きまぐれにJalanJalan

amebaブログに引っ越ししました。
https://ameblo.jp/kumakitidayo-2019

2001年5月 バンコク&カンチャナブリ⑤

2001年05月19日 09時18分23秒 | シンガポール発着海外旅行

<4日目>

最終日は観光をしました
ウィマンメーク宮殿(王ラーマ5世の宮殿)に行きました

ウィマンメーク宮殿入り口

建物はくぎを1本も使っていないそうです
第2次世界大戦の被害も若干受けているようですが
そのまま保存してありました

いままで、貧困を見ていたのにここは、別世界

食器は毎日変更して、
それも、世界中の有名な高級食器を使用
(日本の有田焼も使用していました)

子供達も同じような感じで、
ままごと道具も、有名な高級食器を使用していました
遊び道具まで
象牙のおはじき(?)みたいなものでした

杖や傘入れは、
本物のゾウの足(人間では下腿の部分)を
はく製にして使用していたそうです

ため息・・・・・(^。^;)ハァ

それにしても、象牙がとてもたくさん、
使われていたように思いました

(ガイドは英語だったので、
私の勝手な解釈の範囲で書いています)

軽トラックの”タクシー”(?)
名前を忘れました(^_^;)

移動は40バーツ
これは外人価格だそうです

因みに、タクシーの初乗りが35バーツでした

揺れる!揺れる!w(゜o゚)w


2001年5月 バンコク&カンチャナブリ④

2001年05月19日 09時18分22秒 | シンガポール発着海外旅行

<3日目(その2)>

バンコク在住11年の駐在員の奥様、中澤洋美さんのお宅に伺いました
田舎の農民に支援をするボランティアをされています
2ヶ月に1回、道なき道をジープで行き、ボランティアをしているとか

農民が作ったものを、タイ人のお店で販売しています

中沢さん親子

娘さん(右)は、日本語教師をしています
お2人ともタイ語を流暢に話されていました

中沢洋美さん

「これは道楽です。
主人が助けてくれるから出来るんですよ
主人のおかげです!」

と言って、自然な笑顔を
見せていただきました
この言葉を聞いて、ジーーンと感動しました

人間の心の広さを見た感じでした

タイの食器

左側は、”スワンの食器”
スワンの頭部分はスプーンです

ウボンラチャタニー県カンプラ村の
村人が織ったもの

草木染めだそうです

セラドン焼き

淡いグリーンがステキです

柄物は、高級品だそうです


2001年5月 バンコク&カンチャナブリ③

2001年05月19日 09時18分21秒 | シンガポール発着海外旅行

<3日目(その1)>

NGOボランティア団体を4つ視察しました。

その中で、もっともショックを受けたのは、スラム地区(貧困居住地区)でした。
高層ビルを背景に、考えられないくらいの貧困状態・・・。

それを、支援しているのがボランティア団体だそうです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Duang Prateep Foundation
(ドゥアン・プラクティーク財団)

この財団では日本人が数名活躍されています。近いうちに日本語のHPが作成されるそうです。
寄付金を集めて、スラム地区の子供達が勉強出来るように、支援しているようです

でも、現実には、援助した学費で、親が麻薬を買ったりすることも少なくないとか・・・・・
それに、ここの住人は、山岳地帯や、農村地帯から出稼ぎに来ていたりして
居住権がないそうです
それに、出生届が出てなかったりして、そうするとタイ人だと認められない為
就学できないケースも多いとか・・・

ひと2人が、やっと、すれ違えるくらいの道が
迷路のように続いています

その中に、家とは言えないような家が数百軒立ち並んでいる。
ここは、バンコク最大のスラム地区「クロントイ」
住人は約10万人だそうだ!

私は、全く気が付きませんでしたが
現地で活躍している日本人によると
麻薬をしている人など、すぐわかるそうだ。

衛生状態は最悪、悪臭もヒドイ。

それでも、少し歩いているだけでも、
住人は”昼寝”をしていたり、
大きな音楽をかけて、横になっている人を
たくさん見かけました

背景には、高層ビル街

ここの住民は、港湾の日雇い労働者が多いとか

ボランティアが、”寄付”ではなく、
雇用の場を与えるようにすれば良いと思ったが、
現状には、地方から流れてきている人は
学歴がないので、仕事に就きにくいとか??

スラム地区の幼稚園

貧困でも、勉強してもらうように
ボランティアが活躍している
学費の殆どが、寄付でまかなっているらしい

もう一つの幼稚園

ともかく、貧困のわりに、子供の数がとても多い
1家族で3~4人だそうだ

幼稚園のトイレ

奥の水溜りから、桶で水をすくい流す
水洗ではない

子供達はとても元気

お行儀が良く”サワリカ~(-人-)”って
挨拶してくれた

バンコク市内

本当に貧富の差が激しい
現地のガイドの話では治安は良いらしい

但し、日系企業では、ご主人様、奥様には
それぞれ車が与えられ
運転手付きの生活は標準らしい

どうやら、雇用の問題とか、
交通事情の問題があるらしい

タイの有名な麺料理”パッタイ”(やきそば)
スラム街の屋台で20バーツ

とても、美味しかった!香港麺と似ていた

これは、施設の方が持ちかえりをして
美しくセッティングしてくれたものです

シンガポールのホッカーでS$2~3で食べれる物価が
ここでは、20バーツくらいだとか?

タイ人の平均の生活費は7000~1万バーツらしい
日本人は、駐在員の住居費だけで、
平均5万~7万バーツとか・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社団法人 
シャンティ国際ボランティア会

農村地帯の農民の手作りを販売して、農民の生活を援助しています
里親制度も応援しています

24,000円で、1人の子供が1年間学校へ通えるそうですが
募金が集まらないのと、親が使いこんでしまったりと現状はかなり厳しいようです

ショップ内

ここでは、日本人が4人活躍しています

手作りなので、とても丁寧に作られている

真ん中は刺しゅうです


2001年5月 バンコク&カンチャナブリ②

2001年05月19日 09時18分20秒 | シンガポール発着海外旅行

<2日目>

NAWのメンバー4人とタイ人のツアーガイド(ボランティアのも携わっていたとか?)、私達一般人2人、ドライバー、総勢8名で
ワゴンに乗って、バンコクから3時間ぐらいのミャンマーの国境近くのKanchanaburi(カンチャナブリ)へ向かった。

目的は、子供の「生き直しの学校」でのボランティアの為。

途中”戦場にかける橋”を見学した。現在は、老朽化の為、当時のものは残っていないようだ。
戦争の話は辛い・・・・・・。

※ 「生き直しの学校」:虐待や、麻薬などに犯された子供達を救う為に、ボランティアによって、建てられた施設

この中には、シンガポールの
Imeges of Singaporeと、とても良く似ていました。
(入館料50バーツ)

人骨まで展示してありました。

当時、走っていた列車(本物だそうです)

”戦場にかける橋”

すっかり、観光地化されています・・・・。

近くのフードコート
観光地の割に、タイ語でした(^_^;)

Kanchanaburi(カンチャナブリ)へ向かう途中の
バンコクから車で2時間くらいの街

町の様子は、ローマ字が殆ど見当たらず、
2次元の世界でした

その中のマーケット

りんご1個10バーツ(約S$50¢)w(゜o゚)w
タイの物価を考えても、
りんごは、とても高級なものだと知りました。

タイは仏教国
日本で言うと、お守りの代わりにに花を飾るそうです

車なら
交通安全のお守りの代わりがこの花で
車の中に飾っています。

Kanchanaburi(カンチャナブリ)にある「生き直しの学校」

子供達が出迎えてくれて、
タイダンスを披露してくれました
涙がジュワーーーッと出ました。

やや小さい子供は、テンポのある音楽で
ダンスを踊ってくれました。

内心・・・・・
この中で麻薬常用者がいたなんて、
信じられない・・・

女の子も、坊主の子が多いです
”しらみ”の皮膚病になったからとか?

総勢30数名が収容されているそうです。
妊娠している子供もいました・・・・。

お金がないから中絶できないとか?
でも、生んだ方が一生お金が掛かるのでは?

詳細はわかりませんでした

牛乳パックを切って、
ひもで編んでつないで作った”帽子”
物を大切にすると、こんなものまで作れるんですね。

上記帽子をかぶって、
子供達と散歩

何もないんです。
土と木だけ・・・・

建物は、この施設の建物以外は
村までも車で行かないといけません・・・。

無邪気な子供達

ボランティアを楽しみにしていたのか
私達にピタッとくっついて
離れようとはしませんでした

日頃、少ないスタッフの為
愛情に乏しいイメージを受けて
とても、ショックでした。

ボランティアで、”白玉”を披露

子供達は”モチ、モチ”と日本語で言って、
とても喜んでいました

果物にハエがたかり、数百匹

衛生面を考えても、
こんな田舎に収容する意味があるのか疑問を持ちました

ともかく何もないところ!

「生き直しの学校」といいなが、都会から(村からも)隔離されていて孤立状態
この状態で”生き直し”(社会復帰)が出来るのかと心配になりました
実際、ここを出ても、世間での生活は難しいようでした
現状の把握には、政府の対応とボランティアのあり方の矛盾を感じました。


2001年5月 バンコク&カンチャナブリ①

2001年05月19日 09時18分19秒 | シンガポール発着海外旅行

タイのバンコクは、シンガポールから、2時間くらい。
直行便がたくさんあるので行きやすいと思います

今回のきっかけは、無料日本語情報誌”Will”「タイ(ボランティア)スタディーツアー」を見て
たまたま、私自身、
ボランティアをしていたこともあって、応募しました。

手続きその他は、全てWillの方にしていただいたので、私は、ただ参加するだけでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホテルはTai-Pan Hotel Bangkok
旅費:$850 3泊4日:SQ利用、全食事付き、移動費など、全て込み
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ Will

マンゴスティン、パルティ、J-Plusの他に、Willは、2ヶ月に一回発行されていて、日系書店などで入手できます
NGO[
Non Governmental Organization Network ]の中のNAW(Network of Asian Women)の
ボランティアにより発行されているようです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今回は、NAWのボランティアをされていて、
以前バンコクで、5年間、駐在員の奥様だった方(現、シンガポール駐在員の奥様)と
現、バンコク駐在員の奥様(前、シンガポール駐在員の奥様)の2名が中心になって、
バンコクのNGOのボランティア団体を案内して頂きました。
移動は、タイ駐在員の奥様の会社の車をお借りしたり、タクシーなど、色々でした。

他、NAWでボランティアをしている方、現地で活躍している方も加わり、
観光では行けないような、ボランティア施設や現状が見れてとても良かったと思います。
結局、私達のような、一般の参加者(NGOなどの部外者)は2名のみでした。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

<1日目>

現地でボランティアをされている、日本人グループのクラフト販売や、
CHATUCHAK WEEKEND MARKET(チャットッチャック・ウイークエンドマーケット)でお買い物
バンコク到着次第、買い物三昧・・・・内心「ホントにボランティアツアー?!」(^_^;)

日本人グループのクラフト販売は2ヶ月弱に1回されているようです。
買い物客は日本人が殆どでした。
(タイ駐在員は3~4万人とか?他を合わせるとどれくらいなんでしょうか?)

日本人グループのクラフト販売ボランティア

The Thai Craft Assosiation : 78 Sukhumvit Soi 61 Bangkok 10110
Eimail: 
info@thaicraft.org

1999年に開通したスカイトレイン
BTS(Bangkok mass Transit System)

シンガポールのMRTと殆ど同じです。
MRTの案を取り入れたとか?

チケット売り場

英語が書いていないと、
タイ語は絵にしか見えません(^_^;)

駅のホーム

交通費が高いらしく、
バンコクの交通渋滞を緩和する為に作ったものの
運賃が高くて、利用率が少ないとか?

CHATUCHAK WEEKEND MARKET
(チャットチャック・ウイークエンドマーケット)内

BTSの終点MO CHIT駅から、徒歩5分くらい

週末のみ開催されるようですが
莫大な規模です

ひと2人がすれ違える通路に数百軒のお店が
所狭しと並んでいます。

観光客も多いようで、
英語も通じやすかったように思いました。

結構、言い値にまでまけてくれたので
結構安く買うことが出来ました。

一応テントの中なので雨でも大丈夫ですが、
当日はどしゃ降りになり、
屋根が弱いところは、結構水浸しでした(^_^;)