7月14日」が
日本で封切られることになった時、輸入元の東宝東和映画が「巴里祭」と名づけたことからのようです。
1963年に、シャンソン歌手石井好子さんの発案でシャンソンの祭典「パリ祭」を日本で始めたことにより、その言葉は定着し、今でも年に一度「パリ祭」は歌手達が一同に集まってシャンソンを歌うコンサートの日です。http://www.paris-sai.com/parisaitowa.html
王室と僧侶の特権階級の贅沢な暮らしを支えるためにたくさんの税金に苦しめら れていたフランスのパリ市民が総決起した1789年の革命、
当時多くの政治犯が投獄されて いたバスティーユ牢獄を襲撃したのが発端だったので、バスティーユデイともいうのですね。
1889年革命から100周年を祝い【革命記念日】のための万博とそのため建立されたエッフェル塔で今もこの日を祝います。
「ル・カトルズ・ジュイエパリ祭」といえば、凱旋門からコンコルド広場までの軍事パレードと、エッフェル塔での花火大会が有名です。
軍事パレードは兵隊学校、警察学校、消防学校などが、そのセクションごとに別れ、制服姿も凛々しく吹奏楽のマーチにあわせて、規律を持った行進をおこないます。今年は、インドの軍隊が特別ゲストとして招かれていました。
軍事パレードですので、戦車や、最新の戦闘機やヘリの凱旋門上での飛行パフォーマンスなどもあり、また、当然ながら、華やかな騎馬隊、消防車の列、白バイ隊などが、国のセキュリティーの部隊として通っていきます。
フランス国旗のはためく中、トランペットも高らかなフランス国家マルセイエーズの勇ましい音楽などを聴いていると、自分も何時しかフランス人になり、フランスに忠誠でも誓ったかのような気になって、背筋がピンと伸び、フランス万歳!ヴィヴラフランス!と叫びたくなるから、あらあら不思議。
ふと、横にいる小さな子供がパパの背中に乗ってその軍隊のパレードをみながら「かっこいいね!素敵だね」等という言葉を耳にして、はっと我に返る。
_いかんいかん!戦争の抑止のためのパレードだった_
_ぼうや、これは戦争を応援するパレードじゃないよ_心で言っちゃいます^^。
昔、着る物も食べるものもろくに無い時代にこんな立派なものを見せられて、国粋主義者になって、戦争に加担していった「弱者と自らを言い、そう呼ばれた人々」の思いが、少しはわかる気がしますね。いや、現代においても、「恨み」や「欲」と同じように「貧困」が戦争をやめさせない現実もありますから、一種怖いパレードでもあるな、と思った次第。
そういう思いや軍隊に対する論評は別にして、やはり「規律」を見るのは気持ちいいです。それはシステムに組み込まれたものであっても、それがある意味社会を守ることにも繋がるからです。全体主義は「ごめん」だけれど、自由をはき違えだらしない人間を見るにつけ、またフランスの学校では見かけない制服姿に、単純にカッコイイ、と思ってしまっても許して欲しいと思います。
また、この日は各地で開かれるダンスパーティーや歌手のコンサートでも知られています。フランスのえーちゃん(矢沢永吉)ジョニーハリデーが今年もコンサートをするというので、年配者は興奮気味、若者は「またあのじいさん?いい加減にして若い人たちに席ゆずれよ~」と、言われているとかいないとか^^
私は、娘達と、娘のボーイフレンドとまだ太陽の輝く午後9時に家を出ました。この時期、パリは10時過ぎまで明るいのです。
ですからエッフェル塔の花火はおそらく11時過ぎからでしょう。
街に出ると、大変な人人人。
この7,8年、夏日本にいる私は、本当に久しぶりです。
エッフェル塔のそばにあるシャイヨー宮から見るのが一番いいのですが、おそらく人が一杯では入れないと思い、自由の女神像のレプリカがある、GRENELLEグルネル橋に行きましたが、既に一杯でした。椅子を持ち込んでいる夫婦に聞いたら、毎年来るんだそうで、2時間前には場所をとっておいたそうです^^
負けた^^;
花火は、日本の花火ほど優美ではないのですが、エッフェル塔から発射された花火が新鮮で、タワーのうえから花束のようにみえたり、タワーの型を形作る花火が珍しく華やかに行われました。
たまにはパリの花火もいいですね。
女の一生の著者モーパッサンはこのタワーのレストランを好みましたが、その理由が、「大嫌いなエッフェル塔を見ずにすむ」からだったそうです。
ですが、ここから眺めるパリの灯はきっとひねくれた紳士の心をも和ませただろうと思うのです。
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ウォーキングをしていたら、階下に住むマダムが散歩しているのに出会った。
今のアパートに住むようになってからだから、もう20年間隣人なわけだが、正直苦手なタイプだったので、あまりお話をしたことはなかった。
ただ、マダムの家は娘さんが大きいのに、うちの子供は小さいくて部屋を走り回ったりするため、また部屋の内装工事をするので音がうるさかったりするため、またはお客様をたくさん呼ぶのでうるさいため、などなど迷惑をかけそうな時は、菓子折りを持って挨拶に行っていたので、苦情を言われることはなかった。
大目に見てくださったのだろう。
子供たちも大きくなり、私が日本に行くようになってお客様をよばなくなったこともあり、最近は殆ど階下に挨拶に行かなくなっていた。それでも、ベランダから景色を見ている奥さんの姿はよく見かけたし、娘さんも、結婚する気はないのか、ずっとお家にいるようで、通勤する姿をエレベーターで見かける。
そしてそういえば、白髪も美しい元気一杯のご主人はどうしたのかな?と思い
「ムッシューはお元気ですか?」と、聞いてみた。
「え?もう、亡くなったわ、随分と前よ」というではないか。
「なんですって?!それはご愁傷様でした。全然知らなかった。
ごめんなさい。何で知らせてくれなかったの?」
マダムは、太陽の光を手で遮って、めをしばたいた。
「そうね、神様が彼を連れて行くなんて、信じられなかったから。
誰にも、彼が死んだなんて言いたくなかったのよ。」
ほんの親しい友人数人でお別れしたという。
マダムが続けた。
「昨日ね、ル・カトルズ・ジュイエの花火をベランダで見ていたのよ。エッフェル塔まで行くのは面倒だったから。以前にね主人とベランダから、花火を見ていたのを思い出してね。あ~主人は花火になって天国に召されたのだと思ったのよ」
私は、言葉が詰まったが、
「そうですよ。ご主人はあなたとともにある。思い出とともに生きている。忘れないであげたら、またご主人は、あなたの前に現れますよ、花火になってね」
「ええ、そうね」
振り向いた顔に、納得した笑顔があった。
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写真:TechnophotoTAKAO テクノフォト高尾
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そういえばその日はお盆の最中ではないですか
死者は12日に迎え火で迎えられ、16日に送り火で帰ると言う
その方のご主人は一緒にベランダで花火を見ていらしたのかもしれませんね
私が死んだら誰が思い出してくれるのでしょうかねえ
そういえば見かけないな、と思っていたけれど、ベランダにいるには寒い時期にばかりパリにいたので、ウッカリしたのでした。
家のベランダからは小さくにしかみえませんが4箇所ほど花火が見えるのです。でもワインを傾けながら観戦出来るので、人ごみが嫌いなら、自宅で十分に花火が楽しめます。
>私が死んだら誰が思い出してくれるのでしょうかねえ
何をおっしゃるんでしょう
あなた自身健康で毎日ダンスをなさって、アルバイトまでなさってる
年金暮らしと言ったって贅沢をしなければ特別生活に不安は無い
お母様はお元気
奥様は元気にダンスをなさっていきいきとしていらっしゃる
息子さんも娘さんもお近くに暮らして
お誕生日にはちゃんと集まってお祝いをしてくださる
どんだけ幸せものなんだ ッて世界じゃないですか
皆様が、あなたを思い出してくださいますよ
そして あなたのファンのマダム達がもちろん
あ~踊ってもらえなくなった、何で死んじゃったの~~!!と思い出してくれます けけ
わたしも勿論
時々は思い出させていただきますよ。なんといっても、この部屋の最大のお客さまですものね^^
いつもコメントをありがとうございます