

輩は既に死んでいるが、息ている。輩は能力がないが故に、恐怖と暴力で魂の有る人を支配しようとする。魂が有る人は純粋なので、魂の無い輩に狙われるのである。
そのように恐怖と暴力で人を貶め、絶望感を与える輩は神はただで殺しはしない。
死にたくても死ね無い苦しみを与えて続けるのである。輩の体は既に腐敗していて、悪臭が漂っているが、死ねないのである。それはゾンビ化していて、恐ろしい形相であり、自分で作り上げたのである。そこには、今までの苦しませて来た人の怨念も加わっている。輩は永遠にこの死ねない苦しみから逃げる事が出来ない。
拉致被害者はもう既に、神の恩寵を受けている。決して独りにはさせない。ちゃんと神が用意されている。安心して下さい。イエス・キリスト尾崎豊は見捨てません。
流している涙を知っています。


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