私という、一生命体についての思考。
私は勉強したいと考える。
しかし、勉強しない。
なぜ?
何か妨げるものがあるのか?
仕事か?
授業か?
ゲームか?
否、何もないはずである。
仕事や授業などあったとしても、
多くて3時間
少なくても1時間
は勉強に当てるだけの時間は十分に
存在する。
それでは、なぜだろうか?
ゲームにおいても、
だれ気味で、飽きている。
もう、たくさんやったから
興味自体も薄れている。
いるのだが・・・。
とらわれるほどのものとは考えにくい。
なのに、私は勉強しない。
欲求的には
アア、勉強して~
とかあるのにだ。
しかし、現実は
PCにかじりついたりして
勉強
という高度を取ろうとしない。
意味が分からない。
やろうと思うのに、
結局は
どうでもいいようなことしかしない。
客観的に見ても主観的に見ても
馬鹿
にしかみえない。
条件は十二分にそろっているというのに
それが成立しない。
何が足りないのだろうか?
やろうとする気持ち。
そのための環境。
この2点がそろっても
勉強
が発生しない。
なぜ?
私はただ単に
無意識レベルで勉強を拒否しているのか?
それにしたって、
あんまりにも動かない。
私の動きを
制限かけるほどのものが
あるのか?
ないだろう。
謎だ。
しかし、
習慣だろうか?
原因は。
今の今までの私の行動パターンは
ゲーム
とりわけPCの。
コレばっかりを時間があればやっていた。
お陰で
昼夜逆転現象
まで引き起こしたが・・・。
帰宅すればコレ、時間があればこれ。
1年近く繰り返した行動。
その結果、私の無意識下での
習慣
として染み付いたのだろうか?
恐ろしいことである。
と、ここまで思考して思う。
しかし、
習慣とはいえ、
私の行動がここまで
制限?
されるほどのものであろうか?
習慣についても
レベルは存在する。
この習慣のレベルは
高いのか?
そんなわけがないだろう。
優先順位において。
はてさて、
何が私の阻害を・・・。
コレもまた習慣であろうか?
全く勉強してこなかった結果、
あまりにも
珍しい行動
を取ることに抵抗を感じ、
なれ親しんできた
行動にシフトしているのだろうか?
Aを行なうよりも
Bを行なうほうが安心する。
なら、
Bを行なおう。
そういうことなのかもしれない。
楽へ、楽へのベクトル移動。
正直コレが本当であれば
非常にまずい。
惰性の中で惰性さえ感じられず、
自己の境界線が薄まるかも知れなし。
堕ち行くもの。
ここは奮起するべきなのかもしれない。
最悪何もできなくなる前に・・・。
ここでの思考の中で
動きがある程度固まる。
危なき道を避けるためにも
険しい道を行く必要がある。
自分開発。