九州で繰り広げられた、南北朝興亡の歴史に非常に興味がある。
「空模様もはっきりせんけん、今日は山はやめる。星野、矢部、黒木を廻って、史跡巡りばしてくる。」(私)
「あ、じゃあ私も行く。」(家内)
・・・お、おう。
ブイーーーーン
最初は星野村からだ。
大保原の合戦に勝利し、一時は都へ東征する勢いだった南朝方だったが、
新たに九州探題に任命された今川了俊により大宰府を奪還され、本拠地を今の八女郡の山奥に移す事になる。
失意の懐良(かねなが)親王は、征西将軍の職を甥の良成親王に譲り、その後の余生は星野で過ごしている
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その地がここだ。
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私がずっと訪れてみたかった場所、懐良親王終焉の地、大円寺である。
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親王を擁立した、この地の名族星野氏の菩提寺でもある。
境内には誰もいないようだ。
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勝手に境内に入り、石碑などを見ていると、この寺の住職の奥様だろうか。
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上品なご婦人が、わざわざ庫裡から出てこられ、
「ようこそお越しいただきました。資料館を開けますね。」
「あら、すんません。突然お邪魔して。」
「いえいえ。どうぞ、どうぞ。」
歴史資料館(無料)は、本堂の直ぐ脇に併設されている。
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資料館では、懐良親王や星野氏に関する貴重な資料の数々が展示されている。
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「へー、そうだったのか!」と驚くような事柄も、色々と知る事が出来た。
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実はこの寺に来る前、懐良親王の陵墓を訪ねようと、車一台がギリギリの細い山道をジムニーで登ったのだが、途中で通行止めとなっていて、引き返して来たのだ。
拝観を終えて、庫裡に挨拶に行った折、その件を尋ねてみた。
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ご婦人は背後の山を指さし、
「そうなんですよ。あの辺りにお墓はあるんですけどね。今の所、歩いて登るしかありません。」
資料館の屋根越しに見えるあの山上に、親王は眠っている。
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「やっぱりそうですか。次回お邪魔する時に、登ってみます。今日は有難うございました。」
星野から矢部へと進路を取る。
次に向かうのは、後征西将軍良成親王が眠る場所、大杣公園である。
が、その前に、
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南北朝とは関係は無いが、立ち寄りたいところがある。
大杣公園のすぐ手前にある、八女津媛神社と言う古い神社だ。
日本書紀景行天皇の帖には、既に八女津媛の名が見える。
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それどころか、景行天皇の御代から遥かに遡り、
恐らく卑弥呼の昔から、この場所でも同じ様に、巫女によるシャーマニズムが行われていたに違いない。
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御神木の権現杉。
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樹齢600年とある。
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夫婦岩
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八女津媛が飲んでいたと伝わる雫。
直ぐ近くの、大杣公園に場所を移す。
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良成親王御陵墓。
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少年と言って良いような年齢で征西将軍となった良成親王。
南北の朝廷が合一された後も、都へ召喚されることは無く、遂にこの地で生涯を終えた。
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真ん中の観音像は、室町初期当時の物だそう。
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親王が飲んだとされる湧き水。
陵墓があるこの辺一帯を『お側』と呼ぶ。
いい地名ではないか。
親王の『お側』で、親王の警護や、身の回りのお世話をした人々の、ひっそりとした暮らしぶりが偲ばれる地名である。
因みに、良成親王の読みは『ながなり』或いは『よしなり』が一般的だ。
しかし、地元の人々は一様に、『りょうせい親王』、或いは単に『りょうせいさん』と呼ぶ。
恐らくそれが、南北朝動乱期の地元でのリアルな呼び名だったに違いない。
黒木経由で帰る事にする。
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五條家。
元々は学問の家柄。
南朝吉野から九州に下向する幼い懐良親王に付き従い、南北朝合一後もこの地に根を下ろし、遂には武家となった。
現在は、宮内庁陵墓守部として良成親王御陵墓を守る。
現当主は、懐良親王に仕えた初代五條頼元から数えて24代目との事。
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五條家の裏山に登る。
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中腹に熊野神社がある。
代々の五條家当主が宮司を務める。
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両親王が住まわれた場所に身を置き、往時を偲ぶよすがに触れ、すっかり高揚してしまっている私。
帰りの車中では、家内に南北朝と古代史談義の雨嵐である。
「そもそも、景行天皇の名であるオホタラシヒコオシロワケから推察されるのは・・・」
「もうよか!黙れ!!」
ヤツは、帰りに立ち寄った売店のお気に入りの梅干しが、殊の外高くなっていた事に、胸がいっぱいになっているらしい。
「うぐぐ・・・もっと、喋りたいのに。」