私文書偽造/情報漏えい/県警隠ぺい事件

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A院長への手紙①/10〜ある事件

2024年05月15日 11時22分48秒 | 🟧「院長への手紙'18」

X病院院長 A先生へ (注:2018年2月出す) 

 

向春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。 

実は今回お手紙を差し上げるのは、図らずも院長先生にとって心地よいものではない事だろうと思われますが、私が 6、7年にも及ぶ長期入院を経て平成26年に退院して以来、 もう3年以上が過ぎその間ずっと思い続けてきた気持ちをこのままにしてはいけない、 何とか気持ちを伝えて私にとっても院長先生にとっても解決していない問題を何らかの方法でケジメをつけないといけないといつも考えていました。 

私は何回も貴病院に入院いたしました。そして運命の入院は平成20年のことでした。

最初の措置入院は別にして、それからは任意入院が続きいつも自分勝手に退院したりしていたので、今回は医療保護入院でないと入院させないと言われました。

ただ扱いは任意入院と同じにする、ただし自分勝手に退院だけは出来ないという説明を了承し運命の医療保護入院が始まりました。 

 

(事件の事)

私は入院当時、交通事故のせいで失った機能回復などのために整形外科に通ってリハビリをしていて、X病院入院後も通院したり運動器具の持ち込みを許可してもらって病室でやったりしていました

そういう時にある問題が起きました。リハビリに関してかリハビリに使う道具に関してかは忘れましたが、夜の9時頃看護助手と意見の相違で言い争いになりました。そしてその看護助手は院長先生の自宅に電話をして先生の指示を仰ぎました。その時の結論が「とりあえず保護室に入れておけ」という事でした。 患者から話も聞かず助手との言い争いの原因もよく分からぬまま「とりあえず保護室に入れておけ」という処置には納得できませんでした。 

その頃考えても、今思い出して考えても精神科の医師としてやってはいけないという事は明らかでした。 

 

その件があって以来、私はX病院の色々な問題点を指摘するようになりました。使途不明の月5千円もの大金を「管理費」と称して長年に亘って患者全員から徴収している件や、トイレットペーパーを置かずに各個人に有料でチリ紙を買わせて済ませている件、冷暖房も詰め所などは入れても病室は時間限定で最小限しか入れないとか、病院運営に関する問題点を数多く指摘し続けました。 

色々言いましたがお金が絡む問題が多かった思います。 

 

そんな頃、ある日「K.S」という女とホールで掴み合いの喧嘩になったのです。少し以前までは談話室でいちゃつく程仲の良かった女でしたが、いつの間にか嫌い合う仲になっていました。私は掴み合いの最後に殴ろうとしたのは事実ですが全く当たりませんでした。かすりもしませんでした。 

その後喧嘩に気付いた看護助手が間に入り取り敢えず私は保護室に入れられました。 それが結局女を殴ったという理由で長々と保護室生活を余儀なくされる始まりになるとは夢にも思いませんでした。 

 

保護室入室中でも、時々看護師詰所でタバコを吸わせてもらうのですが、その時、人の良い信頼のおける看護師さんに改めて私は殴っていないと言った時「K.Sさんのほほが相当腫れていたよ」と聞かされ「あなたが殴ったのでしょう」と言われてびっくり仰天しました。 

私を保護室に入れて長期間隔離しておくために誰かに本当に「K.S」を殴らせたとしか考えられませんでした。ボクシングの心得がある看護助手に殴らせたのではないかと想像しました。「K.S」には大金を払って腫れるほど殴られる了解を得てやったのでしょう。 案の定、後日詰所でタバコを吸っている時、抱え切れないほどの買い物袋などを抱えた「K.S」が外出から帰ってきて丁度荷物検査を受ける場面に遭遇しました。 その顔にはもう腫れはなく買い物をした喜びで溢れていました。 私が憎いという気持ちとお金に目が眩んで院長先生の咄嗟な思いつきの策略に乗ったのでしょう。 


 保護室生活が長く続いている頃、ある日隣の保護室に奄美から来たという小柄な男が入ってきました。院長先生がやってきて優しい労いの言葉をかけていたのをよく覚えています。 

この男こそ、私が保護室を出てからわざと私に絡ませて本当の暴力事件を引き起こさせようと計画して奄美の暴力団から呼んだ「S」という男でした。保護室で隣り合わせでしたが壁越しに最初からけんか腰で喋る男でした。

結果的にはヤクザは2人ワンセットで雇っていましたが、コイツがメインの実行役でした。

女を殴ったという事で保護室に入れているものの事実ではなく全くのでっち上げでしたので、院長先生も不安を覚えていたのでしょう。私は保護室にいる間、女を殴ったという書類に何回か署名をさせられました。全く覚えのない暴力ですが長期間保護室に閉じ込められてサインを断る気力も失せていました。 

でもそんな中でも、院長は忍び寄るでっち上げがばれる不安にこれは本当に何とかして私に本当に暴力を振るわせる必要があると考えたのでしょう。 

 

その内、私は保護室から出され大部屋に移りました。そして2人のヤクザが付きまとい始めました。その片割れ「S」の使命は私から殴られる事、私と暴力沙汰を起こす事、それが最終目的最終目標でした。 

それからは「S」との丁々発止が1か月以上続いたと思います。私もその頃は身体を鍛えていて腕っぷしの強い看護助手にも腕相撲でも負けない程で、やや自信を持っていたのでその男とはお互いに威嚇しあっていました。体は小さい男でしたがボクシングの心得を見せつけ只者ではない事をアピールしていました。

その男には看護師、看護助手たちも明らかに特別な扱いをしていました(皆、事情を知らされていたのでしょうか)。

 

「S」はあの手この手で挑発してきて、まさに色々ありましたが(割愛します)、最後は ひょんな事から二人の掴み合いになり馬乗りになって首を絞めてくる「S」と下から顔をひっかく私との「殴り合いの無い」喧嘩で終わりました。 殴り合いに持ち込めなかった「S」ともう一人は役目を果たせず、直後に退院してしまいヤクザまで使って私に何としても本当に暴力を振るわそうとした院長先生の目論見は失敗に終わりました。 

 

〇〇○床を抱える病院とそこの院長という立場を守るためならここまでするのか、こんな事までするのかと唖然としました。A院長の事は2代目にしては人格高尚、精神科医としても優秀、本当に立派な先生だと思っていたのですが、病院が傾くかもとか医師免許を取り消されるかもとか万が一の危機を少しでも感じたら平気でヤクザを雇うのかと昔式の精神科の暗闇を見たような気がしました。

(原文のまま)

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