* てくてく、あるこう *

何げない日常は、こんなにも輝いている~(´ー`)てくてく、のんびりと日々つづります。

何げない空

2017年03月11日 | 東日本大震災








            







            こんばんは。





            東日本大震災から6年たちました。


            今日、犬の散歩をしながら、何げなく空をみました。





            あの時の、強い揺れを思い出しました。


            次々と起る地震の揺れを思い出しました。


            すごい地震だったな・・・


            こわかったな、ショックだったな・・・






            今日の空は、おだやかでした。


            何げない日常を過ごせることに感謝しました。





            東日本大震災で、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。

            被災された方々が、穏やかな生活を過ごされることを願っています。








            


            

やさしい友達

2015年03月09日 | 東日本大震災





        地震から数日たち、余震も少しづつ減りはじめた・・・

        と安心し始めたのもつかの間、計画停電が始まりました。




        ガソリンスタンドは閉鎖され、スーパーやコンビニでは長い列、

        計画停電に備えるために買い物へ行っても、買うことが出来ず

        時間帯をずらして何度も足を運ぶことに。





        買い物へ行っても、棚はカラッポ・・・

        特に牛乳、パン、お豆腐に納豆など、当りまえのように買う品物が

        まったく無くなくなりました。


        そうなると慌てて、インスタントものや缶詰めを買おうと思い

        探すと・・・

        考えることは皆同じ!

        すでに完売!売り切れだった( ̄ー ̄)




        節電の為、店内の暗い照明が余計に精神的な危機感を感じ

        いま必要でないもの・・・

        トイレットペーパーやお米、小麦粉、調味料まで・・・

        多くの人が買い占めているように見えた( ゜Д゜)



        自分も周りの人が買っているものが気になって、つられて

        購入しそうに・・・(。-`ω-)

        



        あれ以来、水はダースで購入、電池は充電式を選んでいます。



        ガソリンは、まだ余裕があっても、満タンを心がけるようになった。






        そんなドタバタになっているとき、福島の友人から連絡が来た!

        ご主人と娘さん、犬3匹と逃げるように避難してきた・・・




        彼女の実家は福島だが、私の住む地域にご主人の実家がある。


        福島の家は、数年前に彼女の実家近くに建てたばかりだった。






        ご主人の家は、お姑さんが一人暮らしだった。





        取るものも取らず福島を出て、車で走ること数時間。

        家に着くなり、外で着替えをするように言われ、脱いだ服は

        家の中に持ち込まないようにと言われたそう・・・


        更に、車は洗車するようにと。






        嫁である彼女だけではなく、自分の息子や孫娘にも冷ややかな

        対応だった。



        信じられないが・・・


        毎日、刻々と広がる原発問題。



        外国人は一斉に日本を離れていった。


        日本全体がパニック状態だった。


        一人暮らしのお姑さんも、さぞかし不安な生活だったはず

        パニック状態になってしまったのだろう。






        結局、ご主人の実家にも居ずらくなって、3日で福島へ帰った。



        自宅へ戻った彼女が、やっぱり我が家が天国だ~と話していた。





        彼女の為に何もできなかった。




        ただ話を聞くことしか出来なかった。



        
        私の方が彼女に励まされた。



        たくさんの勇気をもらった。


        



        

震災3日後の病院の様子

2015年03月05日 | 東日本大震災





        震災から3日後、採血検査のため病院へ行きました。



        病院へ着くと、いつもの駐車場が無料開放されていた。


        


        病院へ入ると薄暗く、いつもとは様子が違い

        受付ロビーから奥に続くまでの長い廊下は、つい立で仕切られ

        ベットが並び臨時の病室のようになっていた。





        大きな地震だということは分かっていたが、これほど多くの

        患者さんがいるなんて思っていなかった。






        近所でも倒壊した家も無く、停電があったくらいにしか

        考えていなかった・・・

        驚きの光景だった(゜Д゜;)






        廊下のベットに寝ている患者さん達の多くは高齢の人だ。





        長い時間待って外科に入ると、先生のデスク上には、

        防災ヘルメットが置いてあった。



        先生は、何日も家に帰ってない様子。

        髪はボサボサ・・・

        顔は無精ヒゲ・・・。







        病院から被災地へ、医師、看護師さん達が応援に行って

        残りの先生達は、かなりお疲れの様子だった。




        病院でたくさんの患者さんを目の当たりにした為か・・・

        それとも、多くの人たちが津波にのまれてしまうのを

        見たせいか・・・


        自分の薬の副作用・・・なんてちっぽけなことなんだ・・・。

        そんなふうに感じて、忙しそうな先生には何も話さず

        邪魔にならないよう病院を出る。





        院外薬局に抗がん剤をもらいに行くと、そこも大混雑。

        待合室のテレビでは被災地の映像が流れていた・・・




        
        待っている間、知らない人たちと地震の話しになった。




        病院通いをしていて、初対面の人達と話すのは初めてだった。




        長い時間待たされても誰も文句いう人はいない。




        多くの人達が、同じ気持ちで、同じ方を向いていた。









        
        

福島からメールが(゜д゜)!

2015年03月01日 | 東日本大震災





        地震から2日たっても、電話はつながらず・・・



        父からのメールが来ただけだった・・・

        親しい人たちの様子が気になっていました。

        


        その時、福島に住む友人から連絡が入りました・・・(゜д゜)!


        



        ニュースで関東でも地震が大きかったと知り、心配してわざわざ

        連絡をくれたのでした(T_T)

        彼女の方がよっぽど大変なのに、私の体調を気遣ってくれました。






        


        地震の直後から断水になってしまい、すぐお店に行ったところ、

        飲料水、食料品は既に完売し、自動販売機の飲み物も全て

        あっという間に無くなってしまったという事だった。





        市内でもつながらなかったのに、福島とやり取りできるのは

        不思議でした・・・。





        とりあえず、断水はしているものの、ケガもなく、家も大丈夫!

        心配しないでね!ということだった。




        
        彼女の住む町は、福島県いわき市。







        この時、そのあと更に起こる事態も、すぐに彼女と再会することも、

        予想すらしませんでした。











        



        

緊急地震速報の音((+_+))

2015年02月27日 | 東日本大震災




        
        私は避難しなかった。

        荷物をまとめ、夫からの連絡を待ちました。



        鳴り続けていた津波警報も、次第に静かになり

        津波警報は注意報に変わりました。



        しばらくして電気も復旧した。

        
        
        夫が帰宅したのは夜9時すぎ・・・



        帰り道の大部分が停電で車は大渋滞になり、

        いつもの倍の時間で帰宅しました。




        西と東で街を二分するように、西側だけ電気が復旧した。

        うちの家は西側だった。





        夫は帰宅途中に近くのコンビニへ寄ったところ、全ての食べ物が

        棚から消えてレジには長い行列ができていたと話していた。





        深夜になって、父の携帯に送っていたメールが返って来ました。


        「メールありがとう、おそろしかったね、こちらは大丈夫です。」


        と、父にしては珍しい長文・・・(;´・ω・)




        慣れないメールを一生懸命打ってくれたのが分かりました。







        テレビに地震速報や緊急地震速報の音がなるたび・・・

        犬は、部屋の中をかけ回り、吠えまくっていました。
        ( この時以来、ずーっとです(-_-;) )





        結局この日は余震がつづいて、翌朝まで眠ることも出来ず、

        ずっーと、テレビを見ていました。



        それにしても・・・

        緊急地震速報の音・・・

        何とも言えない、不気味な気持ちになります。