人間国宝 (江戸浄瑠璃) "新内 仲三郎"氏とその一門の方と、オーケストラとの競演、無事終了しました。
東京都某C区が、今年より「シーズンコンサート」と銘打って、シリーズもので演奏会を開催する予定。 その記念すべき第一回は、その芸術顧問とでも申し上げるべき人物、C区在住の、新内仲三郎(三味線)氏と、区より依頼された洋楽器演奏家による小オーケストラとの、共演となった。
お題は、小泉八雲の「雪おんな」でした。
もともと江戸浄瑠璃の作品では、レパトリーらしいのですが、今回はこれに管弦楽を編曲してつけて、演奏することに。
しかし、和モノ(日本の伝統芸能という意味)は、独特の間があって、西洋の音符の尺では考えられないほど複雑に、なかば即興に、その音符や休符(間)が伸び縮みするんですね。
それと、かれらは、かれらの呼吸で、独特のあわせる方法があるらしく、今回のように、指揮者が楽曲全体を取り仕切るというふうには、当然慣れてないわけで。
きっとそれにあわせてしまうと和モノの「よさ」が、うそっぽさになってしまう気がします・・・。
ですので、管弦楽と「共演」とはいえ、オペラで言う感じの、リチタティーボみたいな感じで、曲が構成されてました。編曲されたかたはさぞかし苦労されたことでしょう。
また、この「レチタティーボ」にあたる部分・・・これが長い!
最長で10分も、三味線と、浄瑠璃と語りだけの部分もあり、その間、オケは、微動だにせず舞台の上で待っていなければならない。そしてちゃんと次のオケの入る部分の直前に楽器を構えなければいけない、しかも適度な速さの動きとともに(早すぎると興ざめってやつですね) ふつうのオペラならオケピ(お客さんからは見えない舞台前の奈落)にいるのですが、ステージに、それも思いっきり同じ照明の下、そこに存在するって、本当に大変でした。
だって、必要以上に、かさかさ動いたり、居眠りなんてもってのほか・・・
そんな無駄な動きは、許されないのです・・・そこにあるすべてが「音楽」なのですから。
客席も、シーーーーーンと静まり返り、家元の動き一つ、呼吸ひとつも逃すまいという、緊張感・・・。独特の、間、節回し・・・。 浄瑠璃との掛け合い・・・。
つまり、とっても、「空間」というものが、大事なんだなぁ・・・って感じました。
私自身は、和モノには、何一つ精通してないのですが、何にも知らない私でも、ふしぎですね~お三味線が鳴り出し、唄が語りが入ると、特別な気持ちになりました。
「日本人」の血がさわいだんでしょうか?
公演は、大成功でした。
演奏者も初めての試み、リハ中は、紆余曲折、悩み、戸惑い、落ちまくり・・・
しかし、私たちは、やったのだぁーーーーと達成感でいっぱいでした。
お客さんのなかには、洋楽を聞くのも初めての人もいたようですけど。
(そこは、たとえば、新橋演舞場とかと、考えてくださればいいです。そういう熱狂的なファンでいっぱい、普段の洋楽クラシックのコンサートからは想像もつかない雰囲気でした)でも、「フラボー」て、聞こえたなぁ・・・。
家元は、海外公演もなさる人のようです。
もしかしたら、将来に、このレパトリーで海外演奏旅行にいくときには、また私たちとぜひ共演していただけないだろうか・・・なんて思いました!素敵な曲でした。
やはり、道を極めて、なおまだ先を見つめて精進するとおっしゃる、すばらしい芸術家との共演。とても貴重な経験でした。
追記:家元から、お夜食と、お祝いのお菓子の「差し入れ」がありました。
これは、きっと邦楽の世界の方の独特のものなのかな・・・「まい膳」のカツサンドをふくめたお弁当(めちゃ、うみゃい!!!)と、お祝いの焼き菓子(のしがみには「縁でこそあれ・・・」とありました。このお菓子は「適度な硬さ=かたい絆、深いご縁」 ほどよい円み=福徳円満、和のこころ」と解説にありました・・・どこまでも素敵だ・・・。シビレタ
東京都某C区が、今年より「シーズンコンサート」と銘打って、シリーズもので演奏会を開催する予定。 その記念すべき第一回は、その芸術顧問とでも申し上げるべき人物、C区在住の、新内仲三郎(三味線)氏と、区より依頼された洋楽器演奏家による小オーケストラとの、共演となった。
お題は、小泉八雲の「雪おんな」でした。
もともと江戸浄瑠璃の作品では、レパトリーらしいのですが、今回はこれに管弦楽を編曲してつけて、演奏することに。
しかし、和モノ(日本の伝統芸能という意味)は、独特の間があって、西洋の音符の尺では考えられないほど複雑に、なかば即興に、その音符や休符(間)が伸び縮みするんですね。
それと、かれらは、かれらの呼吸で、独特のあわせる方法があるらしく、今回のように、指揮者が楽曲全体を取り仕切るというふうには、当然慣れてないわけで。
きっとそれにあわせてしまうと和モノの「よさ」が、うそっぽさになってしまう気がします・・・。
ですので、管弦楽と「共演」とはいえ、オペラで言う感じの、リチタティーボみたいな感じで、曲が構成されてました。編曲されたかたはさぞかし苦労されたことでしょう。
また、この「レチタティーボ」にあたる部分・・・これが長い!
最長で10分も、三味線と、浄瑠璃と語りだけの部分もあり、その間、オケは、微動だにせず舞台の上で待っていなければならない。そしてちゃんと次のオケの入る部分の直前に楽器を構えなければいけない、しかも適度な速さの動きとともに(早すぎると興ざめってやつですね) ふつうのオペラならオケピ(お客さんからは見えない舞台前の奈落)にいるのですが、ステージに、それも思いっきり同じ照明の下、そこに存在するって、本当に大変でした。
だって、必要以上に、かさかさ動いたり、居眠りなんてもってのほか・・・
そんな無駄な動きは、許されないのです・・・そこにあるすべてが「音楽」なのですから。
客席も、シーーーーーンと静まり返り、家元の動き一つ、呼吸ひとつも逃すまいという、緊張感・・・。独特の、間、節回し・・・。 浄瑠璃との掛け合い・・・。
つまり、とっても、「空間」というものが、大事なんだなぁ・・・って感じました。
私自身は、和モノには、何一つ精通してないのですが、何にも知らない私でも、ふしぎですね~お三味線が鳴り出し、唄が語りが入ると、特別な気持ちになりました。
「日本人」の血がさわいだんでしょうか?
公演は、大成功でした。
演奏者も初めての試み、リハ中は、紆余曲折、悩み、戸惑い、落ちまくり・・・
しかし、私たちは、やったのだぁーーーーと達成感でいっぱいでした。
お客さんのなかには、洋楽を聞くのも初めての人もいたようですけど。
(そこは、たとえば、新橋演舞場とかと、考えてくださればいいです。そういう熱狂的なファンでいっぱい、普段の洋楽クラシックのコンサートからは想像もつかない雰囲気でした)でも、「フラボー」て、聞こえたなぁ・・・。
家元は、海外公演もなさる人のようです。
もしかしたら、将来に、このレパトリーで海外演奏旅行にいくときには、また私たちとぜひ共演していただけないだろうか・・・なんて思いました!素敵な曲でした。
やはり、道を極めて、なおまだ先を見つめて精進するとおっしゃる、すばらしい芸術家との共演。とても貴重な経験でした。
追記:家元から、お夜食と、お祝いのお菓子の「差し入れ」がありました。
これは、きっと邦楽の世界の方の独特のものなのかな・・・「まい膳」のカツサンドをふくめたお弁当(めちゃ、うみゃい!!!)と、お祝いの焼き菓子(のしがみには「縁でこそあれ・・・」とありました。このお菓子は「適度な硬さ=かたい絆、深いご縁」 ほどよい円み=福徳円満、和のこころ」と解説にありました・・・どこまでも素敵だ・・・。シビレタ
そう言えば、「ブラボーッ!」って
聞こえたね。
野村さんだったのかな??
ああいう、掛け値なしで
音楽に没入していく姿は、なかなかでした。
家元だけがばちを持つ姿が、とても軽くて
弦楽器の弓をもつのととても似ていました。
柔らかく、しかもフリーな部分があってさすがという感じはいたしました。
一番いい席ね~
家元の呼吸が聞こえてきそうだよね~
いや~ほんと、大変なことだったと思います。
編曲者のかたは、副科で邦楽器を専攻されてたそうです、(家元JRとは大学の先輩後輩らしいのです)
そういう基盤がなければ、まずできなかったでしょう・・・。
改めて、日本人でよかったなぁ。。。なんて思うのでした、なぜか。
勝手に野村さんと思い込んでいた私・・
失礼致しました(^^ゞ
勝手に野村さんと思い込んでいた私・・
失礼致しました(^^ゞ
のむさんは小僧さんで、小僧さんは飲む産らしい・・・うひゃひゃ!
小僧といえば・・・
「小僧寿し」という寿司のチェーン店あったでしょ?
「小憎寿司」とまちがってかくやついたなぁ・・・
(へ??わたしじゃないよ、いくら日本語が不自由だからって・・・気が付くさ、多分>どうでもいいってか??)