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Tシャツとサンダルの候

太刀洗から甘木・朝倉へ

まことに申し訳ないが、前回の予告の通り、同じテーマが続く。



太刀洗平和記念館周辺の戦跡は、一通り見て歩いた。

ここからは、範囲を少し広げたい。

車に乗り込んで、これから行く場所の順番とルートを、大まかに決める。



それはそうと、お腹がペコペコだ。

先ほどの、北門跡がある天ぷら屋に戻り、昼ご飯にしよう。


「えーっとね、穴子天定食を頂戴。それでね。野菜の天麩羅をね・・・」



「お待たせしました。穴子天のカボチャ抜きでーす。」




カボチャが無い風景。

実に美しい。



ウヒヒヒ




お腹が膨れたら出発だ。



先ずは立石平和の碑から。

昭和20年3月27日の空襲で、小学生を含む7名がこの地で犠牲に・・・とある。

合掌



北飛行場跡

重爆撃機用の滑走路があったらしい。

ただ、それがどこなのか、どうにも分らない。

まあ、大雑把に言って、この景色の中のどこかだろう。



田んぼの中に、見るからに異形と言っていい物が横たわっている。

これが、後半で一番見たかった戦争遺跡、



掩体壕である。

相当数が作られていたようだが、現存するのはこれ一つとの事。



壕の内部。

現在も、何かに使われているのだろうか?

真新しいブロックで作られた囲いが見える。






前方へ回り込んでみよう。







開口部はかなり広く、重爆撃機サイズでも格納できそうだ。





見渡すかぎりの田園風景の中に、ポッカリと小山が浮かんでいる。

周辺の集落の共同墓地のようだ。

一番奥まった場所まで進むと、



太刀洗空襲戦没者の碑が見えてきた。

合掌



甘木公園

シャカタクの野外コンサートに、家内と二人で来て以来だから・・・

ボサッとしてる間に、あれから40年以上の歳月が流れてしまった。



そうそう、ここだ。

この場所で、2時間程のコンサートを楽しんだ。

翌日には早速シャカタクのLPを買いに行き・・・


おっと、

余談はこの辺にしとこう。


えーっと、慰霊塔はどこかいな。



あった。




特幹の碑

太刀洗陸軍飛行学校甘木生徒隊第一期特別幹部候補生と書かれてある。



朋友の碑

こちらには、太刀洗飛行学校少年飛行兵15期陸軍甘木生徒隊とある。

他にも幾つかの戦没者の慰霊碑があった。

合掌



朝倉市図書館に、一本のモニュメントがある

後述する頓田の森にあった椎の木である。



この裂け目は、爆撃により出来たとされる。




車一台がやっとの狭い路地を抜けると、先ほど触れた頓田の森が見えてくる。




昭和20年3月27日午前10時頃、米軍による太刀洗飛行場への爆撃が始まる。

国民学校の生徒多数がここに避難した。



皮肉にもそこに爆弾が直撃、小学生31名が犠牲となった。

合掌


飛行学校甘木生徒隊正門跡



これにて、太刀洗飛行場関連の戦跡巡りは終了である。

御退屈さまでした。

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