あるこことは楽しい。
昔は
散歩が趣味だった。
散歩といえば
景色がといわれがちだが、
当時の私はそうではなかった。
景色などのものめずらしさは、
確かにあったが。
それよりも
もっと大きな楽しみがあった。
それは、
歩くことだ。
足をさほど意識しなくても
勝手に歩いてくれる。
私は別に、
右足を上げながら重心を移動させるなどの
難しい作業を考えない。
私たちは
前に歩く
というショートカットキーのようなものがあるのだから。
このシェマとか出てきそうな話はまた今度機会があれば。
閑話休題。
歩くことはそれだけで楽しい。
私は
歩くことがただただ
純粋に楽しかったのだ。
前に進む体が不思議でならなくて、
気づいたら進んでいる体不思議で。
ただ、
純粋に楽しかったのだ。
歩くことが
好奇心を刺激する。
歩くことが
不思議でたまらなかったのだ。
ゆえに、
飽きないどころか
最高に楽しいことだった。
しかし、
今は
歩くことの意味は変わった。
楽しむ点では同じであるが、
散歩のようなことを目的としない。
今私の興味は、
『いかにして歩くか』
である。
より効率的に歩くことを目標とする。
ただ、
疲労関係に関して、
私はこのことであまり疲れないので、
考えていない。
人が多いところをどう歩くのか。
これは楽しくてたまらない。
人と人の間を
できるだけ接触を避けながら歩く。
スピードも速ければ速いほどよい。
効率てきにだ。
周りの人間から見れば、
やり手のサラリーマンにでも見えるのかもしれないw
私は、
あくまでも歩くことしかできないがw
少し前までは、
この歩くことにおいて、
人との接触しないルートを
どれだけ速く見つけ
即座に判断できるかに凝っていた。
今でも、
そのことをおろそかにしているつもりはないが、
別のことに気がいっている。
どのようにして道をあけさせるかだ。
あ、
そこ。
怖いお兄ちゃんたちみたいに
肩で風切りながら
歩いていると思ったでしょ。
それは違うよ。
私のような人では
威嚇は弱い。
不向きだ。
まあ、
向いていたところで
やるつもりはないけどね。
私は気を放出している。
そこ、
怪しいと思っただろう。
いや、まあ、
私も怪しいと思いながらやってるんだけどね。
しかし、
それなりの効果を挙げているんだよね。
非言語的非表現的意思表示。
この意味ある。
実際、
歩いてくる人が
道を譲る人かそうでないかは
意外とわかるだろう。
私はそれを常に
譲らないと示し続けているのだ。
また、
後ろから行くときは
気の放出だw
気づかせる。
こちらの意図共に。
まあ、
後ろからは難しいんだけどね。
人の気配が感じる
真後ろまで行かないと
案外気づいてくれない人が多いから。
しかしながら、
反応する人はしますからねw
気の放出でw
まあ、
そんな感じ。
書いている途中に、
一度集中力を切らされたので、
今回はこの辺で失礼するね。
では。