ミーニョの日記

ミーニョの由来はロナウジーニョからです。本名の後ろに「ーニョ」をつけただけです。よく聞かれるので書いときます

子供たちのこと

2012-01-17 23:41:56 | 日記

最近、下の息子(5才)が「しりとりしようよ」と言ってくる。

40も近いおっさんが何を..と言われるかもしれないがこれがなかなかに楽しい。

5才の我が子が最近覚えた言葉を一生懸命、頭から引き出している姿を見ていると「もうこんな言葉を知っているのか」と感心すると同時に心がとても和む。このくらいの年の子だと最後に「ん」が付く言葉本気でを言ってしまう事もあるのだが、親バカで恐縮だけれどそういう所も又なんともいとおしい

 

私の子どもは現在8才と5才。丁度、親の遊び相手になってくれる年頃。「こうやって親と遊んでくれるのもいつまでかな?」と思っていると昨日の日経新聞に面白い事が書いてあった。トニー・ブレア元英首相が「私の履歴書」に寄せていた記事で「子供は3才ごろから面白くなり始め、地獄の暗い霧が彼らを包み始める12才ごろまでそれが続く。そして20才前後で半文明化された人間として再び姿を現すのだ。それを見て自分が悪い親だとか、遺伝的な問題があるのではないかなどと思い悩むのはやめ、やっぱり自分の子供だと悟り、愛するのである。勿論、例外もあるが、これが私の経験だ」。

「地獄の暗い霧」とは思春期や反抗期の事を指しているのかな?その表現が適切かどうかはおいといて自分の子ども達もいずれそういった時期を迎える事になるのだろう。

 

そういった時に今とは違った父親の役目を果たさないといけない。

息子達の参観日なんかに出ていると素人ながらに教育の大切さを認識させられる事がある。特に幼稚園の頃なんか感じるけど子供たちは各個々人の個性こそあるものの彼らは全員が純心無垢。至って当たり前のことながら「最初は皆、真っ白なんだな」と再認識させられる。

 

その白さに色をつけていくものはもちろん色々あるのだろうけど親がその大きな部分を占めているのは間違いの無いこと。

 

昔、似たような日記を書いたことがあるが息子たちが自分の力で世の中を歩いていける力がつくまで、子供たちがいずれ「地獄の黒い霧が包む」時期になっても父親の役割を果たしていかないといけないな、そんな当たり前の事を再度感じた