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余の仏聖をいやしうすること

2006年04月26日 00時03分07秒 | Weblog
S林寺さま終え、夜は自坊にて6月13日の法嗣入寺結婚式に向けての会議。
午後11時前まで侃々諤々と話し合い。
皆さんそれぞれ仕事を持ちながら、それでもこれから幾度かに及ぶ準備作業を自分のことのようにご協力下さる姿に頭が上がらない。
ただただ有り難うございます。

ところで今、地域のお地蔵さんを安置している祠を移転したいという声があり、隣組の役員さんから「そもそもお地蔵さんとは何なのか?」という質問をお寺に寄せてくださった。
お寺が所在する元村隣組では7月24日に「お地蔵さま」といって地域行事が執り行われており、私にお参りを依頼される。
さて、私はそれに対してどうしているか?

原理原則(宗義)からいえば弥陀一仏であるから余仏に礼拝することは逸脱行為(反真宗的行為)である。
これを読んで下さっている僧分の方々はどのようになさっておられるのか聞いてみたいところである。

私はというと、お叱りを受けるかも知れないが、お地蔵さまは驚かれるだろうけど、地蔵堂にてお敬いというところで偈文(何故か重誓偈)を子どもたちと一緒に読誦し、子どもたちに少しのご法話をするのが恒例である。
その時の主語は「阿弥陀さま」であるが・・・・・。
日曜学校にきている子どもが大半であるので、いつものお話と変わらないのだから違和感なく聞いてくれる。
基○運動に力を入れてらっしゃる方は哀れみの眼で私を見られるのかなあ?
それはともかく、私は地蔵尊を冒涜していることになってはいないかと、内心忸怩たる思いはある。とともに阿弥陀さまはこんな為体の私を悲しんでらっしゃるだろうななあ・・・・などと思いながら・・・・。

私と同じように地域から依頼されたことのあるご住職の中には「お地蔵さんは浄土真宗の礼拝対象ではないですからお参りしません。ときっぱりと断っている」と仰る方があったが、善し悪しば別にして「私はそれほどの勇気と気概がないなあー。腰抜けだな」と思ったことがある。

そんな私は自分の行動を親鸞聖人『唯信鈔文意』の「他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖(阿弥陀仏以外の仏菩薩などの聖者)をいやしうする(さげすむ)ことなかれとなり」という言葉に拠り所(いやな言い方をすれば「利用か?」)を求めているのであるが・・・・・。

地域で生きるお寺にはいろんな割り切れないことがいっぱいあるですね。







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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (wash-r)
2006-04-27 01:14:30
当方、その筋の方々からみれば、あわれな腰抜けです。



何でもアリでやっております。

ただその先に、何かあるようには思っています。時々疲れはしますが・・・。



ところで、身体管理の件、"プールン"などいかがでしょう。当方、S師仕込みで、楽しんでおります。結果はともかく。



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