こんばんは。
瀬那みきです。
憲法も終わり、次は何にしようとかと考えまして、行政法にすることにしました。
ご一緒にどうですか?
国家の活動を大別して立法、司法、行政とすることは先に述べたとおりです。
立法は法を制定する活動であり、司法および行政は法の下における活動です。ところが司法は法の直接の実現を目的とし、犯罪があるかまたは法律上の権利義務に関して紛争が起きた場合に発動するものでありますが、行政は法の範囲内で国家社会において公共の安寧を保持し、国民の福祉を増進するために行われる活動です。
行政は法の実現を目的とするものではなくて、法の範囲内において国家社会上の日常の事務の処理をします。
行政の範囲は限定的でなく、国家の機能から立法、司法に属するものを除外したものは全部これに属します。そして国家の任務に関する思想が法治国家から文化国家へ進展するに伴って、国家の任務は拡大し、行政の範囲に属する事項が多くなってきました。それでは国家の任務に属する事項に関し国家は絶対に自由に行動することができるのでしょうか。
国家の司法的活動は早くから公法の規定するところとなっていました。刑事の範囲においては罪刑法定主義の原則が存在し、法の正条に準拠するのでなければ、国民を処罰することはできず、また民事・刑事その他の訴訟手続は裁判官がほしいままにこれを行うことはできず、厳格に訴訟法の規定するところに準じなければなりません。それというのも司法は直接に国民の生命、自由および財産に関しますから、このような厳格な法的規整が要求されるのです。さらに沿革的に考えますと警察国時代には行政が一定の法規に準じてなされることはなく、その恣意にまかせられていました。行政の首長たる君主は同時に立法権をもち、君主はたとえ行政に関し法規を制定するとしても、君主はいつでもそれを改廃することができましたから、少なくとも君主にたいしては法規が存在しないのと同じになっていたのです。立憲制度のもとにおいてはじめて、立法が行政から独立するとともに、行政官庁ははじめて立法府の拘束を受けるようになり、憲法の規定する国民の権利義務は国家機関にたいする意味をもち、行政権の外郭を劃すものであり、このようにして行政法の存在が可能になりました。
行政法は行政作用に関する法規の全体であり、その範囲はきわめて広汎にわたっています。それは憲法、民法、刑法等のように単一の法典をなすものではなく、種々雑多な事項に関する多数の行政法規を総称します。国家の行政的活動の限界は憲法によって定められています。憲法中の国会に関する規定は立法行政に関し、裁判官の資格その他に関する規定は司法行政に関し、会計に関する着ては財務行政に関します。また憲法は従来は純然たる行政法規でもって規律されていた教育や地方自治に関する事項の中根本的なものを取り上げて規定しました(憲法26条、92条)。このようにみるとき憲法と行政法とはその限界がきわめて不明瞭なものといわなければなりません。それゆえに、両者はその規定する事項の性質を標準として理論的に区別することができず、ただ事項の重要性に従い、国家の根本組織に関するものを憲法とし、これに比較して特殊的な事項、いわば技術的な行政的機能に関するものを行政法と認めるほかないのです。
行政法の規定するところはきわめて広汎な範囲にわたるので、国家の任務が繁多となるに従って増大する傾向があります。内務行政(内務省は今日は存在しませんが)すなわち公の秩序を保持し国民の福祉を増進することを直接の目的とする行政(その中には消極的に加害の防止、排除や秩序の維持を目的とする警察行政、積極的に衛生、産業、厚生等を目的とする助長行政を含む)の外、財務行政、外務行政、司法行政、立法行政等があります。そして国家がこれらの行政活動を営もうとするためには、まず行政機関の構成が必要です。複雑多岐な国家行政事務の処理には、それに相当した大規模な機関構成が必要とされます。国家の行政機関すなわち官庁は、第1に分業的に事務の性質に従い、第2に地方別に、第3に上下服従の関係において分類され、一定の権限をもちます。そして官庁は自然人である公務員によって組織されます。官庁の種類、権限の範囲、公務員の種類等は各種の公務員に関する法令によって定まります。
このような組織を基礎として、憲法の定める一般原則の範囲内で国家は国家機関を通じて行政的活動をします。その活動は先にあげた各部門に関し、きわめて多方面にわたり、今ここに列挙することはできません。
行政機関がなす行為を総称して行政行為といい、政府が発し又は行政機関に委任して発せしめる諸種の命令(政令、府令、省令)および各個の具体的場合について発せられる行政処分(例えば認可、許可、特許、証明等)はこれに属します。これらの行政行為がなされる際に、例えばある営業が認可されるに際し規準となるものは、根本問題としては国家の使命、国家全般の利益、地方的利益、利害関係人の利益、経済的、社会的、倫理的、文化的影響を眼中におくところの考慮です。これらの考慮は簡単には公益ということができますが、個々の場合について考えるときわめて複雑であり、真にどんな処置が妥当であるか判定に苦しむ場合が少なくありません。司法においては、判断は原告の請求が理由があるか否か、被告人が有罪であるか否かの一つを出ませんが、行政の範囲における公益の考慮においては、絶対的に黒か白かというのではなくて、判断は意見の相違によって支配されやすいことは司法の場合よりもはるかに大きいのです。
行政行為はその内容においては公益の考慮に基づいてなされます。そしてその形式においてそれは既存の法規の埒内に行われること、すなわちその主体、手続、形式等のすべてにおいて法の定める要件に適合することが必要ですが、裁判の場合のように法を適用するものではありません。例えば公益法人の設立の許可を与えることは一定の条件を具備したものに必ず許可を与えるというわけではなくて、そこに広大な自由裁量の範囲が存在します。自由裁量は単なる形式的な法的判断ではなく、権限ある者の主観的恣意的判断でもなく、先に述べた諸要素、諸要件を総合しての複雑な価値判断として客観的なものでなければなりません。このような裁量の存在は行政行為だけに限るものではなく、刑法上における刑の量定、私法上におけるある種の法事実の判断(例えば「信義」「善良の風俗」「相当の期間」等弾力的に規定した場合がある)についても存在するのですが、行政行為においてもっとも広汎な適用を見るのです。
本日はここまでにしておきましょう。
次回は、行政訴訟を予定しております。
お楽しみに。
さて、前回お話ししました町内会の定期総会、おかげさまで無事終了しました。
今週の土曜日までに総会議事録作成しないといけませんので、ブログも更新したことだしこれからやろうと思います。日曜日は全戸配布分を各理事さんにお渡しする予定でいます。来月は、草取りやら、委員会やらまた新しい行事が待っています。
PS:WEBサイト『瀬那の部屋』お薦めの本の紹介コーナーにて旧約聖書『ヤコブ苦節の14年とペヌエルでの格闘』(創世記Ⅳ)を掲載しました。
瀬那みきです。
憲法も終わり、次は何にしようとかと考えまして、行政法にすることにしました。
ご一緒にどうですか?
国家の活動を大別して立法、司法、行政とすることは先に述べたとおりです。
立法は法を制定する活動であり、司法および行政は法の下における活動です。ところが司法は法の直接の実現を目的とし、犯罪があるかまたは法律上の権利義務に関して紛争が起きた場合に発動するものでありますが、行政は法の範囲内で国家社会において公共の安寧を保持し、国民の福祉を増進するために行われる活動です。
行政は法の実現を目的とするものではなくて、法の範囲内において国家社会上の日常の事務の処理をします。
行政の範囲は限定的でなく、国家の機能から立法、司法に属するものを除外したものは全部これに属します。そして国家の任務に関する思想が法治国家から文化国家へ進展するに伴って、国家の任務は拡大し、行政の範囲に属する事項が多くなってきました。それでは国家の任務に属する事項に関し国家は絶対に自由に行動することができるのでしょうか。
国家の司法的活動は早くから公法の規定するところとなっていました。刑事の範囲においては罪刑法定主義の原則が存在し、法の正条に準拠するのでなければ、国民を処罰することはできず、また民事・刑事その他の訴訟手続は裁判官がほしいままにこれを行うことはできず、厳格に訴訟法の規定するところに準じなければなりません。それというのも司法は直接に国民の生命、自由および財産に関しますから、このような厳格な法的規整が要求されるのです。さらに沿革的に考えますと警察国時代には行政が一定の法規に準じてなされることはなく、その恣意にまかせられていました。行政の首長たる君主は同時に立法権をもち、君主はたとえ行政に関し法規を制定するとしても、君主はいつでもそれを改廃することができましたから、少なくとも君主にたいしては法規が存在しないのと同じになっていたのです。立憲制度のもとにおいてはじめて、立法が行政から独立するとともに、行政官庁ははじめて立法府の拘束を受けるようになり、憲法の規定する国民の権利義務は国家機関にたいする意味をもち、行政権の外郭を劃すものであり、このようにして行政法の存在が可能になりました。
行政法は行政作用に関する法規の全体であり、その範囲はきわめて広汎にわたっています。それは憲法、民法、刑法等のように単一の法典をなすものではなく、種々雑多な事項に関する多数の行政法規を総称します。国家の行政的活動の限界は憲法によって定められています。憲法中の国会に関する規定は立法行政に関し、裁判官の資格その他に関する規定は司法行政に関し、会計に関する着ては財務行政に関します。また憲法は従来は純然たる行政法規でもって規律されていた教育や地方自治に関する事項の中根本的なものを取り上げて規定しました(憲法26条、92条)。このようにみるとき憲法と行政法とはその限界がきわめて不明瞭なものといわなければなりません。それゆえに、両者はその規定する事項の性質を標準として理論的に区別することができず、ただ事項の重要性に従い、国家の根本組織に関するものを憲法とし、これに比較して特殊的な事項、いわば技術的な行政的機能に関するものを行政法と認めるほかないのです。
行政法の規定するところはきわめて広汎な範囲にわたるので、国家の任務が繁多となるに従って増大する傾向があります。内務行政(内務省は今日は存在しませんが)すなわち公の秩序を保持し国民の福祉を増進することを直接の目的とする行政(その中には消極的に加害の防止、排除や秩序の維持を目的とする警察行政、積極的に衛生、産業、厚生等を目的とする助長行政を含む)の外、財務行政、外務行政、司法行政、立法行政等があります。そして国家がこれらの行政活動を営もうとするためには、まず行政機関の構成が必要です。複雑多岐な国家行政事務の処理には、それに相当した大規模な機関構成が必要とされます。国家の行政機関すなわち官庁は、第1に分業的に事務の性質に従い、第2に地方別に、第3に上下服従の関係において分類され、一定の権限をもちます。そして官庁は自然人である公務員によって組織されます。官庁の種類、権限の範囲、公務員の種類等は各種の公務員に関する法令によって定まります。
このような組織を基礎として、憲法の定める一般原則の範囲内で国家は国家機関を通じて行政的活動をします。その活動は先にあげた各部門に関し、きわめて多方面にわたり、今ここに列挙することはできません。
行政機関がなす行為を総称して行政行為といい、政府が発し又は行政機関に委任して発せしめる諸種の命令(政令、府令、省令)および各個の具体的場合について発せられる行政処分(例えば認可、許可、特許、証明等)はこれに属します。これらの行政行為がなされる際に、例えばある営業が認可されるに際し規準となるものは、根本問題としては国家の使命、国家全般の利益、地方的利益、利害関係人の利益、経済的、社会的、倫理的、文化的影響を眼中におくところの考慮です。これらの考慮は簡単には公益ということができますが、個々の場合について考えるときわめて複雑であり、真にどんな処置が妥当であるか判定に苦しむ場合が少なくありません。司法においては、判断は原告の請求が理由があるか否か、被告人が有罪であるか否かの一つを出ませんが、行政の範囲における公益の考慮においては、絶対的に黒か白かというのではなくて、判断は意見の相違によって支配されやすいことは司法の場合よりもはるかに大きいのです。
行政行為はその内容においては公益の考慮に基づいてなされます。そしてその形式においてそれは既存の法規の埒内に行われること、すなわちその主体、手続、形式等のすべてにおいて法の定める要件に適合することが必要ですが、裁判の場合のように法を適用するものではありません。例えば公益法人の設立の許可を与えることは一定の条件を具備したものに必ず許可を与えるというわけではなくて、そこに広大な自由裁量の範囲が存在します。自由裁量は単なる形式的な法的判断ではなく、権限ある者の主観的恣意的判断でもなく、先に述べた諸要素、諸要件を総合しての複雑な価値判断として客観的なものでなければなりません。このような裁量の存在は行政行為だけに限るものではなく、刑法上における刑の量定、私法上におけるある種の法事実の判断(例えば「信義」「善良の風俗」「相当の期間」等弾力的に規定した場合がある)についても存在するのですが、行政行為においてもっとも広汎な適用を見るのです。
本日はここまでにしておきましょう。
次回は、行政訴訟を予定しております。
お楽しみに。
さて、前回お話ししました町内会の定期総会、おかげさまで無事終了しました。
今週の土曜日までに総会議事録作成しないといけませんので、ブログも更新したことだしこれからやろうと思います。日曜日は全戸配布分を各理事さんにお渡しする予定でいます。来月は、草取りやら、委員会やらまた新しい行事が待っています。
PS:WEBサイト『瀬那の部屋』お薦めの本の紹介コーナーにて旧約聖書『ヤコブ苦節の14年とペヌエルでの格闘』(創世記Ⅳ)を掲載しました。