院長ブログ「幸せってなぁに?」

南青山で歯科医院を開業している院長が日々気づいた事、感じたことを気ままに書き記したブログです。

自分が変わろうとする人vs他人を変えようとする人

2010-01-28 | 幸せへの気づき
世の中には幸せな人間とそうでない人間がいます。

その2種類の人間のどちらになるかの違いは、その人が「自分が変わろうとする人間」であるか「他人を変えようとする人間」であるかの違いのように思います。

自分のほうが変わろうとする人間は、いつかは必ず幸せになりますが、他人を変えようとする人間は、その時点から不幸がついて回ります。

他人と過去は変えられません。 

その変えられないことを、一生懸命変えようとするのですから、永遠にその人の心が満たされることはありません。

常に何かしらの不平不満で一杯になります。

その人が、自分が変わろうと気づくまで不幸は続くのです。

他人を変えようとすることは、言葉を換えれば、「自分は一切間違っていない、自分は絶対正しい」ということなのです。

「自分は間違っていない、自分は正しい」と思うこと自体は有害ではないと思います。

しかし、それがエスカレートして、だから相手が変わるべきだと自分の価値観を強要することは、間違っていると思います。

相手が変わるかどうかは、その人自身が気づくまで変わらないのです。

多くの物事は、一方が100%悪いということはありません。

どちらかがより悪いという比較の問題で、どっちのほうがより正しいかという基準で判断されてしまいます。

「泥棒にも3分の道理」ということわざのように、泥棒でさえ自分の言い分があるのです。

そんな時に、相手がどんなに悪くて、どう変わるべきかを延々と説教しても何も変わらないのです。

どんな時でも相手を非難、攻撃する代わりに、自分の成長のために改善できることがあればそれを取り入れていくことが幸せへの近道なのだと思います。

相手を変えようとする努力を、自分が変わることで自分が成長すればいいのです。

相手も、本気で幸せになりたいと思った時に、他人を自分の価値観に変えようとする行為の無意味さに気づくのです。

他人を変える労力を自分が成長する方向に向け、その無言の後ろ姿に相手が何かを感じて、その人が自主的に変わっていくというのが、ベストのいい循環なのだと思います。

相手が変わるかどうかは、その人が気づくかどうかの問題なので、雨の日を無理やり晴れさせようと努力することと同じぐらい無意味なことなのです。

自分が幸せになりたければ、自分のほうがより成長、改善していくことだと思います。

そういう人間が増えていくことで、社会が平和でみんなが住みやすい世の中になってくるのだと思います。

日本の今の時代の流れは、このま逆に進んでいるように感じるのは、私だけでしょうか?

私も幸せになりたいので、自分の方が変わるように頑張ります。

人間万事塞翁が馬

2010-01-23 | 幸せへの気づき
人間は、ある程度満たされている時には足りない物を捜して不満を感じて、逆に、満たされていない時には、ありふれた幸せに敏感になるのではないだろうか?

人の欲求は満たされることはありません。

もっと欲しいという気持ちになれば、どんなものでももっと欲しくなります。

皮肉な事に、ある程度足りていると、ない物ねだりで足りない物を捜し、全然足りない時には、普通である事で幸せを感じます。

人間にとってどちらが幸せなのか分らないです。

人間の幸せには、感謝の気持ちが不可欠です。

感謝するとは幸せを感じると同じ事ですから、たくさん感謝できる人間がたくさん幸せでもあるのです。

満たされ始めると「もっと」を追及してしまう人間の性は、どうすれば解決できるのでしょうか?

私の考えでは、目に見える物に惑わされない自分の価値観を持つことではないでしょうか?

「人間万事塞翁が馬」ということわざがありますが、目の前で起きている現象は幸せとは関係がありません。

幸せだと思っていた事が不幸の始まりだったり、ついていないと思っていた事が、幸せへのチャンスだったりする事はたくさんあります。

同じ出来事に対しても、幸せだな、ついてるな、チャンスだなと前向きに思える思考回路を持つことが幸せへの近道ではないでしょうか?


人は方向性が見えていて、出来事の意味と価値がわかれば前向きになれます。

1つ1つの意味と価値を見つけるためには、いろんな事に対して「何の為に……」に対する自分なりの答えを見つけていくことのように思います。


自分が仕事をするのは何の為だろう?

何の為に生きているのだろう?

何の為に今の職種についているのだろうか?

何の為に掃除をするのか?

自分が幸せを感じるのはどういう時だろう?それはなぜだろう?

…………


人間は多くの部分を視覚で判断しますので、目の前の現象に惑わされないという事はとても難しい事かもしれませんが、「星の王子様」の本の言うとおり物事の本質は「大切なものは目では見えない」のですね。

他人がなんと言おうと、目では見えない価値を自分の中で確信している時には、その人は幸せを感じられる瞬間なのではないでしょうか?

無期不幸

2010-01-20 | 幸せへの気づき
人間関係において、世の中には理不尽なことを言い通す人がいます。

モンスターピアレンツ、クレーマー、DV男、独裁者、………

日常生活においての悩みの多くは、人間関係の悩みが多くの部分を占めていますよね。

私は、「人は幸せになるために生れてきた」と思っています。

それなのに、幸せになる努力をしない人は、日々生きているのがつらくないのだろうかと思います。

その典型的なタイプの人が、怒ったり、怒鳴ったり、相手を威圧することで常に自分が優位な立場に立とうとしている人です。

人間には、力で相手を抑えつけようとする人と、話し合いでその意味、自分の意図をわかってもらって解決しようとする対応があると思います。

なにがなんでも自分の意見を通そうという人は、力ずくでも相手を抑えつけようとか感情的になります。

そういう人の多くは、家庭環境や職場環境において、自分がそういう風に抑えつけられて育ったからその反動で、同じように相手を力で抑えつけようとする人が多いみたいです。

相手が誰であろうと、力ずくで相手を従わせても、そのしわ寄せや反動が、必ずいつかはやってきます。

表面的には、相手を動かせたように見えても、力だけでは人を動かすことはできないのです。

そういうタイプの人と出会ってしまうと、とても不愉快な気分になってしまいます。

そんな時に、少しでも自分の心を軽くする魔法の言葉があります。


それは自分が裁判官になって、その人に判決を下すのです。

裁判で「死刑」「無期懲役」などのように、力で相手を自分の思うように従わせようと理不尽なことを言い通す人は、幸せになることを諦めているのですから、永遠に不幸である「無期不幸」の判決を下すのです。

その人が自分の生き方や考え方を変えるまでは、不幸は続くのですから、心の中で「あなたは無期不幸に処する」と判決を出してあげるのです。

もちろん、「生き方や考え方を改善した場合には、不幸の期間は短縮させるでしょう」という執行猶予は付けておいてあげてください。

というか、マイナスのことを必要以上に深刻に考えないで、上記のようにゲーム感覚で軽く考えることで、自分の心の乱れに踏ん切りをつけて、1日も早く前向きなことに意識を向けていくことが大切だと思います。

他人は変えられないが、自分の感情はコントロールできるのです。

小さな気づきの大切さ

2010-01-14 | 仕事について
本やブログを書いたり、講演をしていますと、同じ本や同じ講演なのに、その反応は様々です。

執筆したり講演する立場の人間としては、どう思ってくれるかということは相手の問題なので、こちらとしてはどうしようもありません。
 
この違いは何処にあるのだろうと長い間考えていましたが、最近やっと分かってきました。

本を読んだり、聴講する人の心に響くか響かないかの違いで、その差は受け手のアンテナの本数とその感度の違いによって、大きな違いがでてくるのです。

全ての原因は、送り手が発信する情報に対して、受け手のアンテナが反応するかどうかによって違いが出ます。

発信する多くの情報の中で、どの情報に反応するかは10人10色と言っていいでしょう。

伸びる人、成功する人というのはこのアンテナの張り方が他の人と違うのです。 

なかなか成果の出せない人は、大きな成果を出せる宝くじ的なうまい情報にアンテナをはっています。

一方、成功する人は、平凡の中で人が見過ごしがちな小さな気づきを、コツコツ積み重ねる努力をされます。
 
1つ1つは小さな気づきですが、時間とともに大きな形として表れてくるのです。

小さな努力で大きな成果を求めようという気持ちがある人には、どうしても小さな気づきを積み重ねる努力が出来ないのです。

毎日コツコツ貯金するよりは、宝クジでの一攫千金を狙ってしまうのです。

これは習慣なのです。

普段の平凡な毎日を少し変えていく見方、うまい話に目を向けない気持ち、小さなことに感じるアンテナを育てることが、結局は大きな成果への1番の近道なのです。

タクシーでの感動

2010-01-06 | 仕事について
あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

皆さんは、年末年始はどのように過ごされましたでしょうか?


私は、京都に2泊の旅行に行きました。

この休みはいい息抜きになりました。

この休みの一番の収穫は、私の地元の広島でのタクシーの運転手の方との出会いでした。

その人は、タクシー歴32年のベテランで65歳の方でした。

会話や言動にとても思いやりを感じられ、イキイキと仕事をしているという表現がぴったりの方でした。

32年も同じ仕事をしていて、65歳にもなってなぜこんなにイキイキと仕事に打ち込めるのかがとても不思議でした。

タクシーの運転手さんは、競争も大変でしょうし、理不尽な客も多いだろうし、それなのに、どうしてこんなに前向きに仕事に打ち込めるのかを、聞きたくてしょうがありませんでしたが、妻や妻の姉が同乗していたので、恥ずかしいという気持ちがあって、なかなかお聞きするきっかけをつかめませんでした。

目的地も近くなってきて、このまま帰ったら後悔すると思い、運転手さんに思い切って聞きました。

それはまるで好きな人に思い切って告白するぐらいの勢いでした。

「運転手さんは30年以上も同じ仕事をしていて、嫌なお客も多いでしょうに、なぜそんなにイキイキと仕事をできるのですか?」
と私が聞くと

「私は毎日今日が運転手の初日という気持ちで仕事をしているのでマンネリにはならないのです。
初心忘るべからずですかな、わっはっは………
それに、いろんな人がいますから、いちいちお客さんに腹を立てたりする事はないですよ。」
と言われました。

ちなみにその方は、奥さんともほとんどケンカする事もないし、4人の子供とも友達のような関係だと言われていました。

孫は5人と言われていました。

タクシーを降りてからも、数日間はこの運転手さんの事を考えると、すがすがしい気持ちになりました。

タクシーの運転手さんには、お客を不快な気分にさせる人、可もなく不可もなくと言う人、お客を感動させる人の3種類があると思います。

これは、タクシーの運転手さんに限らず、どの仕事においてもこの3種類に分類できると思います。

歯科医院も同じです。

帰る時に嫌な気分にする医院、可もなし不可もなしの医院、帰る時に元気をもらえる医院。

今まで私は、歯科医院は、歯を治療する場所だと思っていましたが、今回の運転手さんと接して患者様に元気を与える場所でもあるのだと思いました。

「こんなことまで気を使ってもらってありがたい……」

「この子は若いのに、こんなに頑張っているのだから、私も今日から頑張ろう……」

「ここまで丁寧に診療してもらえてうれしい……」


感動とは「自分だったらここまではできないな」という事を目にした時にわきでてくるんですね。

今回の出会いで、本当の仕事というのは、自分が成長するだけでなく、他人にも勇気と元気を与えるものではないかと気付きました。

相手を感動させない仕事は、本来、仕事ではなく作業なのではないだろうか?
毎日仕事をする事は難しいかもしれないが、日々、作業ではなく仕事をする心がけが自分を成長させてくれるのではないかと気付きました。

一期一会と言いますが、「広島の安芸タクシー」の運転手さん、素晴らしい気付きをありがとうございました。